2017.02.22 小野 鎭
一期一会 地球旅147 地球の歴史を見に行こう 「ルート66」を通って

一期一会 地球旅 147

地球の歴史を見に行こう 「ルート66」を通って

  一夜明けて最終日の朝、3日ぶりに大型バスの登場、ドライバーは人懐っこい笑顔を見せながら、Good Morning, How are you ?  I hope everyone enjoyed Grand Canyon!と挨拶をしていた。 3泊したヤバパイロッジの部屋からスーツケースを運び出して、バスの横に並べる。そして、忘れ物が無いことを再度確認して本日の予定を説明する。来た時と同じ州道64号線を南下してウィリアムスで州際高速道路I-40へ出て昼食予定のキングマンへ向かうこと。途中、ルート66のセリグマンという小さな町で小休止することになっている。昼食後、ネヴァダ州に入り、フーバーダム付近を通って2時間ほどでラスベガスに到着予定。明日は午前6時という早朝の便でロサンゼルスへ飛ぶことになっているので短い滞在ではあるがラスベガスをお楽しみいただきたい、という趣向である。交通渋滞や何かのトラブルなどはもちろん無いと信じているので、順調に行けば午後3時頃にはホテルに到着出来ると思うことを説明した。
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出発は午前8時頃であった。そこで、最後にもう一度だけ大峡谷を訪ねて、Good Bye!を告げようとお馴染みのメイサーポイントへ回った。すでに朝日が谷底まで照らしており、Bright Angel Canyonやヴィシュヌ神殿Vishnu Templeと名付けられた秀麗な山容などが見事な光景を見せていた。それぞれにもう一度写真を撮り、幾度見ても飽きない壮大な景色に別れを告げた。思い思いに写真を撮りながら、いつかまたゆっくり来たい、などと思いつつ異口同音にあいさつをしていたのかもしれない。
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こうしてグランドキャニオンを発ち、一路南下、あっという間にトゥサヤンの集落を通り過ぎた。車窓にはポンテローザ松やジュニパー(ネズの木)などの疎林から成るカイバブ国有林が広がっている。しばらく走るとその森もなくなり、見渡す限り灌木と荒れ地が広がるココニノ台地(Coconino Plateau)、見れば見るほど広く遥か地平線まで続いている。道路の右側には線路が並行していた。グランドキャニオン鉄道である。Yさんは、カメラを構えて今か今かと待ち構えていたが残念ながらあと1時間以上は来ないと思われる。一時間半ほど走ってI-40に乗り、西へ進路を転ずる。その直後、鉄道をまたいだ時、まさに列車が北へゆっくり走っていた。今朝もツアー客を乗せてウィリアムスを出た直後であったのだろう。アメリカ南西部の大動脈であるこのフリーウェイはさすがに交通量が多い。とはいっても日本の高速道路と比較するとほとんど思い出したようにトラックがすれ違ったり、追い抜いたりする位いであるが。しかも対向車線ははるか100m以上も離れた反対側の丘陵地の向こう側にあり、自分たちが走っている右側車線はどこまでも一方交通といった感じである。長さ15m以上はあるのでは、と思うほど長いコンテナーを連結したトラックが走っており、運転台脇にある細い煙突からは薄く煙を吐いている。ディーゼルなのだろう。ヒゲモジャでいかつい風貌のドライバーであるがニヤッと笑みを浮かべている。夜を通して走り、ロサンゼルスまで行くのだろうか? 途中、線路が見えたが、しばらくすると何十両も連結した貨物が走っていた。Santa Fe鉄道であろうか。今では、物流の主役はトラック輸送であろうが鉄道輸送も依然として盛んであり、穀物や鉱石、石油など様々な原材料、工業製品などが運ばれているのであろう。
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西進すること小一時間、フリーウェイを下りて一般道に入った。Historic US Highway 66という標識が立っている。Inter-State 州際道路という自動車専用のフリーウェイが第二次大戦後の50~60年頃から建設されてやがて全米を網の目のように結び、それが現在の大動脈になっている。しかし、それ以前の主役はUS Highwayという長距離の国道であり、鉄道と並ぶ、主要な道路であった。その中でも66号線、通称Route 66は中西部、アメリカ第二の都市シカゴからロサンゼルス、正しくはサンタモニカまでを結ぶ全長3755㎞の道路であった。1926年に指定されて、州際高速道路の発達により、1984年に廃線となった。大陸を横断するこの道は、アメリカ西部の発展を促進した重要な国道であり、映画や小説、音楽などに多く登場し、今なおアメリカのポップ・カルチャーの題材にされている。ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」で主人公トム・ジョードと一家がオクラホマを引き払い、カリフォルニア目指して中古車でルート66をたどる姿が描かれている。彼らもこのような風景の中を通り抜けていったのだろうか。
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今回、立ち寄ったのがセリグマン(Seligman)であった。牧場や畑地が広がっている一帯にノスタルジックな姿を残しており、広い道路の両側に旧式なガソリンスタンド、カフェ、レストラン、ホテル、郵便局、銀行、商店などが続いている。そして、圧倒的に多いのが今はレストランや土産物店である。セリグマンの町はアメリカ人や世界中からの観光客が訪れる観光地になっている。筆者が学生時代、人気のあったアメリカのテレビ番組「ルート66」、勿論白黒であったがアメリカ全盛時代を見せており、消費は美徳のような世界に圧倒され、羨ましく思ったものであった。そして、いつか必ずそのアメリカを自分の目で見に行ってみようと胸を躍らせたことを思い出す。あのテレビドラマで見た田舎町もこんな風景であった。
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しかし、今回のメンバーの大多数は若い世代であり、50~60年代のノスタルジックなアメリカン・グラフィティよりも20年近く前に公開されディズニー映画で配給された「カーズ」で登場したライトニング・マックィーンやメーター、サリー・カレラなどかつて大人気のあった旧式なクルマたちのモデルが並んでいる方が興味深かったことであろう。この映画は当初は、「ルート66」というタイトルで製作されていたがかつて前述のテレビドラマが「ルート66」であったことからこの映画の作品名が「カーズ」(Cars)に替えられたそうである。メンバーは、Tシャツや自動車のナンバープレート、絵葉書などを土産物として求めたり、カーズの主役らしいクルマたちをバックにポーズをとるなどこの町での短い滞在を楽しんだ。
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90年代に入るとルート66協会(Route 66 Association)がアリゾナやミズーリ州で発足し、特にアリゾナ州内を通るRoute 66は国の歴史的史跡としても指定されており、セリグマンもその一部を成しているのであろう。アメリカ合衆国の歴史は、1776年の建国以来240年余りしか経ていない。日本などよりははるかに短く、歴史的史跡といってもそれほど古いとは言えないであろう。しかし、国が若いだけに古き良き時代のものを残そうとするその意識は、我々が考える以上に強いのであろう。「ルート66」も1926年頃から建設され始めて1984年に廃線となるまでわずか60年足らずの短い歴史でしかないが、アメリカの一つの時代を担ったということで多くのところでマザーロードとも呼ばれる所以でもあろうか。今日、国の歴史的記念物(National Historic Monument)として讃えられていることがとても興味深い。 (以下、次号とさせていただきます) (資料、上から順に、ことわりなき資料以外は2015年撮影) グランドキャニオン最終日の朝、メイサーポイントからの眺め Interstate 40 アリゾナ州内アシュフォーク付近から西を望む(資料借用) Route 66(資料借用) セリグマンの町 テレビドラマ Route 66(資料借用) カーズのモデルたちとメンバー トイレもRoute 66 Welcome to Seligman. Birthplace of Historic Route 66とある。(資料借用) (2017/2/21) 小 野  鎭