2024.06.10
小野 鎭
一期一会 地球旅 315 ビルマ(ミャンマー)の思い出 3
一期一会・地球旅 315
ビルマ(ミャンマー)の思い出(3)
74年2月のビルマ(現ミャンマー)訪問で宿泊したのは、ラングーン(現ヤンゴン)のインヤ・レイク・ホテル(Inya Lake Hotel)であった。当時、市内では都市の整備もあまり進んでおらず、古い建物や小さな建物が多かった。市内には小さなホテルなどしかなく、30名もの大型のグループがまとまって宿泊するには、上記ホテルが良いのではないかと在ビルマ日本大使館からも紹介があったと聞いていた。中心街から少し離れたインヤ湖(Inya Lake)のほとりに建っており、当時としては、高級の部類に入っていたと思うが、ここに5泊した。今では、ヤンゴン市内にも在外資本などによる中・上級ホテルがかなり紹介されているので平時であればそれほど困らないかもしれない。 そのうえで、一般の旅行であっても宿泊するにあたっては、快適さもさることながら安全性が最重要視されるのではないだろうか。
ところで、件のホテルであるが、滞在2日目の夕方、学校等訪問を終えて帰館したところ、ホテルのゲート付近は武装した兵隊であろうか物々しい警備が行われていた。一方では大きな岩石などを積んだトラックが次々に入り、ホテルの邸内に大小の岩石が陳列されていた。フロントに聞いたところ、Jewel Fairが開かれるとのことで、最初は何のことかよくわからなかったので詳しく尋ねたところ、これから数日間にわたって宝石市(Burmese Gems Emporium)が開催されるとのことであった。
この国は、ルビーやサファイアをはじめ、翡翠(ヒスイ)など多くの宝石(Gems)を産することで知られており、宝石類の採掘と販売は国の方で管理されている。この時も、世界中から宝石類のバイヤーなど業者や関係者が来ており、宝石市が行われるということであった。原石の展示と売買のための商談などが行われるらしい。原石は、大小あり、いわゆる石ころサイズのものから人の腰の高さくらいまである大きなものなどが整然と並べてあった。いずれも原石であって、製品としては、別にホテル内の特別室に厳重に保管され、陳列されていたのであろう。前述したように宝石の採掘と販売は国家による管理が行われており、現在は、MGE(Myanmar Gems Enterprise)という組織が設置されているとある。因みに、今はヤンゴン市内にGems Museum (宝石博物館)があり、ルビー、サファイア、真珠、ヒスイなどが展示されているほか、82店の宝石店が入っていると説明がある。この国にとっては、国家財政の一端を担っているのであろう。
ホテルの敷地への入り口では、厳重な警戒が行われており、入館検査が行われていたが、いざ入館してみると、建物の周りに陳列されている原石の保管管理にあたっては、ところどころに警備担当の兵士などが銃を携えて立っており、宿泊客などが少し離れた
ところから見物するとか、写真を撮ることは大目に見られていたらしい。事実、私たちの団員諸氏は興味深く見物している人もあり、筆者自身も写真を撮ることができた。宝石の種類と品質、どのくらいの精度で含まれているかによって、値段も違ってくるのであろうが、人の頭ほどの大きさのものであれば、果たしていくらくらいになるのであろうか? 下世話な話で恐縮であるが、あの大きな原石一個で家一軒を買えるほどの値段であったかもしれない。
学校見学などの傍ら、市内見学もあった。ビルマ(ミャンマー)国民の85%は仏教(上座部仏教)の信者と言われ、ラングーン(ヤンゴン)市内の象徴ともいえるシュヴェダゴン・パゴダは、黄金の大きな仏塔の美しさに圧倒されるほどであった。境内には、一日中祈りをささげている敬虔な市民の姿があった。この国の穏やかで信心深い人たちの優しい笑顔が思い出されるが彼らも国軍の弾圧で不幸な犠牲になっていたかもしれない。それを思うとテレビなどで流されるニュースを見るたびに心が痛む。
この項を書いている最中に、「ミャンマー軍 スー・チー氏を首都の刑務所から移送か」 というニュースが報道された。(NHK総合ニュース 2024年4月17日 17時05分) 「ミャンマーで実権を握る軍が、クーデター後に拘束している民主派指導者のアウン・サン・スー・チー氏を刑務所から移送したと、複数のメディアが伝えました。移送先などは明らかになっていませんが、スー・チー氏の処遇改善で軍への批判を和らげたいねらいがあるものとみられます。ミャンマーの複数のメディアは、軍によって首都ネピドーの刑務所に収監されていたアウン・サン・スー・チー氏が別の場所に移送されたと16日に伝えました。
ミャンマーは気温が最も高い時期で、軍の報道官は「熱中症から高齢者を守るため予防措置をとった」として、スー・チー氏に限った措置ではないと説明しています。
現在、78歳のスー・チー氏は、軍による非公式な裁判で汚職などの罪で有罪判決を受けて25年以上の刑期が残っていて、健康状態の悪化が心配されています。
スー・チー氏の弁護団によりますと、これまで収監されていた刑務所には冷房がなかったということですが、「移送については軍からの返答はない」としていて、どこに移送されたのかや、詳しい状況は明らかになっていません。
ミャンマーでは、ことし2月に徴兵制の実施が発表されて以降、軍に対する市民の反発が一段と高まっていて、スー・チー氏の処遇を改善することで、軍への批判を和らげたいねらいがあるものとみられます。」 (以上、NHK ニュースを転載)
ミャンマーの青年たちが国軍の兵士徴用から逃れるため、タイとの国境などに隠棲し、川を渡ってタイに逃げ込むとか、一方ではバングラディシュなどに難民として逃れていく人たちなど、この国で住んでいくことの困難さが報道されている。民主化への動きがある中で国軍は自国の住民に対して厳しい弾圧をしていることも伝えられており、聞いているだけでも、何とも気の毒な話である。この国に、一日も早く和平が訪れて市民が安心して過ごせるヤンゴン市内であり、ミャンマー国内であってほしいと、願っている。(ミャンマーの思い出 今回で終了)
《資料》
・スー・チー女史移送に関するニュース :NHK総合ニュース 20240年4月17日 17時05分、報道
《写真》上から順に
・インヤ・レイク・ホテル(旧ラングーン市内) 1974年2月 筆者撮影
・インヤ・レイク・ホテルで展示されていた宝石の原石 同上 筆者撮影
・ヤンゴン(旧ラングーン)市内のシュヴェダゴン・パゴダ 同上 筆者撮影
・アウン・サン・スーチー女史 NHK総合ニュースより