2015.03.24
小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㊽「海外看護事情視察団に添乗して その7」
一期一会 地球旅 48
海外看護事情視察団に添乗して (7)もう一度だけ
これまで6回にわたって「Nurse Tourに添乗して」と題していろいろな思い出などを書いてきたが10回目の平成元年度(1999年)はそれまでの明治航空サービスではなく、株式会社キク・インターナショナルとしてお取り扱いさせていただいた。 この年2月28日に32年余り勤めてきた明治航空サービスは自主閉鎖の道に立たされ、代表取締役として幕引の役を余儀なくさせられていた。それに至るまで、そしてそれからも塗炭の苦しみを味わったが、個人的には、その間も辛うじて旅行業に従事していた。 細かい経緯は別の機会に書かせていただくこととして、シカゴのUICとのコンタクトや米国・カナダ各地の医療や看護関係の視察手配について長年経験し、ご厚誼をいただいていた関係先とのつながりなどを評価されたのか、全社連様からNurse Tourは引き続いてやってほしいと破格のご配慮をいただいた。そんな背景もあってこの年の視察団を準備させていただいたのでひとしお思い出深い仕事でもあった。この時の報告書の巻末に一文を書くようにと機会をいただいたのは担当されていた由井課長がそのような事情も忖度くださったのかもしれない。大きな試練の中であったのでこの仕事をいただけたことで新たな勇気を得た思いであった。 次の年(00年)は経済的な理由があったのか、あるいは類似の団体や組織では海外視察事業を中止されたり規模を縮小されるところも多かった。そのような時代背景も考慮されたのかもしれないが、それまでの15日間から一気に10日間へと日数が1/3短縮された。そこで、視察地域は2都市に絞りシカゴとカナダのトロントとされることになった。特にカナダはこれまでにもいくつかの団体が訪問されているがこの時はオンタリオ州での看護の課題、もう一つは看護教育の変革と継続教育の実際ということで州の看護協会、マウント・サイナイ病院、トロント大学看護学部などでのプログラムが組まれた。団員諸氏にとってはかなりハードであったと思うがそれだけに充実した視察をされたと思う。 続いて、2001年も継続して実施されることになっていた。この年も秋に予定されており、その前に別のグループの添乗で1週間ほどオーストラリアへ出かけていた。Australian Meals on Wheels Conference(全豪ミールズ・オン・ウィールズ会議)出席が目的であった。そして、9月12日の朝、宿泊していたタスマニアはホバートのホテルでニュースを見ていたところ、いつも見慣れていた世界貿易センター(WTC)に旅客機が突っ込み、やがて崩れ落ちていくという衝撃的なシーンを見て、最初は正直なところ、悪い冗談かと思った。予想もしていなかったアメリカ各地で同時多発テロの悲劇が伝えられて会議の開会式では、犠牲者追悼への黙とうがささげられた。そして、秋に予定されていた看護事情視察事業は中止された。結果的には、10か月遅れで平成14年(2002年)7月10日から19日までの10日間ということで実施された。例年秋に実施されていたが、変則的に前年度事業の延期という意味合いもあってこの時期に実施されたのであろうか。全社連では、社会保険看護研修センター教育専門職の宮川昌子氏が担当され、シカゴのほかにメリーランド州看護協会とジョンズ・ホプキンス大学病院を訪ねることとして急ぎ準備を進められた。 シカゴでは、APN(Advanced Practice Nurse=専門上級看護師)の活動が主たるテーマであった。米国では、専門看護師の歴史は古く、1909年に麻酔看護師の育成プログラムが開始されたのが最初だといわれている。医師の補助と患者の身の回りの世話だけにとどまらない看護の専門性、「医学モデル」からの脱却の必要性から専門看護師の概念が打ち出され、発展してきた。それから1世紀、米国には200種の専門看護師が存在するといわれている。(平成14年度の看護事情視察報告より)。UICでは、この時もB.マクエルマリー博士以下が指導してくださり、APNの資格要件等について担当教授より解説していただいた。イリノイ州では、APNは4つのカテゴリーに分けられており、資格看護助産師、同ナースプラクティショナー、同看護麻酔師、同専門看護師と区分されているとのことであった。病院、保険会社、あるいは看護診断所などで活躍しており、その現場の一例として、統合精神衛生センターや小児精神専門クリニックなどを視察した。(2015/3/22)
小 野 鎭