2026.03.16 小野 鎭
一期一会 地球旅 404 初めての世界一周添乗(4)ニューヨークにて
一期一会・地球旅 404 
初めての世界一周添乗(4)ニューヨークにて 
 
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パリから大西洋を越えて8時間、機は次第に高度を下げてマンハッタンの摩天楼群が見え、新旧の高層ビルが建ち並んでいるのが印象的であった。反対の窓側の席に座った人たちが自由の女神が見えたと興奮気味にカメラのシャッターを押しているのが見えた。間もなくニューヨークの巨大なJFK(ジョン・F・ケネディ)空港に到着。ニューヨーク地域にはほかにもいくつかの空港があるが、国際線と長距離国内線などがこの空港を離発着している。以前は、アイドゥルワイルド(Idlewild)空港という名前であったが、1963年11月22日にJ.F.ケネディ大統領が暗殺されて1か月後の1963年12月24日にJFK Int’l Airportへと改名されている。ケネディがニューヨーク市民とアメリカ国民からいかに愛されていたかということが分かるような気がする。当時、私は大学時代であり、勤務していた児童養護施設の子どもたちとテレビでケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたというニュースを見て衝撃を受けたことを思い出す。翌年、旅行会社に入社した時は、ニューヨークの国際空港がJFKと普通に使われるようになっていた。 

JFK空港は、ターミナルビルが何棟かあるため国際線ターミナルはそれほど大きくは見えなかったがヨーロッパやアフリカ、中南米からの航空便などがたくさん滑走路やターミナルビルに着いており、羽田とはけた違いに大きな空港であることを実感した。これがアメリカへの第一歩であった。アメリカに行くと言えば、多くの場合は、太平洋を越えてサンフランシスコあるいはロサンゼルスもしくはニューヨークに直行というのが一般的であると思う。ハワイももちろん、アメリカ合衆国であるが多くの人はアメリカのハワイへ行くというより、単にハワイに行くという人が多かったと思う。ハワイに対してはもっと身近に感じているのではないだろうか。私の場合は、ヨーロッパを廻ってそれから大西洋を越えてアメリカはNYCのJFKに到着、自分の添乗経験の中でも記念すべき新たな第一歩であった。
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ニューヨークではマンハッタンの中ほど、ミッドタウンにあるホテルに泊まったと思う。周りは高層ビルが建ち並び、空は四角の隙間に広がっているような感じであった。国連ビルに近いBellevue Hospitalを訪ねたと記憶している。ニューヨーク最古の病院でその始まりはアメリカの独立1776年よりも40年前の1736年、救貧院の2階建て、6つの病床から成るInfirmary(施療所)が起源であるとか。それまでに私が日本で見た病院よりけた違いに大きく、英語とスペイン語が表示されており、医師や看護師、それ以外の各種専門職や事務員も白人、アフリカ系アメリカ人、ヒスパニック系、アジア系などいろいろな人種が忙しそうに働いていた。患者も同様で多くの人種の人たちが待合室や病室にいた。まさに人種のるつぼと言われているニューヨークであり、それを象徴するような光景であった。
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エンパイア・ステートビルの展望台からみたマンハッタンの風景は圧巻だった。地図に書かれている街路がそのまま眼下に伸びており、はるかにイースト川とハドソン川にはたくさんの船が浮かんでいた。ロックフラーセンター、セントラルパーク、ハーレム地区なども見学した。七番街や八番街などは五番街などの洒落たビルではなく、アパートなどのビルがおおく、通りはどこもごみが散乱しているとか、雑然とした風景であった。学生時代に見た映画「ウエストサイド物語」(1961年製作)で描かれたような風景が見られた。タイムズスクエアやウォール街などテレビやラジオで聞く地名、アメリカというより世界経済の中心といったビル街を忙しそうに行き交うニューヨーカーたちが格好よく見えた。
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ところで、2001年の同時多発テロで崩壊されたWTC(ワールド・トレード・センター)はこの時期(1969年)、折しも建設中であった。基本的な設計は、Minoru Yamasakiという日系人の建築士と聞いて何やら誇らしさを覚えたことを思い出す。実際に完成したのは、私たちが訪れた時より2年後の1971年であり、私が実際にこのビルの最上階にある展望台に上がったのは多分73~74年ごろであったような気がする。地下鉄にも乗ってみたいと思っていたが、ガイドから危ないから止めた方が良いと言われ、この時は駅にいく階段を下りてみただけでそれ以上入っていくのは止めて実際に乗ったのは何回目かのニューヨークであった。
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この時が初めてのニューヨークであり、初のアメリカ訪問であったが、2019年にカナディアンロッキーへの添乗が結果的には230回目で最後の海外添乗となったが、パリに次いで、ニューヨークは最も多く、この町を訪れていると思う。多分、6~70回は訪れていると思う。もちろん、駐在であるとか、留学で現地に滞在した人たちと比べれば、私のN.Y.訪問はささやかなものだとは思うが、1969年から2011年まで42年間にわたって視察、研修、国際会議、コンサート、観光など様々なかたちで訪ねている。医療、福祉、教育、農業、漁業、建築など多種多様な組織や団体のお伴で、添乗業務と並行して通訳業務も果たしてきたことも多く、その面では観光以外にもそれぞれの分野でアメリカを知る上では学びも多かったと感謝している。世界経済の中心であり、華やかで活気に満ちたダイナミックな町、そして文化芸術の面でも見どころは多かったと思う。今となっては、あまり深く探ることはしておらず、表面だけをさらっと流してきたことは残念であるが、上っ面を見てきたことは間違いないと思う。
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一方では、ニューヨークは危険な町と言われることもあり、この町に限らず、アメリカ各地でガイドからは常に貴重品の保管であるとか、街歩きでも注意するようにと案内されることが多かった。そこで、お客様をいたずらに緊張させないように上手に注意するとか案内して欲しいと耳打ちしたこともある。交通ルールであるとか、貴重品管理についての考え方や社会通念が大きく違うところがあるので、自分としては、そのことも含めてお客様へ案内することを心がけるようにしてきたと思っている。幸い、大きな事故やトラブルに遭うことが無かったことは幸いであったと言えよう。この町では、様々な経験と大きな喜びや感動なども経験しており、これまでにも幾度か書いているが、改めて、昨今の社会事情と見比べながら追々、また、書いてみたいと思っている。(以下、次号) 

《写真、上から順に》 
・空から見たJFK Int’l Airport of New York:Fine Art America 資料より 
・ ベルビュー病院:Bellevue Hospital 資料より 
・エンパイア・ステートビル屋上から見た高層ビル群、中央右がパンナムビル(後のメットライフビル)、右側の尖塔がクライスラービル:70年代 筆者撮影 
・建設中のワールド・トレード・センター(1969年): Wikipedia WTC資料より 
・70年代、何回目かのニューヨーク訪問時の筆者。後方は完成したワールド・トレード・センター。 
・ニューヨークのダウンタウン。右側の円形ビルはグッゲンハイム美術館、煙突から出ているのは地下から放熱される蒸気。:70年代、筆者撮影