2017.05.31 小野 鎭
一期一会 地球旅160 地球の歴史を見に行こう リンデンハウス 秋の東北へ(2)

一期一会 地球旅 160

リンデンハウス 秋の東北へ(2)

肝心の「秋の東北へ」の旅行が計画されるまでの前置きが長くなっていることを申し訳なく存じますが今しばらくお許しください。 リンデンハウス寮長の中島様との出会いは、1992年11月、「ヨーロッパ障害福祉事情視察団」に参加されたことがきっかけであったことを前回述べたが、この旅行団について少し紹介させていただきたい。この旅行団の企画は財団法人日本精神薄弱者愛護協会(現公益財団法人 日本知的障害者福祉協会)であった。筆者は1970年頃から福祉や医療関係者の視察や研修旅行などを数多くお取扱いし、とりわけ知的障害分野(当時は、精神薄弱と呼ばれることが多かった)関連施設、家族、研究や教育関係などの行政、関連団体、専門家グループなどとのお付き合いが多かった。海外の施設や様々なサービスの見学や研修、国際会議出席などが多く、個人的にも大変興味深くかかわらせていただいていた。欧米の専門家とも面識が増え、視察プログラムなどを立案するときにはその面でもずいぶん助けていただいたり、幅を広げることができた。 1992年の視察計画は、ヨーロッパの主要国の中でもドイツと英国でそれぞれ3日ずつくらい集中的に視察することが検討された。そこで、ドイツでのプログラムは、ドイツ精神薄弱者育成会(日本での呼び方)と呼ばれていたBundesvereinigung fűr Menschen mit Geistigbehinderung e.V)に依頼することを提案した。この会の協力を求めた背景には、同会会長のDr. Tom Mutters の存在があったからであった。ここでまた話が遡るが、氏との出会いは1977年、インドのバンガロールで行われたアジア精神薄弱会議であった。筆者は初めてこの会議参加旅行の一団をお世話させていただき、滞在中、団員のお世話だけでなく各国の参加者とも知り合う貴重な機会を得た。会議はアジア各国の主要都市に於いて隔年ベースで行われ、幾度も旅行をお取扱いさせていただき、その都度、ドイツから参加しているDr. Tom Muttersと言葉を交わすことが多かった。アジアの精神薄弱分野にかかる会議であったが、70~80年代は各国ともこの分野での福祉サービスや研究・教育などはまだまだ整っているとは言えず、欧米先進国の専門家が様々な形で指導したり、助言を受けている国も多かった。アジアの会議でありながら欧米からの専門家が積極的に関わっていることを奇異に感じていたが、現実はそんなところにも起因していたのであろう。 筆者は、アジアだけでなく、むしろ、欧米各国のこの分野での視察が多かったのでMutters氏とも次第に親しくなり、彼からは機会があれば、自分が関わっているLebenshilfeにも来てほしい、と誘いを受けていた。そんな関わりから、1989年に北海道のグループを同会本部のあるマールブルクへ案内し、終日のプログラムで多くを学んでいただくことができた。一方で、私たちは、80年代までは、もっぱら西ドイツと呼んでいたが、89年に東西ドイツが統一され、当時、ムッタース氏は、旧東ドイツの知的障害者へのサービスの充実を図るために活発に活動しているとのことであった。
Lebenshilfeの本部は、多くの組織がそうであるようにいかにもドイツらしく(?)、首都のベルリン、あるはミュンヘンやフランクフルトなどの大都市ではなく、西部ドイツのヘッセン州、それも人口8万人ほどの可愛らしい町マールブルクにあった。とはいえ、この町は大学都市としてはドイツでもよく知られているアカデミックな古都である。ムッタース氏はオランダ出身と聞いていたが、第二次大戦後、国連からドイツにおける知的障害者への福祉を充実させるために様々な調査をしたり、地域行政や関係団体とかかわったりしているうちに自らこの分野のサービスを拡充するための組織を設立し、知的障害者の生活支援と就労、教育等に力を入れていくことを目指されたそうである。1958年に設立されたLebenshilfe (生活支援の意)がそれであった。この組織の活動は次第に西ドイツ各地へ広まっていき、地域やそれぞれの州の行政や地域サービスと協働しながら州レベルの組織ができていったそうである。日本でも次第に知られるようになり、その形態は、当時の全日本精神薄弱者育成会とも似通ったところがあり、日本ではドイツのこの組織を「ドイツ育成会」と呼ぶ人もあったと記憶している。 こうして、1992年のヨーロッパ視察団は、マールブルクに4泊して、Lebenshilfe本部での全体説明と市内及びそこから30㎞くらい離れたギーセン市(この町もまた学術都市、人口8万余)などでグループホームや重度障害児・者の施設、学校やデイセンター、療育施設などを見学していただいた。団員数が多かったのでグループホーム等の見学は、2,3班の少人数に分かれていくつかのタイプをご覧いただいたと記憶している。中島氏は、団員中、ひとしお熱心に学んでおられた。11月も下旬になるとドイツは夜明けも遅く、反対に夕方は4時頃には薄暗くなってくる。日中の気温は10℃足らず、朝夕は底冷えがして、コートの襟を立てたくなるが、団員は寒さも忘れて熱心に学んでおられたことを覚えている。マールブルクでの視察を終えて、週末はローマ、その後、ロンドンへ出てここでもさらに3日間のプログラムに臨んでいただいた。ここではMencap(当時の名称 : 英国精神薄弱者協会The Royal Society for Mentally Handicapped Children and Adults)の協力を得て現地視察が行われた。 こうして、中島様はこの研修で得られたヒントなどを加えられて、それから数年後、念願のグループホームを設立され、その名もリンデンハウス(菩提樹の家の意であろうと察している)と名付けられていた。その後、中島様とは直接お会いすることはなかったが毎年年賀状を交換することでご交誼いただいてきた。
昨年、2016年に頂戴した賀状には、「お陰様で開設して20年・・・とあり、寮生の皆さんとスタッフご一同が明るい笑顔で勢揃いされた写真があった。そして、1~2年のうちにドイツへ行けたら、と考えています。でも、そとの情況が心配で、というところです。と添えてあった。そこで、一度ご挨拶に上がりたいとお願いをして、日の出町にあるリンデンハウスをお訪ねしたのは昨年4月のことであった。中島寮長とご一緒に迎えてくださったのは、お嬢さんの翔子さん、25年前のあの視察旅行に参加された最年少、当時小学校3年生であった。その昔の視察旅行で受けられた刺激と示唆を様々な形で生かしながらこのグループホームの寮生たちの日々の生活をより、豊かなものにしたいと日夜努めておられるお話を伺った。そして、ドイツに行きたい気持ちはいつも持ち続けているが、昨今の不安な世界情勢を考えると現段階では考えるには無理がある。そこで、毎年、自分たちで計画している国内旅行について考えてくれないか、とのご相談をいただいた。  (以下、次号とさせていただきます。) (資料 上から順に) Marburgの町 (資料 借用) 2016年に中島様からいただいた年賀状 (2017/05/30) 小 野  鎭