2015.11.18 小野 鎭
一期一会地球旅82「21世紀の平和を願って その5」

一期一会 地球旅 82

21世紀の平和を願って その5

3年余りの準備を経て、「今、私たち平和のために歌う第九コンサート」一行234人は2000年㋄28日、午前と午後二
49ef72b19c9b2addea8db508ca9b00b7.jpg
手に分かれて飛び立った。コンサー ト開催までの歩みと写真、そして参加者各位の感想を綴った記録集のページをめくると数々の出来事が昨日のことのように蘇ってくる。特に、参加者お一人お一人の感想文には様々な人生模様が語られている。ある人は11もの病名がカルテに書かれていて6カ月余りの入院を経て外来通院をしながら入団した人、これまで数年間のうちに旅立った人たちの思い出を抱きながらステージに立った人など。今回は、その中からいくつか紹介させていただき、このシリーズを終えたい。 『歓喜の歌に命救われて』 1月23日(2000年)の日曜日は、冬にしては暖かい日だった。年が明け、愈々練習にも熱が入っていた。いつもは自転車だが、この日は入れ込んでいて、椎の木ホールへジョギング。柔軟体操もみっちり行い、充実したコーラスの練習に満足して、帰りも走った。1時間半ほど経ち、急に大量の下血があり、翌朝までに血色素は3割近く低下した。大腸ファイバーであんずの様な癌を発見、手術となった。これでカーネギーホールもだめかなと言う思いばかりが頭を駆けめぐった。癌は大きかったが、幸いぎりぎりのところで間に合ったようだ。あの日の練習が無ければ、きっと手遅れになったに違いない。 入院間もなく、姥山さん、山本さん、小野さんが見舞いに見え、それから毎週、小山さんが練習テープを届けてくださった。このテープは、皆からの、そしてベートーヴェンさんからの応援歌だった。何があっても行くんだ、という気になってからは毎日に張りが出てきて、消灯後もイヤフォンで聞いた。怠けると次のテープが届いてしまうのでクヨクヨしている暇はなく、大きな心の支えになった。このテープは今、私の宝物だ。励ましの寄せ書きも届き、退院したら又、みんなと歌える。そればかりが待ち遠しく思えた。 丁度ひと月の入院で済み、退院後初めて、区民ホールの練習に行くときのペダルは羽のようだった。たったひと月なのに皆の顔が妙に懐かしい。そして大きな声がだせる事自体がこんなに素晴らしいことだったなんて。障害をもって歌うことがどれ程凄い事なのか、車椅子の上で歌う仲間の思いの一部が、頭でなく体で感じられたのは大きな収穫だった。術後、排便反射が強く、日に何度か痛みが襲う。成田で、キャロルスタジオで。こんな時に限って強く出る。そして、本番前の楽屋でも。どうなることかと思ったが、歓喜の歌が始まると、そんなものは何処かにぶっ飛んでしまった。終わった後の無量の感動。このような出来事無しにこれほどの感動が得られただろうか?いまや、歓喜の歌を力いっぱい歌うことは、生きていることの証となっている。

馬 場 俊 一

 馬場俊一氏は、皮膚科のドクター。合唱団の一員であると共に、一方では、ギター、オカリナの名手
20cfce153c6dcbd30dc35695758066ae.jpg
であり、そして素晴らしい絵を描かれる。日々の診療で多忙であろうと思うが、それを思わせぬ多趣味、多芸な方、そして愛車(自転車)で毎回の練習に駆けつけられる。その異能振りに敬嘆し、優しい人柄に敬服している。今も、一緒に歌えることが嬉しい。 『ゆきわりそうの皆様へ』 6月7日、バークレイのCIL(自立生活センター)見学の後、いよいよサンフランシスコ湾のソーサリートにあるレストラン「スピネカー」で最後のディナー。(以下、一部略)
041c8e89b678b46731ac2144bc87c2e7.jpg
次々と参加者全員があいさつ、拍手の嵐。よかったね、すごかったね、感動したね、ゆっくり時が流れる。海に張り出したデッキの上で、あの人と、この人と撮影会のようにフラッシュが光る。 こんな時、この旅にまつわる様々な出来事が思い出される。3年間の準備の後『今、私たち21世紀の平和のために歌う第九コンサート』は、つい数日前の5月31日、カーネギーホールを埋め尽くした人々の、総立ちの拍手と涙の祝福と共感をいただき、一大成功に終わった。 東京都ニューヨーク事務所の中村・今村両氏がつなげてくださった国連本部、日本領事館、日本クラブ、新聞各社、ニューヨーク姉妹都市プログラムの熱烈な姿勢が織りなしたコミュニティは、カーネギーホールの歴史上
3d286c066077720590e492e614c9bbcc.jpg
まれに見るホール全体のスタンディング・オヴェイションを実現した。現地を併せると450名の合唱団は舞台に乗り切れず、二階のティア(ボックス席)を使用。それは五階までの客席を持つ円筒のようなホールを立体音で満たすことになった。「あたかも、天上から天使の声がキラキラと舞い降りてきて全身を包み込み、ゾクゾクと鳥肌が立ってきて、涙がとめどなく流れた」と語る人が、そして語りながらまた涙を流されるのだった。 翌日、各方面へごあいさつ回りをした。NY姉妹都市プログラムを訪れると、各部署の方々が一斉に立ち上がり、拍手で迎えてくださった。代表のベーレント女史は強く抱きしめ「ありがとう」を連発されるのだった。 『21世紀よ!歴史に刻まれた数々の悲惨な事実を乗り越え、人類の知恵と力が結集された平和と連帯の世紀たれ! 2000年5月31日、ニューヨーク・カーネギーホールから、私たちは命の限り歌い、全世界へ向け発信する』この私たちの熱い思いと大きな目的は、遂げられたように思う。
588f5dc5c85286438783f2302a488dbe.jpg
国連本部があり、人種のるつぼであるニューヨークで、できれば音楽の殿堂カーネギーホールでコンサートを開催するために、どの糸をどうたぐり寄せればいいのだろう。お金もなかった。バブルのはじけた日本の現状では、寄付を集めるという訳にもいかないだろう。合唱の練習を続けながら、約1年半は暗中模索の日々だった。私たちは、小銭を集める缶募金を計画した。一方、成田空港を経由された国連職員合唱団の団長であるコラソン・ロディル女史と初めてお会いし、語り合った時に彼女の目がキラキラと輝いてくるのがはっきりとわかった。世界中から集まっている合唱団のリーダーである彼女は21世紀の平和のためのコンサートを必ず成功させましょうと固く握手をしてくださった。いま、コラソン女史は使命でコソヴォに派遣されている。メールで「参加できないことが残念です。本当に参加したかったのに!コンサートの成功おめでとう。皆さんは何と素晴らしいことをなさったのでしょう!」と伝えてきている。 
8ec6a9c9f17f674d2b5aa83ddff080e1.jpg
234名と盲導犬1頭の参加者が成田を飛び立って、コンサートが終了するまで、それはあっという間に終わったが、どれだけ多くの方々から心からのご支援と共感をいただいたことだろう。ニューヨークからフェニックスへ、グランドキャニオンからラスベガス、そしてサンフランシスコへと、この11日間、一人の事故もなく帰国できる。(以下、一部略) あの日から早くも3ヵ月が過ぎました。各方面へのご挨拶、ご報告もほぼ終え、体調も取り戻し、日常のリズムも順調になった今日この頃です。

               姥 山 寛 代

姥山代表にしてみれば、この間の精神的な重圧はいかばかりであっただろう。演奏が終わり、万雷の拍手とスタンディング・オヴェイションが続くなかで代表と手を取り合って感動に打ち震えたあの時の熱い思いがいまも懐かしく蘇ってくる。 『心の金字塔』 例年秋にはニューヨークで国連総会が行われる。今年は、「国連ミレニアムサミット」と銘打って9月8日、“ミレニアム宣言”が全会一致で採択され、閉会されたとのこと。 
9bdf40befda56aded47d3d00bffed831.jpg
さる5月末、私たちは、国連職員合唱団などの共演も得てカーネギーホールで『今、私たち、平和のために歌う第九コンサート』を行った。その前日には国連ビル内のハマーショルド講堂でも『お昼のコンサート』を開いた。これらの演奏会を通じて私たちは、21世紀の平和を祈るメッセージを送った。満場の聴衆からは、鳴りやまぬ拍手があり、多くの人たちから『全身が震えるような感動を覚え、思わず涙があふれた』などと喜びの感想をいただいた。歌い終えた時の感激と喜びを思うと今も胸が熱くなる。 あれから3カ月余り、共に歌った仲間からは、うれしいお便りをいただくし、『テレビや新聞を見て感動した』といまも多くの反響が届いている。国連職員は、今は特に多忙で猫の手さえ借りたいほどであろう。コソヴォで任務に就いたり、東ティモールに派遣された方もあるかもしれない。21世紀まであと三カ月余、全世界から早く争いがなくなってほしいと、
5b398eeaa9d4e5cbd78497cfa5d68afd.jpg
これまで以上に願うことしきりである。 ニューヨークでコンサートを、との発案から4年、本格的な準備に取りかかってから3年が過ぎた。この間に私自身にも大きな変化があった。一時は演奏会計画そのものが危ぶまれたことさえある。膨大な時間と経費、手だてを要したが、多くの協力と激励が嬉しかった。このコンサートで“歓喜の歌”を力いっぱい歌い、平和を訴えようと心を寄せ合った全ての団員とサポーターの方々、実行委員各位、後援団体や協力者など私たちを支えてくださった方々に私自身からもお礼を申し上げたい。この大きな催しの中枢に関わらせていただいたことは私の生涯を通じての大きな歓び。多分、永遠に残るであろう『心の金字塔』である。

小野 鎭(2000年10月記)

(資料 上から順に) 今、私たち平和のために歌う第九コンサート 携行旅程 2000年5月31日のカーネギーホール  馬場俊一 画 姥山代表挨拶 (カーネギーホール Stagebill (当日のプログラムより) 今、私たち平和のために歌う第九コンサート カーネギーホール (2000/5/31) Mid Day Concert(手話隊)  国連本部 ハマーショルド講堂 (2000/5/30) なかま展  ニューヨーク・日本クラブにて(2000/5/30~6/3) 国際連合日本政府代表部次席大使 小林秀明氏よりのメッセージ (国連 ハマーショルド講堂にて 2000/5/30) We sing for Global Peace コンサートの案内

(2015/11/17)

小 野  鎭