2023.05.08 小野 鎭
一期一会 地球旅 260 カナダの大自然と遊ぼう4
  一期一会・地球旅 260 
 カナダの大自然と遊ぼう ④ バンクーバー②  

 

 病院までは、タクシーで数分であった。午後からの雨は本降りになっており、風も加わっていた。病院の玄関先では、傘なしでは歩けぬほどであった。昼前、グランビル・アイランドでの散歩中に転倒され、手首辺りから前腕にかけて傷められ、次第に痛みが増してきたとのことであった。寒さも加わっており、お客様はさらに痛みが増していたようで、大事に至っていないことを祈って病院の受付を訪ねた。St. Paul’s Hospitalはレンガ造りのクラッシックなつくりでかなり古い病院らしい。市内中心部にある非営利の中規模病院で一般市民は勿論、旅行者も診てもらうことが出来るとのこと。予め、ホテルから電話してあったので、すぐ救急外来で受付をしてもらえた。しかしながら、実際に診療してもらうまでにはそれからしばらく待たされた。昼間の診療時間は終わっていたので外来待合室には患者とその家族らしい人など数名がソファーに座っていたが、いずれも沈鬱そうな様子であった。カナダ国民ではないためカナダの健康保険などに入っていないのは当然であるが、旅行中のケガなどで医療機関を受診する場合は、海外旅行傷害保険に加入しているかどうかが肝要であった。昔は、旅行会社としてお客様全員に旅行傷害保険をご案内し、ほとんどの方がそれに加入されていたが、歳月を経て、昨今では、保険会社を紹介してご自分で保険に加入される、または、クレジットカードを使っているので海外旅行をする場合は、そのカードに保険が付保されていることが多いので改めて保険には加入しない、と仰る方も多くなっている。今回は、お客様ご自身で海外旅行傷害保険に加入しておられたのでこの病院の受付でもそのことを申し出られ、保険会社には予め、転倒してこれから病院に行くことについて連絡を済まされていた。 
  1970年頃から2000年代まで30年あまり、医療あるいは看護事情視察団などのグループを数多くご案内して欧米を回っていたし、当然カナダもトロントやオタワ、そしてバンクーバーはVancouver General Hospital(バンクーバー総合病院)なども訪れていた。見学に際しては通訳も兼務することが多かったので海外の医療の仕組みであるとか医療事情はかなり詳しかったと自負しているが、それからはすでに20年以上が過ぎている。今回のSt. Paul’s Hospitalは初めてであった。加えて、これまでは医師や看護師などの医療・看護の専
 門家の視察団を案内しての訪問であるが、今回は患者の付き添いとして来ているわけで心理的にはかなり違ったものがあった。これまでにもアリゾナのフェニックス、英国のロンドン、スイスのジュネーブやルツェルンで同様の経験をしており、専門家チームをご案内したことが役立ってはいるが、いつの場合も病院にかかるというのは精神的にもかなり負担を覚えるものである。アリゾナ州フェニックスの場合、公的訪問をした大型の医療施設であり、その日の夜、その病院の救急外来に行くことになったので、受付でそのことを伝えたところ、Registration Form(診療申込書)の上部に「Visitor – VIP」と朱書されていたことを思い出した。 
 
  いろいろなことを思い出しながら待つことしばし、やっと診療が開始され、先ずはレントゲン写真の撮影、その後しばらくして、整形外科の医師から前腕(手首からひじの部分)に軽度であるが骨折しているとのことで腕の炎症を抑えることと、骨折部分が悪化しないようにギプスをすること、旅行中は無理をしないこと、帰国後早いうちに継続治療を受けるようにとのことなどの説明があった。それらの説明を受け、そのことに同意され、炎症防止の投薬、ギプス装着という手順が進められた。ギプスをした人はよく見かけるが自分自身はこれまでギプス装着は未経験であり、どうやって作業するのかわからなかった。やがて、ギプスの材料としてネットパッド、ロウのようなドロッとした粘着した液体(水硬性樹脂を含んだガラス繊維だとか)などが準備され、かなりの時間をかけて装着作業が進められた。今回の場合、お客様ご自身、英会話はかなり達者であったので必要なところのみ通訳をお手伝いしながら、それでもずっと同席して一緒に説明を聴き、これから後の旅行中、容態が悪化しないように添乗面からも留意しなければと思ったことであった。 
 
 ギプス装着が終わったのは1時間後くらいであっただろうか、明日当地にもう一泊、その後、カルガリー~バンフと回り、1週間後に帰国するので診断書をいただきたいと申し入れ、今後の注意事項などを聞いて応急処置が終わった。受付でお客様ご自身がクレジットカードを使って医療費を支払われ、正式な領収証と診断書は翌日小野が受け取りに来るので準備しておいていただきたいと伝えて、病院を出たのは深夜に近い時刻であった。雨はほとんど上がっており、帰路は慌てることもなかった。お客様は気丈な方で泣き言を言われるでもなく、明日は皆さんと一緒にツアーに出かけます、とのこと。 
 
  お客様は、旅行中は無理をされないように三角巾で腕を保護され、皆さんと行動を共にされた。片腕が使えないことで不便はおありであったが、さほど痛みは起きなかったとのことでそれは不幸中の幸いであったと思う。後日譚であるが帰国後かかりつけの医療機関を受診し、完全復調を目指された。保険会社への手続きも順調に進められたとお聞きしている。(以下、次号) 
 
(写真と資料、上から順に) 
セントポールズ病院 : Saint Paul’s Hospital 資料より 
 バンクーバー総合病院(屋上のヘリポートも見学 1996年10月15日) : 
全国社会保険協会連合会 海外看護事情視察団報告書より 
 グッド・サマリタン地域医療センター(米国・アリゾナ州フェニックス 昼間は公式訪問、夜間は緊急外来受診へ1993年10月21日):全国社会保険協会連合会 海外医療事情視察報告書より