2023.06.05 小野 鎭
一期一会 地球旅 264 カナダの大自然と遊ぼう8
 一期一会・地球旅 264 
カナダの大自然と遊ぼう ⑧ カルガリー ① 
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 バンクーバーからカルガリー迄は空路で1時間半程度であるがBC州とアルバータ州には時差があり、着いたのはお昼を回った時間であった。カナディアンロッキーの東側からプレーリーと呼ばれる大平原に南北に広がるこの州はアメリカのモンタナ州と国境を成しており、面積は約66万㎢、日本の国土の1.75倍に相当する。とにかく広いが州の総人口は約400万人(2016年)、東京都の総人口の1/3程度だそうである。ロシアに次いで世界で2番目に広い国土を持つカナダであるが、総人口のかなりの割合がアメリカ合衆国との国境から100マイル(160km)以内の範囲に居住しているとある。大きな都市も西からバンクーバー、カルガリー、ウィニペグ、トロント、オタワ、モントリオールなどがアメリカとの国境に比較的近いところに並んでいる。 
 
 アルバータ州の州都はエドモントンであるが、そこから南へ300kmにあるカルガリーが物流と経済の中心になっており、こちらが州内最大の都市となっている。カルガリー都市圏の総人口は約140万人、州全体の35%となっている。カナダ西部のこの広大なプレーリー地域を欧州人が探索し始めたのは17世紀中ごろであり、やがてフランス人などが入植し始めた。1870年にカナダ太平洋鉄道が開通し、この地域に地方政府が創設された。この地域は3つに分けられ、その一つがビクトリア女王とアルバート公の娘ルィーズ・キャロライン・アルバート王女の名前にちなんでアルバータと名付けられた。その後、アルバータが自治領としてカナダに加入したのは1905年であった。 
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 1883年にカナダ・太平洋鉄道の駅が今のカルガリーにつくられたことで周辺の農業・商業の中心として成長してきた。1947年にこの近くで石油が発見されて、オイルブームが訪れ大きく町は発展した。しかし、1981年頃から原油価格の低下など石油産業の低迷からカルガリー経済は鈍ってきた。その後、石油と天然ガスに依存した体質からの脱却が図られ、金融、観光、ハイテク等の経済と文化が多様な都市へと移り変わっていった。これにより、この町は草原の都市から国際的な大都市へと変貌を遂げた。1988年、カナダで最初の冬季オリンピックが開催され、カルガリーは世界の表舞台へと登場するきっかけとなった。今日も石油と天然ガスは市の経済の大きな部分を占めているが、他の分野の発展にも力を入れており、観光産業は成長分野の一つとなっている。カルガリー・スタンピード、マウンテンリゾートとしてのバンフ、レイク・ルィーズやキャンモア、カナナスキスなどへの基地、製造業、映画、運送業、幅広い製造業なども成長が期待されている。 
 9月19日午前、バンクーバーでの出発はホテルでストライキ、送迎バスが来なかったなどのトラブルがあったが、その後は順調に進み、カルガリーには予定通りお昼に着いた。空港にはローカルガイドと大型のバスが待機していた。空港から町までは30分足らず、先ずは、町の中心部を流れているボウ川の中の島であるプリンス島公園にあるRiver Caféで昼食。お客様は、朝のバンクーバーでのトラブルからやっと落ち着き、お昼を楽しみ、気持ちも和らいだことと思う。この後、中心街やイーストビレッジなどを回り、ホテルにチェックイン、この日は早起きしていただき、慌ただしい移動日となったので早めにホテルに入り、その後はフリーとさせていただいた。夕食などを準備するためにスーパーマーケットに行って買い物を楽しまれるとか、中心街を散歩されたグループもあった。オフィス街に近いホテルであったので夕方6時を過ぎるとところどころにあった商店も閉まり、街中には人影もほとんどなくなる。中心街を散策されたメンバーなどに0は勝手が違ったというのが正直な印象であったかもしれない。明日はいよいよバンフへ向かうということで大いに期待していただきたいと願いつつ、私も早めに自室へ入らせていただいた。なお、この日、来てくれていた大型バスが明日以降、バンフ滞在中も稼働してくれることになっているとのことで心強い思いであった。(以下、次号) 
 
(写真と資料、上から順に) 
アルバータ州の位置 Wikipediaより 
アルバータ州での石油採掘の様子 アルバータ州石油産業統計より 
カルガリー中心部とボウ川の流れ Wikipediaより 
River Café での昼食 2019年9月19日 筆者撮影