2018.02.01 小野 鎭
一期一会 地球旅 188 台湾の旅(3) 発端は高校の同窓会
今回の台湾旅行、発端は一昨年秋、高校の同窓会関東支部総会後の懇親会席上で出た話であった。福岡県立嘉穂高等学校は飯塚市にある。今は、かつてのキャンパスから少し郊外に移っているが、昔は市の中心部にあった。遠賀川(おんががわ)の支流である穂波川の河原に接し、広いグラウンドの向こうにはこの地では筑豊富士とも称されている忠隈炭鉱の秀麗な(?)ボタ山が望まれた。筑豊炭田といっても現代では語られるこ
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ともほとんどなくなり、特に若い世代では社会科で紹介されているかもしれないが、それ以外では聞いたこともないのではないだろうか。福岡県北部の筑豊盆地は江戸時代末期から石炭が産出され、特に明治、大正、昭和の前半にかけて日本一の石炭の産地であった。北九州工業地帯が四大工業地帯の一つとして発展した根幹の一つを成すものであった。世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に含まれている官営八幡製鐵所はその後背地としてこの炭田の存在が大きかった。   飯塚市は、筑豊盆地の中核地であり、嘉穂高校には市内はもとより、周辺の市町村からも徒歩はもとより、自転車、バス、鉄道で通学していた。今は、鉄道は筑豊本線や篠栗線、後藤寺線などがあり、他はほとんどバス路線に替わっているが昔は文字通り網の目のようにたくさんの支線があった。運ばれるのは、人はもとよりもう一つの主役は石炭であった。盆地内には大小たくさんの炭鉱があり、SL(蒸気機関車)が石炭をいっぱいに積んだ貨車を引っ張って走っていた。あの汽笛と白い蒸気、もくもくと吐き出される黒い煙を上げて力強く走る汽車は勇ましく、子供の頃はそれを眺めるのが毎朝の楽しみであった。貨車を引く機関車がいつ
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しか少しずつSLから黄土色をした箱型の煙を吐かないディーゼル機関車に変わり始めていた。石炭を運ぶのになぜ石油の機関車? 子供心に疑問を抱いていたが、世の中はエネルギー革命が進行し、石炭から石油に代わり始めていたのだということを知ったのは中学の頃であっただろうか。次第に石炭が使われなくなり、炭鉱が閉山され、筑豊盆地は不況が訪れ始めていた頃、私たちは卒業した。昭和35年であった。9クラス499名、内3/4が男子、1/4が女子であった。かなりの同期生が大学や専門学校、そして地元や関西、関東各地に就職していった。   余談であるが、だれもがそれぞれ金銭には代えがたい宝物を持っていると思うが、私にもいくつかあ
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る。その一つが高校の卒業アルバム、中を開くと、「卒業記念写真帳」という表題。今と違ってモノクロであるが重厚であり、校章、校歌に続いて先生方の写真、クラス と学生一人ずつの写真とクラブ活動や運動会と続き、女子のみが出かけた修学旅行の思い出もある。そして、最後に職員と学生個々の住所録がある。今と違って個人情報報保護法は無かった。今、筆者は旅行業に従事する一方で、専門学校で学科のクラス担任(キャリア・ガイダンス)を務めている。受け持っている学生諸君は間もなく卒業していくが、カラー刷りの豪華なアルバムが作られている。今の世代は「卒アル」と呼んでいるが、半世紀以上過ぎた今も、高校時代の卒アルは自分にとっては代えがたい宝物であり、それは時代を越えても多分変わらないであろう。   高校を卒業して半世紀余りというよりは60年近くになる。母校は同窓会活動が盛んで毎年一回地元で総会が行われ、他にも関東や関西、福岡などいくつかの地域で支部総会が行われる。同窓生としての絆、特に同期生同志の親交は第三者から見ると驚かれるほど深いものが多い。1960年に卒業した高校第12期生はその中でも最も活発な部類に属するかもしれない。2002年にこの同期生有志で還暦記念欧州旅行を実施、20数名の参加があった。これを機として旅行好きの仲間が集うようになり、それから隔年、あるいは毎年、ヨーロッパを主として、他にもタイ、そして国内へ出かけた。そのほとんどを筆者が旅行担当として務めさせていただき、今日に至っている。毎回、高校時代を懐かしみ、旅行先の風物と味を楽しんできた。しかしながら、気持ちは若くても加齢は如何ともしがたく旅行中も次第に健康談義が多くなり、観光地でも長距離歩行や坂道、階段などについては配慮を必要とすることが多くなってきた。そして2013年の英国がいわばエピローグとなっていた。ところがその後、旅行好きの仲間数名からもう一度くらい行きたいね・・・などの声が寄せられた。そこで、いくつかのプランを立てて打診してみた。結果は残念ながらグループを成立させるだけの人数は期待できず、断念せざるを得なかった。   そして、2016年の関東地区総会。関東地区にもかなりの同窓生が在住しており、引退者はもちろんであるが現役世代
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は様々な方面で活躍している。毎年、秋の会合には老若男女数百人が集っている。この時も同期生数名が参加しており、毎回のことながら過ぎ去ったはるか昔の学生時代のことや一方では近況を語り合ってお互いの息災を喜び合っている。そんな語らいの中で、旅行談義となり、同期会代表のK氏から、10日以上の長期長途ではなく、数日間の近場ならば、それなりの参加もあるのではないだろうか、との話があった。また同期会幹事のT氏は、台湾生まれで幼い頃日本に戻ったとのこと、台湾であれば現業時代に出張で行ったとか、個人的には観光などで行った仲間もあるだろうし、親しみが持てるのではないだろうか。それやこれやの前向きの話となり、それでは打診してみようと本格的に動き出したのが暮れから年明けのことであった。そして、どうやら10数名の参加が期待され、正式に呼びかけることになったのが昨年3月であった。 (以下次号とさせていただきます。)     (資料 上から順に)
  • ボタ山風景(忠隈炭鉱)、このころはすでにボタ(石炭と一緒に掘り出される石ころなど)はもう積み上げられず、使われなくなっていたかもしれない。手前は向町橋(資料借用)
  • SL(蒸気機関車)が石炭を積んだ貨車を力強く引っ張っていた。(資料借用)
  • 卒業記念写真帳 昭和三十二年三月 高校第十二回とある。
  • 同窓会総会案内(こちらは、平成29年版)関東地区、関西地区、飯塚総会
    (2018/2/1) 小 野  鎭