2023.03.20 小野 鎭
一期一会 地球旅 253 英国の伝統・文化と田園を巡る旅㉕
 一期一会・地球旅 253 
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ㉕ 
ロンドン その10 市内観光(8) 

 
ハイドパークと隣接するケンジントン・ガーデンズは地図を見ると一つの大きな公園に見えるが中ほどにウェスト・キャリエッジという通りがあり、これを境に2つの公園から成り立っている。ケンジントン・ガーデンズの奥まで入ったことはほとんどないが公園の南側に立っているアルバート公記念碑(Albert Memorial)は幾度か訪れている。この記念碑は、昨年崩御されたエリザベス女王に次いで英国では歴代2位の64年間王位にあったビクトリア女王が夫の死を悼みロイヤル・アルバート・ホールと共に万博の剰余金で建てられたゴシック・リヴァイヴァル様式で色彩豊かな建造物である。アルバート公は、ビクトリア女王の王配(国王の配偶者)であったが腸チフスにかかり、1861年に42歳という若さで早逝されている。女王夫妻の間には、9人の子女(4男5女)があり、アルバート公は出産と育児に追われる女王に代わって公式行事への出席などをこなし、事実上は君主の役割を果たされ、イギリスでの地位は王配殿下(Prince Consort)となっている。ビクトリア女王の銅像は各所にあるが女王が生誕されたケンジントン宮殿前の像にも威厳のある様子がうかがえる。 
アルバート公記念碑が建てられているところ辺りからハイドパークにかけての広大な地域はかつて1851年の万博(The Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations)が開かれた場所である。この会場は、今のハイドパークの南側に東西に延びるロッテンロー散歩道(馬を連れて散歩できる道であるが、元はThe Kings Private Roadであった)の南側に沿って細長くつくられた建物でその外見からクリスタルパレス(水晶宮)と呼ばれた。この万博の開催を中心となって推進したのが王立技芸協会会長のアルバート公であった。当時のイギリスは18世紀末から始まった産業革命により農業中心の伝統的な産業から工場での大量生産が幅を利かせるようになり進歩の一途をたどった世界の工場イギリスの繁栄が明らかであった。この万博を開催することでその圧倒的な工業力を世界に知らしめることになったのである。 
この万博には34の参加国があり、5月から10月迄141日間の会期中の入場者数は約604万人、これは当時のイギリス総人口のほぼ1/3,ロンドンの人口の3倍であった。これだけの人々が入場した背景には、国内的には印刷技術の進歩による宣伝効果や会場までの交通手段が鉄道網の発達により格段に進歩したことが考えられる。また、国外も同様で海上帝国のイギリスは定期蒸気船航路で南・北アメリカ、アジア・アフリカに分散する植民地を結び付けており、ロンドンは文字通り世界の中心として君臨していた。この万博の利益をもとにしてできたのが150年以上たった今もなおサウスケンジントン一帯に残るビクトリア・アンド・アルバートミュージアム、科学博物館、自然史博物館、ロイヤル・アルバート・ホールなどの文化施設である。1851年は他に、英仏海峡横断の海底電信ケーブル敷設、ロイターによるロイター通信創業など、現代につながる通信・交通産業が登場した記念すべき年となった。一方、この時代、日本についてみると1851年は嘉永4年、その2年後、ペリー艦隊が神奈川県浦賀沖に現れ、それから17年後に明治維新を迎えている。 

旅行業で興味深いことは、トーマス・クックがこの万博見物へ向けて安価な鉄道・馬車の交通費とロンドンでの宿泊代を組み合わせた旅行商品を売り出して、延べ16万5千人を集客して大成功を収めたことである。その後、55年のパリ万博から海外旅行を手がけ、さらにアメリカ大陸横断鉄道旅行やスエズ運河利用の船旅などを次々に成功させ、トーマス・クックは世界で最古の、そして、最大の旅行エージェントへと成長していった。 
水晶宮(The Crystal Palace)はJ・パクストン設計により、鉄骨とガラスで造られた長さ563m、幅124mの巨大な建物であり、プレハブ建築の先駆者ともいわれている。万博終了後は一度解体されたが、1854年にロンドンの南郊シデナムの丘においてさらに大きなスケールで再建された。ウィンターガーデン、コンサートホール、植物園、博物館、イベントホールなどが組み込まれた複合施設となり、多くの来場者を集めたが1870年頃から次第に人気が陰り始め、1909年に破産した。その後、政府に買い取られ第一次大戦中は軍隊の施設として利用され、戦後、一般公開されたが1936年に火災で全焼してしまった。(以下、次号) 
 
*  先だって、NHK BSプレミアムで「愛に生きた大英帝国の母、ビクトリア女王」NHK総合では「ミニスカートがやって来た! ツイッギー旋風とその時代」をやっていた。このところずっと書いているこの英国の旅にとってとても興味深くこれらの番組を見た。(2023年3月18日) 
 
        
(写真と資料、上から順に) 
資料(出典など) 
アルバート公記念碑(Albert Memorial):The Royal Parks 案内&Wikipedia 
アルバート公(Prince Albert of Saxe-Coburg-Gotha):Wikipedia 
Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations : The Royal Parks 
1851年ロンドン万博:博覧会 近代技術の展示場(国立国会図書館資料) 
水晶宮(The Crystal Palace) : The Royal Parks & Wikipedia 
トーマス・クック:世界史の窓(トーマス・クックの旅 本城靖久 講談社現代文庫) 
Thomas Cook : Thomas Cook : 
Extracted from Holiday Maker by Jill Hamilton (The History Press) 
写真 
アルバート公記念碑 :2013年10月10日 筆者撮影 
ビクトリア女王像 : The Royal Parks 資料より 
1851年のロンドン(万博会場位置図):Cross London Guide資料より 
 ロンドン万博 会場内部の様子 : Encyclopedia Britannica 資料より 
Thomas Cook 万博ツアー案内 : The Telegraph : Thomas Cook社資料より 
 再建されたクリスタル・パレス : Encyclopedia Britannica 資料より