2023.04.04 小野 鎭
一期一会 地球旅 255 英国の伝統・文化と田園を巡る旅㉗
 
一期一会・地球旅 255 
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ㉗ 
ロンドン その12 市内観光(10) 
 
ロンドンの市内見学はロンドン塔やセントポール大聖堂を除いて主要なところを回り終えたが、個人的には他に数か所、特に興味を覚えていたところがあったのでフリータイムに行ってみた。 
 
1つ目は、ウォータールー駅。テームズ川を渡った対岸、シェルセンターなどのその向こう側にある。南西イングランド方面へのターミナル駅で、地下鉄も数本乗り入れており、イギリスでも最大規模の大きな駅。この駅がつくられたのは1848年、中部イングランドで蒸気機関車による鉄道が完成したのが1825年頃だそうであるので、20数年の間にロンドン一帯まで鉄道網が敷かれていたということであろう。この駅に隣接して、イングランド南東部方面への列車が発着するウォータールー・イースト駅がある。さらにウォータールー駅の近くには、1853年から1941年まで、ブルックウッド墓地への直通列車であるロンドン・ネクロポリス駅があり、生きている旅客だけでなく、棺桶の輸送も行われていたそうである。ネクロポリスとはギリシャ語で「死者の町」を意味し、多数の墓地によって形成された古代の墓地を指している。ビクトリア朝の時代から第一次大戦始め多くの戦争での戦没者も多く、コモンウェルス(イギリス連邦)各国の戦没者も埋葬されており、英国最大であり、西ヨーロッパでも最大規模の墓地であるとのこと。 
 
パリやブリュッセルへの国際列車であるユーロスターが1994年に運行開始されたのでロンドン側のターミナルとして、国際駅ともなっていた。自分も漁業関係団体の添乗でこの駅からパリへ向かったことがある。乗車手続きは空港と同様、スーツケースを引っ張りながら旅券と乗車券を提示して税関検査を受け、プラットホームへ上がり、列車の入線を待った。パリまで3時間余り、航空便が1時間程度であるのに比べるとパリまでの所要時間ははるかに長いが空港までの往復や空港での待ち時間などを考えると、発着駅はパリもロンドンいずれも町の中心部にある。こちらの方がはるかに効率的で手軽で快適であったことを思い出す。2007年にユーロトンネル連絡鉄道の全線開業により、ロンドン側の発着はセントパンクラス駅へ移転されたのでウォータールー国際駅は役割を終えていたとのこと。 
この国際駅に通じる地下道(リーク通りLeake Street)では、バンクシーが2008年に世界中のストリート・アーティストを集めたエキシヴィジョンを開催した。これをきっかけに注目されるようになったこの通りは「バンクシー・トンネル」「グラフィティ・トンネル」とも呼ばれるようになったそうである。自分は、そのことを知らずにこの地下道のなんともすさまじい落書きを見て驚いたが、その経緯を知らなかったことが残念であり、恥ずかしい。今では、ロンドンでも新しい見どころの一つになっているらしい。 
 
ところで、この駅の開業時の駅名は、「ウォータールー橋駅」(Waterloo Bridge Station)、駅の北側のテームズ川に1817年に架けられた橋が、ワーテルローの戦い(1815年、英語読みがウォータールー)でイギリスが勝利したことに因んでいる。この後、1886年にウォータールー駅へと改名された。ユーロスターの営業開始後、フランス側からこの駅を改名してほしいという要求が度々あったという。ウォータールーの駅名はナポレオンが敗北したワーテルローの戦いに因んでいたからである。ユーロスターがセントパンクラス駅での発着に代わる前後の時期には、ナポレオンが群衆に向かって「Oubliez Waterloo」(ウブリエ、ワーテルロー!=ワーテルローは忘れろ!) と宣言する姿を描いた広告がユーロスター運行会社によってパリを中心に新聞や駅などに掲出されたそうである。 
 
この駅は、その歴史的変遷から増改築が繰り返されてきたからであろうか駅の構造の複雑さは多くの作家やコメディアンによってジョークの対象になって来たそうである。ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人」という話では、この駅で目的とする列車がどこから発車するのか、どこ行きか、どこで見つかるかわからなかったことが多かった、とある。日本でも、松本清張の「点と線」では、「特急列車あさかぜ」の東京駅の発着時刻とプラットホームのことがアリバイ崩しの核心になっていたが、駅と発着時刻は洋の東西を問わずよく出てくるテーマらしい。但し、個人的なことを言わせてもらえば、新宿駅の複雑さと人の多さとは比較にならないのではないだろうか。JR新宿駅と接続する私鉄各駅の乗降客数を合計すると一日300万人以上でギネス記録となっており、ウォータールー駅の複雑さと混雑ぶりはほほえましい、と言っても良いかもしれない。 
 
もう一つ、この駅の中央ホールは天井も高く、広々とした大きな空間があり、名物の大時計が吊り下がっており、その下が待ち合わせ場所として親しまれてきたそうである。東京駅八重洲口の銀の鈴や新宿駅西口交番前、何と言っても渋谷駅のハチ公前など、待ち合わせ場所として親しまれてきた。しかしながら今や携帯電話の世界、待ち合わせ場所を指定することも必要なくなってきているのではないだろうか。 
この駅と地下鉄駅の間には「動く歩道」が有るので分かりやすく、移動しやすいがベルトのスピードが速く、しっかり手すりにつかまって通り抜けたが、ここではそれでもせっかちの人が多く、そのベルトの上を忙しく闊歩していく人も多かった。エスカレーターや動く歩道ではじっと立っていることが我慢できず、忙しく歩いていく人が多いのは日本だけではなさそうである。 
最後に、この駅の元の名前は、ウォータールー橋駅(Waterloo Bridge Station)で 駅の北側にかかるWaterloo Bridgeに因んでいた。当時、この橋は瀟洒なつくりであった。1940年につくられたアメリカ映画「哀愁」の舞台ともなっており、日本でもよく知られている名画である。ところが、今のウォータールー橋はその後、架け替えられて1954年に完成したコンクリートの大きな橋。ガイドは、「哀愁」の舞台となっていたのは昔の橋で、今は、この大きな橋で交通量も多く、ロマンを感じることは無さそうです、などと説明することが多かった。勿論、自分はリバイバルでこの映画を見ているが、今では、この映画を話題とする人も少ないかもしれない。今もガイドはこの橋と映画のことを紹介しているのだろうか。(以下、次号) 
 
(写真と資料、上から順に) 
資料(出典など) 
ウォータールー駅(Waterloo Station) : Wikipediaより 
ブルックウッド墓地(Brookwood Cemetery) : Woking Borough Council 資料より 
 リーク通り(Leake Street) : Leake Streeet資料より 
 ウォータールー橋(Waterloo Bridge) : Wikipedia資料より 
 
写真 
ウォータールー駅中央ホール(時計が下がっている):2013年10月11日筆者撮影 
Brookwood Cemetery : Commonwealth War Graves Commission資料より 
 リーク通りに到るトンネル(この日も描いている人がいた) : 
2013年10月11日筆者撮影 
 ウォータールー地下鉄駅との連絡通路の動く歩道 :2013年10月11日筆者撮影 
テームズ川とウォータールー橋 : Wikipedia 資料より