2015.05.26
小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅57「南米での思い出」
一期一会 地球旅 57
南米での思い出
以前にも書いたが、南米には70年代に3回行ったことがある。回数が少ないだけにいくつか経験したことを40年過ぎた今も、前後関係は定かではないとしても、かなりよく覚えている。勿論、それらの体験は、日常茶飯に起きていたことかもしれないし、偶々そうであったかもしれないが、多分、当時としては、さほど珍しいことではなかったのでないだろうかと今も思っている。そう思う根拠は、当時の現地の手配会社やガイドなどからも聞かされることが多かったからである。そんな中から特に印象深かったことをいくつか紹介させていただこう。 両替にも裏があった! 海外旅行で面倒なことの一つに両替がある。団体旅行では、多くの場合、現地手配会社(Land Operator)を通じて、宿泊費や通訳代、貸切バス代などを前もって払い込んでおき、Voucher という予約記録と払込済み証明をかねたクーポンのようなものを持参して各所でそれを切り取って渡す、という仕組みが多かった。 しかしながら、稀には現金(通常は米ドル)を持参して旅行費用を支払うこともあったし、食事代やガイドやドライバーへのチップ、その他諸雑費は現地通貨で支払う必要があった。個人的な費用としては、ショッピングや現地交通費、オプショナルツアーなどもあり、多くの場合、米ドル現金または旅行者小切手を持参して、現地で両替して現地通貨を準備するという方法が一般的であった。勿論、今ならばクレジットカードを利用することが多いが当時はそれほどカードもまだ使われていなかった。団としての現地費用は人数分であるのでかなりの金額になる。両替率の良し悪しは最終的にはその旅行取扱金額の利益率にも影響してくる。当然、より確実で有利な両替の窓口を探すことになる。一般には現地の銀行や空港の両替を利用することが多い。 さて、アルゼンチンのブエノスアイレスは、南米のパリとも呼ばれる美しい大都市、現地の日系人ガイドに相談したところ、多分、大手の銀行であったと思うがそこで交換レートを確認し、建物の裏側に回った。そこには、別の両替所らしきところがありその入り口でいくらかの入場料(?)らしきものを払い、中に入っていった。外国人旅行者やそれなりの格好をした現地人らしい人物も並んでいた。レートは、銀行で見た相場より、かなり良かったと思う。いわゆる闇ドルが横行していたのであろうが、公然の秘密といった世界があったらしい。この時の旅行ではなかったが、チェコスロバキアやハンガリーなど旧東欧諸国で闇ドルの両替に誘われたことがある。しかし、秘密警察が見張っているからやめた方が良いなどと耳打ちされていたので利用したことは無かった。真偽のほどは分からないが、当時、社会主義国家の旅行は少々不気味な思いもあった。 小型機で牧場見学 アルゼンチンは、世界的な畜産王国、食肉の輸出では世界有数であった。食肉流通関係の視察団で訪れたが、この国の牧場や食肉関係企業などを訪問するために視察団を派遣された団体の事務局では在日アルゼンチン大使館を通じて協力を依頼されていた。視察についてはとても協力的な返事をいただいての現地訪問であった。現地では、関係団体を訪問した後、翌日は牧場見学が予定されており、小型機で案内されるとのことであった。(2015/05/26) 小 野 鎭