2022.10.10 小野 鎭
一期一会 地球旅 235 英国の伝統・文化と田園を巡る旅⑦

一期一会・地球旅(235) 英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ⑦

 
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エディンバラ城から眼下に目をやると整然とした新市街一帯が一望のもとに広がっている。旧市街とは対照的な美しさである。さらに、その向こうには、広大なフォース川の入江(Firth of Force)が広がっている。城からは直接には見えないがこの入江をさらに左に行くと、フォース橋がある。鉄道と道路の橋があり、鉄道橋は1890年に完成しており、産業遺産の造形美を誇るとして2015年に世界遺産として登録されている。同じころ、パリではエッフェル塔が建設されるなど、産業革命が一層進み、鋼鉄などがさらに普及し、近代産業が一層振興していた時代背景がうかがえる。鉄道橋は建設後、すでに130年を経ているが今も現役でエディンバラとハイランド地方を結ぶ鉄道として利用されている。現在では道路橋もありフォース川の入り江を越えるために自動車交通と鉄道の両方が使われている。 ところで、後で知ったことだが、フォース橋には日本との関係がある。英国の通貨は、スターリングポンド(UK£)であるが、法定通貨としてはイングランド銀行(Bank of Englandでポンド札が発行されている。加えて、スコットランドや北アイルランドなどでは、いくつかの銀行が20ポンド札などを発行している。法定通貨としては位置づけられていないそうだが、日本では、お札を発行しているのは日本銀行のみであり、それと比較すると興味ぶかい。スコットランド銀行(Bank of Scotland)発行の20ポンド札には裏面にこのフォース橋が描かれており、この橋の構造を3人の人物で表した絵が描かれていて真ん中に日本人が写っている。幕末から明治にかけて公的な派遣や私的にも日本の青年たちが英国やドイツ、フランス、アメリカなどに留学しているがそのうちの一人が渡邊嘉一、グラスゴー大学で建設を学び、卒業後フォース橋の建設に関わったそうである。
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3人の人物の内、真ん中に描かれているということはかなり重要な役割を担ったのか、それとも小柄であったので真ん中に置くことで写真写りが良かったのか。いずれにしても、日本人としては誇らしい思いである。なお、渡邉嘉一は、日本に帰国後、技術系で活躍し、後、東京石川島造船所(現IHI)の社長も務めたそうである。
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エディンバラの新市街は、18世紀後半に旧市街の人口増に対応するためにジェームズ・クレイグを中心に英国を代表する建築家が結集して調和のとれた街並みがつくられた。当時は、ギリシャ・ローマやルネサンスなどの様式への回帰が盛んになり、新古典主義という新たな様式が確立されたという。その中の一つ、ジョージアン様式が新市街には多く取り入れられている。
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新旧市街と旧市街の間にはプリンスィズ通りや美しい庭園などがあり、市民や旅行者の憩いの場になっている。谷間の低いところには英国鉄道が通り、ウェイバリー駅がある。新市街からさらに右に目をやるとカールトン・ヒルの丘がある。この日は、午前中で市内見学を終え、午後は自由行動であったのでここに行ってみた。丘からの眺めは、お城からとは違って市の全景を間近に眺めるのに打ってつけの場であり、北のアテネと呼ばれるにふさわしい風景が広がっていた。
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丘の頂上部には、ネルソン・モニュメントがある。1805年、トラファルガー沖の海戦でスペイン・フランス連合の艦隊に対して勝利を収め、ナポレオンの英本土上陸の野望を砕いたという。ロンドンの都心にある大きな広場がトラファルガー広場と名付けられた所以でもあろう。ネルソンは、イギリス艦隊の提督であり、戦闘に先立ち、兵士たちを鼓舞した信号旗の掲揚“England expects that every man will do his duty”(英国は、各員がその義務を果たすことを期待する。)は、現在も名文句として残る。(Wikipedia) この戦いで、イギリスは勝利を収めたがネルソンは銃弾に倒れ「神に感謝する、私は義務を果たした」と言い残して絶命したという。
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旅行を終え、ネルソンの功績を読み直して、トラファルガー沖海戦や日露戦争の日本海海戦などが語り継がれることについて改めて興味を持った。ネルソンよりも半世紀前にジェームス・クックは、太平洋に3回航海を行い、オーストラリア海岸に到着、ハワイ諸島を発見し、ニュージーランドのほか、北アメリカ大陸に隣接するニューファウンドランド島の海図を作製するなど、18~19世紀の英国海軍の存在がかくも大きかったことを再認識した。先頃、エリザベス女王の時代が終わったが、19世紀、ビクトリア女王の時代、世界中に領土を持ち、「大英帝国に日の沈むときはない」と言われたそうである。一方では、アメリカが巨大な経済力で世界中に影響力をもたらしたことなどと合わせて、英語が世界共通語と言われるようになっていった背景の一つはそこにあると思う。
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その日の夕食は、実質的にはこの旅行での出発祝賀と旅の無事を祈っての会食スタイルであった。この町でも名前の通ったレストランでのおしゃれな食事、仲間内の気楽な旅行ではあるが、旅の始めと終わりにひと時を優雅に過ごすのもこの旅行の楽しみの一つ。これまでに幾度となく話しては大笑いした高校時代のエピソードや卒業後40年余り過ぎてから始まった旅行グループでのあちらこちらでの思い出を語り合っては、また笑いが続く。最近ではコロナ禍だけでなく、次第に旅行そのものも容易にはできにくくなっている年齢になっている。この旅行から9年過ぎた今、写真を見たり、メモなどを開いてみると、当時は旅行の一コマひとこまが幸せそのものであったと思う。それらの旅行を毎回担当させていただけたことを改めてこの旅行仲間のみんなに感謝している。 この旅行でのエディンバラ滞在は、2泊で実質的には1日半であったが個人的にも実りの多いものであった。翌日、北部イングランドの湖水地帯(Lake District)のウィンダメアへ向かった。(以下、次号)   写真&資料(上から順に) エディンバラ城から新市街とフォース川を臨む(2013年10月5日撮影) スコットランド銀行発行の20ポンド札、右上に渡邊嘉一を含む3人 (株式会社IHIインフラシステム資料より) 新市街・プリンシズ通りの賑わい(2013年10月5日撮影) エディンバラ城からカールトン・ヒルを望む(2013年10月5日撮影) ネルソン・モニュメント(カールトン・ヒル) (2013年10月5日撮影) 大英帝国の領土(1601~1997年 Deviant Art資料より) 夕食会(Tower Restaurantにて 2013年10月5日撮影)