2025.05.26 小野 鎭
一期一会 地球旅 363 ドイツでの思い出(3) ドイツ・バーゼルにて
一期一会・地球旅 363
ドイツでの思い出(3) ドイツ・バーゼルにて 

 後継者養成海外研修団の主要研修国は、実施年にもよるが、ドイツ(当時は、西ドイツ)が多かった。第二次大戦で荒廃した国土を建て直して戦後復興と経済成長を遂げた国であり、その一方では、EEC(ヨーロッパ経済共同体=ECの前身)域内での農産物の生産と域内での流通を巡る諸問題と農業構造改善などの大きな課題に直面していた。この時代、日本では、農産物、特にオレンジやコメ、食肉や酪製品などの輸出入を巡る諸問題や農協組織の再編成など大きな難題に直面していた。20~30代の若い世代にとっては大きすぎる課題であったがそれは避けては通れないテーマであり、精一杯学んでほしいとの派遣主催者である県の担当者としての願いでもあったのだろう。 
 
 そんなドイツでの研修の一つの場所としてフランクフルトから1時間ほど走ったプレスベルクという村で集落の若返りという事業について見学をした。人口減少などから古い集落がさらに寂れていくことを防止して若い世代にも住みやすく、魅力ある地域づくりを目指して物理的・社会的にも集落を造りなおすための村落構造改善事業が進められていた。わが国でもへき地が増えており、活気ある村へと更生させていく必要があるのだと若い世代である団員に魅力的な村づくりとはどうあるべきだろうという問題意識を抱かせたようである。 
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 この日は、村落の若返りというへき地での課題から一気に、都市圏にある大型のショッピングモールを見学した。日本でも高速道路網が広がり、大都市近郊には娯楽施設などを含めたショッピングセンターなどが徐々に作られてきていたのでテナントを見学するとか、事務局員の目を盗んで買い物をするなどより身近に感ずる団員も多かった。その後、ライン川に面したマインツから列車でスイスのバーゼルへ向けて出発した。なんとも忙しい視察・研修スケジュールであったが、少しでも多くのことがらを学ばせようとする研修団であったが当時は日本から出かける海外視察団の旅行形態としては共通していたように思える。 
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 列車が走り出すと快適で心地よい揺れはさながら子守唄のように団員を深い眠りに誘っていた。マンハイムやカールスルーエなどを経由してライン地溝帯と呼ばれるフランスとの国境に近い平地を3時間、快調に走っていた。シュヴァルツヴァルト(黒 い森)と呼ばれる丘陵地帯を車窓に見ながら走ると間もなくフライブルクであった。ドイツ最南部近くに来ており、団員には、次の停車駅はバーゼル、車中ではドイツの国境通過検査は行われないがスイスへの入国審査はバーゼルの駅について行われること。そこで旅券をすぐ出せるように準備して各自スーツケースを持って降りるように、そして忘れ物をしないよう、くれぐれも注していただきたいと案内して下車に備えた。以前、デュッセルドルフでは、荷物を降ろさずに下車させるという失態を演じているのでその再来だけは絶対にしないようにと自らへの心構えでもあった。 
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 しばらくしてバーゼルに着いた。列車が着くと、団員は荷物を持って全員がホームに降り立った。バーゼルはスイスでは大きな町であり、工業都市としても知られている。それにしては、ホームが質素だなと思いつつ、駅名を書いた案内板を見ると「Basel Bad」と表示されていた。変だなと思い、団体乗車券を見直してみると、下車は「Basel SBB」書いてある。駅務員に確認すると我々が降りるのは、ライン川を渡った次の「Basel SBB」であると教えてくれた。私は、血相を変えて、メンバーにここではなく、もう一つ先の駅であることを伝え、大急ぎでもう一度荷物を持って列車に戻ってもらった。多分、1,2分遅れたと思うが、列車は出発を待ってくれ、最後に私が乗り終わるとドアが閉まり、すぐ発車した。そして、次が「Basel SBB」であり、この列車の終点であると車内アナウンスがあった。直ぐにライン川を渡り、アーチ状の大きな屋根の「Basel SBB=スイス鉄道バーゼル駅」に着いた。団員から、前の駅での下車について「予行演習は上手くいったね」と冷やかされたことを思い出す。 
 
 バーゼルは、スイス北部にあり、ライン川をはさんでドイツ、フランスと国境を接している。チューリヒ、ジュネーヴに次いでスイスで3番目の都市であり、ライン川水運の終点であり、大型船舶が入れる港もある。鉄道の要衝であり、鉄道路線の広大なヤード(敷地)がある。バーゼルSBB(スイス連邦鉄道バーゼル駅)はチューリヒやベルン、ジュネーヴなど主要な都市と結ばれるほか、構内にはフランス国鉄のホームもある。豊富な水を基にした工業都市でもあり、特に化学薬品などでは、世界的に知られている製薬&バイオテクノロジー企業のノバルティス社の前身であり、当時はチバ・ガイギーとサンド、ほかにラ・ロシュなどがあった。 
 
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 この日は、バーゼルで下車して、ここから貸切バスで首都ベルンに向かうことになっていた。今度は間違いなく「バーゼルSBB」であり、駅には現地手配会社の出迎え担当が待っていて、待機していたバスへ案内してくれた。ベルンまでは約100km、1時間半の距離であった。スイスと言えばアルプスの山岳風景を想像するが、スイス中央部のこのあたりはそれほど高くはなく、車窓からは緩やかにうねる丘陵地に草地や森が広がり、平地には農家などが点在するほか、平たい建物があった。工場であるとか倉庫などであったと思う。私は、このころまでに、すでにヨーロッパには7~8回来ており、その都度、スイスも訪れていた。農業や医療関係の視察などの添乗が多く、そのたびにこの国の国情などはよく聞いていた。ガイド抜きで移動することがおおく、ドライバーからいろいろな説明を聞きながらお客様に案内していた。お客様は私の説明に耳を傾けながらも、実のところ、美しい風景や民家、遠くに見える山並みなどの写真を撮ることに夢中であった。 
 
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 この日は、ベルンに宿泊して翌日はインターラーケンからユングフラウ周遊などベルナーオーバーラント地方の遊覧を楽しみ、ルツェルン経由チューリヒへ行くことになっていた。ベルナーオーバーラントはそれ自体ベルン高地を指しており、4,000m以上の高い山並みから成る山岳風景で知られている。山麓からかなり高いところまでは森林や草地が広がっており、夏の間はそのような山の上(Alpと呼んでいる)で牛や羊が草を食み、シャレーと呼ばれる山小屋ではチーズなどを作っている。冬になると家畜を山から下して平地で飼っており、この飼い方が移牧と呼ばれている。いろいろなグループにユングフラウ周遊などを楽しんでいただいたが、多くの場合、日程表には「山岳酪農や移牧関連視察」と書かれていることが多かった。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・マイン・タウナス・センター : 1972年 筆者撮影 
・シュヴァルツヴァルト付近 列車からの車窓風景 : 1972年 筆者撮影 
・ドイツ・バーゼル駅(上)とスイス・バーゼル駅(下)の位置関係 : バーゼル見本市事務局資料より 
・スイス・バーゼル駅 : SBB(スイス連邦鉄道)資料より 
・ベルナーオーバーラント風景(左からアイガー・メンヒ・ユングフラウ)