2017.04.05 小野 鎭
一期一会 地球旅153 地球の歴史を見に行こう ロサンゼルスにて(その3)

一期一会 地球旅 153

地球の歴史を見に行こう ロサンゼルスにて(その3)

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モダンな高層建築物が林立するLAのダウンタウンにあってミレニアム・ビルトモア・ホテルはいわばクラッシックな存在と言えよう。シカゴから西のアメリカにあって良き時代を象徴するしゃれた建物(Beaux Arts Style)のなかでも最大級のホテルの一つであるらしい。かつてはルドルフ・ヴァレンチノ、プリンス・オブ・ウェールズ、ポール・ゲティ、ハワード・ヒューズ、ルーズヴェルト大統領など大富豪、映画スター、大統領、そして数々の著名人、今でいえば数多くのセレブたちに愛されたホテルであったことでも知られている。宿泊客だけでなく、このホテルそのものが数多くの映画やテレビドラマなどの舞台としても登場し、伝統と格式のあるたたずまいは今も依然として人気のある存在なのだろう。到着したこの日もテレビ映画か何かの撮影が行われていた。
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1923年創立のこのホテルの内部は現代の快適さや便利さということから言えば時代の差を感じざるを得ないが、重厚な趣のあるロビーとシックな調度品、高い天井と数々の名画、広い空間などその落ちついたたたずまいに心が休まる思いであった。グランドキャニオンで過ごしたヤバパイロッジとは対照的な印象であった。ロビーに置かれた深々としたソファに腰を下ろすと気持ちも安らぎ、何とも優雅な気分であった。スター気取りでピースサインをしては交互に写真を撮りあうメンバーの姿が微笑ましかった。さすがに建物の古さは如何ともしがたく、便利さという点からは少々劣るところもあったが、天井が高く窓に桟のあるゆったりした部屋でくつろぐのも悪くない、という新たな旅の経験として心に残ったのではないだろうか。午後のひと時、メンバーにはゆっくり休んでいただき、この日は夕食も自由にお取りいただくことになっていた。午前3時の起床、6時の航空便、そして空港でのガイドの遅刻と朝食が今一つさえなかったことなど正直なところ、あまりうれしくないこの日の午前であり、その疲れを癒していただくためにもこの日は、ゆっくり休んでいただき、明日、最後の一日を思い切り楽しんでいただこうとのプランであった。 私はというと、唐突であるが、冷蔵庫(ミニバー)探しが大きな仕事であった。日本のホテルや旅館では、冷蔵庫が備えられているのが一般的であるが、海外のホテルではお国柄、あるいは、そのランクなどもあって、ミニバーが置かれているのはまちまち、備えられていないことも珍しくない。このビルトモアも同様で、自室はもちろん、いずれの部屋にもミニバーは置かれていなかった。全くの個人的な話で恐縮であるが、訳を話させていただきたい。冷えたビールやジュースが欲しい、ということではなく持参していた脚の傷のための薬を冷温保存する必要があったというのが真相である。 実は、この年の4月中旬、朝の散歩の帰りに不注意から左下肢、通称、向う脛の右の方に1円玉くらいの擦過傷を負った。一週間もすれば治るだろうと素人考えで適当な傷薬を塗って過ごしていたところ、治るどころか次第に傷口が大きくなり、周りが化膿してきているようであり、痛みも増していた。止む無く、家庭医に診てもらって治療を受けていた。しかし、良くなる気配がなく、地域の中核病院の皮膚科へ紹介されて通院することになった。潰瘍気味へと進んでいたらしい。そのころには、傷が深くなっており、痛みも次第に増してきて、6月になると夜も眠れないほどの激痛に見舞われる始末であった。そして、この傷が治った後、皮膚移植をすることが必要になるかもしれない、とのことで大学病院のフットケア専科で診てもらうことになった。診断の結果、多分、2~3ヵ月かけて先ず傷を治して、その後、皮膚移植へと進めることになるであろう、とのこと。手術そのものはさほど複雑ではないが、移植した皮膚を定着させるためには安静が必要であり、そのための入院が3~4週間必要となるかもしれないとのこと。 そこで、主治医に申し出たのは、治るという保証はできないであろうし、治療にどのくらいの期間がかかるかも明確には見通しがつかないことはよくわかる。しかし、9月中旬に10日間ほど、米国出張予定があるので、それをお含みいただき、何とか対応してほしいと誠に勝手なお願いをした。このドクターは、30代後半くらいであろうか、お上手は言わない人であったが誠実な人柄が感じられ、私は全幅の信頼を寄せていた。努力はするけれど、患者本人も自ら治療するつもりでしっかりやるように、と淡々と説明し、同時に注文があった。内心、大いに気がかりであったのは、Doctor Stopを宣言されることであった。しかし、彼は、こちらの申し出には並々ならぬ理由があるのだろうと察したのであろうか、それへ向けておたがいに頑張りましょう、といった感じの意思を見せていただけ、とても力強く感じたし、嬉しかった。もし、医師からダメと言われても、自分自身の責任で痛さを我慢してでも飛び出すつもりではあったが、一番、気がかりであったのは添乗中に急激な悪化をした場合のことであり、現地の医療機関に診てもらうことになるかもしれない、という危険であった。かつて、フェニックスやLAでたびたび有名病院を見学しており、現地の様子も知っていたが、添乗中に患者としていくなどはおよそ許されることではない。 そのような必死の願いが通じたのであろうか、夏が終わるころには、傷も少し小さくなり、痛みもひところに比べるとかなりおとなしくなってきていた。そして、褥瘡や潰瘍の治療薬として、軟膏とは別に水溶液と白色粉末でつくるスプレー式の治療剤を毎日、患部に噴霧することとなった。この薬はそれまでの軟膏などに比べるとはるかに値段も高く、まだ、特許出願中とかで後発医薬品も出ていなかった。未使用段階では粉末と水溶液であるが実際の使用は粉末を水溶液に溶かして使うことになる。
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以後は、冷温保存が必要であり自宅では冷蔵庫にいれておいて毎日使うことになった。使い始めてしばらくすると、素人目にもよくなってきていることがわかるような気がした。そして、旅行中もこれを持ち歩き、毎日、丹念に自家治療するようにときつく申し渡され、これがいわば旅行に行ってもいいという条件でもあった。冷温保存するために、釣具店や量販店を歩き回っては、アイスバッグを探し、これに入れて携行することにした。ホテルに着くたびに、ミニバーがあればそこに入れて保存、なければアイスバケツで氷水を作り、これに浸すことにしていた。毎夜、自室に落ちついてやることは、入浴後に患部を良く洗い、ガーゼで拭い、件のスプレーを噴霧し、幹部の周りに軟膏を塗布することであった。 入浴するにあたっては、感染の心配もあるので浴槽には入らないように、と念を押されていた。従って、患部を滅菌布で覆い、浴槽の縁に足を乗せて身体を手で支えて湯に浸かることであった。腕にはかなりの重量がかかるし、滑ったりして、転倒すると一大事。何とも苦労しながらの入浴であった。左足が不自由な状態を自ら経験した10日間であった。 旅行中は、丹念にセルフケア&キュアに努め、お陰様で業務に差し支えることはなかったし、お客様にご迷惑をおかけすることはなかったと思っている。
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随分、長ったらしい言い訳になったが、そんなわけでビルトモアホテルでは自室にミニバーが備えられていなかったので、レストランの冷蔵庫に保管してもらおうか、アイスバケツで保存しようか、他に何か名案はないだろうか、とおもい、フロント係りに相談したところ、いとも簡単に「OK、We will bring a mini-refrigerator to your room!」とハウスキーパーに指示してくれた。15分くらい過ぎたころであろうか、ミニ冷蔵庫が部屋に届けられた。これまでずっと持ち続けてきたアイスバッグからスプレーを取り出して、これを冷温保存することができた。何ともあっけないほどの心地よいサービスであった。「生むは案ずるより易すし」とはこういうことを言うのであろうか。 (以下、次号とさせていただきます。 (資料 上から順に) ミレニアム・ビルトモア・ホテル (資料借用) 同上 ロビー (B-POP様 提供) フィブラストスプレー(使用前、粉末を水溶液と混合させてこれを患部に噴霧する) 部屋に設置してもらったミニ・冷蔵庫 (2017/4/4) 小 野  鎭