2017.10.05
小野 鎭
一期一会地球旅 178 リンデンハウス 平和を願って広島へ(7)
平和記念式典会場はいつしかいっぱいになり、一般席の外側にある西側通路では会場に入りきれない人たちが幾重にも重なって立ち席として式典に臨まれることになっている。しばらくするとその西側通路のバリケードの向こうに立っている警備陣の緊張が更に高まり、静かになった。そして、白バイに先導されて数台の黒塗りの乗用車が入ってきた。安倍首相の到着であった。私たちの席からはかなり離れていたので表情まではわからなかったが遠目ながら視認 することができた。会場からは拍手と歓声が上がり、カメラやスマホをかざす人もたくさんいた。式典には時の総理大臣が出席し、世界平和への呼びかけを行うことが通例になっている。
午前8時、市内の中学・高校のブラスバンド部員から成る吹奏楽団の演奏と共に広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が始まった。最初に、人類の歴史上初めての原爆投下直後からこれまでに308,725人の命が失われたそうでその死没者名簿が奉納された。続いて、広島市議会議長挨拶、そして献花。市長始め遺族や被爆者代表、子ども代表、来賓として首相、在日各国大使館の代表などが慰霊碑に黙祷して花をささげた。 午前8時15分、参加者全員が起立して一分間の黙祷、だれもが平和への祈りと核兵器廃絶への願いを一層強くしながら頭を垂れたことであろう。特に、最近の北朝鮮のミサイル発射と核実験で緊張が高まっていることにその思いをさらに強くした人も多いと思う。
さらに広島市長の平和宣言へと続いた。毎年、この日はテレビやラジオで平和記念式典の様子を聞き、平和宣言を耳にしているが今回は原爆死没者慰霊碑の前でそれを実際に聴くことでさらに重みを覚えた。
「皆さん、72年前の今日、広島の空に『絶対悪』が放たれ、立ち上ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか」という呼びかけから始まった。「鋭い閃光がピカ―ッと走り、凄まじい放射線と熱線、ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇のあとに現れた景色のそこかしこには区別がつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍。その間をぬって、髪は縮れ、真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ、裸同然で剥がれた皮膚をたらし、燃え広がる炎の中で水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷した半裸の人で足の踏み場もない。まさに地獄です。」今朝通ってきた平和大橋から見た 平和公園の両側の河原いっぱいにその生き地獄が広がっていたのであろう。「『絶対悪』である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線被害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました」、そして、さらに続く。「このような地獄は決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用をほのめかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないのであり、惨たらしい目に遭うのはあなた自身かもしれません。」 中略。「今年7月、国連では核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう的確な決意が示されました。・・・・ 特に、『日本国民は、国家の名誉にかけて、全力を上げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う』と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。・・・・ 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々とともに『絶対悪』である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。」と結ばれた。
核兵器禁止条約には122か国から賛同を得たと聞く。一方、人類史
上初めての被爆国である我が国は、この条約の内容では不都合なところもあり(?)、加盟していない。もどかしい思いもあるが地球上、どこであっても核兵器は何としても廃絶してほしいと願う。
平和宣言が終わると同時に数十羽の鳩が放たれ平和記念公園の上に大きく舞い上がった。
式典には21世紀を担う子供たちの姿もたくさんあった。こども代表は市内の小学校6年生男女2人。彼らの「平和への誓い」も感銘深いものであった。
「原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。・・・ 昭和20年8月6日、午前8時15分、広島の街は焼け野原となりました。広島の街を失ったのです。多くの命、多くの夢を失ったのです。 当時、小学生であった語り部の方は『亡くなった母と姉を見ても涙も出なかった』と語ります。感情までも奪われた人がいたのです。大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。・・・・しかし、今、広島は人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。草や木があふれ、緑いっぱいの街になりました。平和都市として世界中の人に関心を持たれる街となりました。・・・
未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。一人一人の命の重みを知ること、互いを認め合うこと、まっすぐ、世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。広島の子どもの私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。」 彼らの純粋でひたむきな思いが少しでも多く人々と少しでも多くの国に届き、これからの日本、そして、平和な世界であって欲しいと願い、若い世代のことばに心を打たれる思いであった。
続いて来賓あいさつとして、安倍晋三内閣総理大臣、広島県知事、国連事務総長(代理)が登壇、核兵器保持による平和維持という神話ではなく、核兵器廃絶へ向けて英知を傾け、だれもが平和な日々の訪れが実現されるよう祈る、とあった。
最後に、合唱団 と共に参加者全員で「ひろしま平和の歌」を歌った。さわやかで歌いやすく、だれもが共感を覚える歌詞であり、メロディであった。こうして8時50分であっただろうか少しだけ予定より伸びたが平和記念式典は滞りなく終わった。空はさらに青さを増してじわじわと暑さが加わってきたがそれはすがすがしい暑さであり、心地よさもひとしおであった。(以下、次号へとさせていただきます。)
資料 (上から順に、写真はことわりのないものをのぞいて、2017年8月6日撮影)
〇 安倍首相へ向けてカメラやスマホを向けて伸びあがる人たち・・・
〇 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 プログラム
〇 広島平和記念式典を報じる当日の号外(読売新聞)
〇 平和記念公園に舞う鳩(資料借用)
〇 「ひろしま平和の歌」を会場全員で歌った。
(2017/10/4)
小 野 鎭