2024.07.01 小野 鎭
一期一会 地球旅 318 オーストラリアの思い出(3)メルボルン3 児童福祉海外研修
一期一会・地球旅 318 
オーストラリアの思い出(3)メルボルン3 児童福祉海外研修 
 
 オーストラリアは、1974年が初めてであったが、自分の添乗経験から言えば、39回目のそれであった。70~80年代、日本の高度経済成長時期、日本からは様々な分野で海外視察や研修団がたくさん派遣されていた。それまでもそれ以後も欧米諸国への添乗が多く、当時の社の営業上の結果でもあるが、訪問国は所謂先進国で特に欧米が多かった。オーストラリアやニュージーランドも先進国の仲間であったが、依然として欧米の方が多く、社でお世話したお客様は、やはりそれらの国々を見たいと希望される方々が多かったということであろう。
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 さて、1974年の教育事情視察団の報告書には、この国を訪れて感じたことについて興味深い記述がある。団員のお一人のS氏が書いておられる。「英語以外は全くと言ってよいほど言葉の通じないこの街(メルボルン)で、我々は、新たな戸惑いをすることになった。オーストラリアは、18世紀に英国領となって以来、一貫して白人だけの社会(White Australia)の建設に努めてきた。日本の面積の20倍以上の大陸に現在も1300万足らずの人が住み、資源・産業の開発のための労働力の不足に悩みながらも、文化の均一性の保持を建前として、白人以外の移民は認めない国である。批判もあろうが、今はふれないことにしよう」とある。 一方では、それから数年後、この国は、多文化の時代へと大きく変わっている。「20世紀半ば、アジアの国々の経済成長とアジアの貿易が増加、また、世界からも白豪主義が人種差別であると非難され、1979年に移民制限が撤廃されて以後、各国の移民を受け入れるようになり、現在のオーストラリアは様々な文化を多く受け入れ、尊重する『多文化主義』と呼ばれる政策がとられている。」(白豪主義から多文化主義へ : NHK for School, 2023/02/07) 
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私が最初にこの国を訪れたころは、言うところの白人以外の移民は認めない時代であったが、その後、2度目に保育関係視察で訪れた1979年に、移民制限が撤廃されている。次いで訪れた1981年、メルボルンには中国系やアフリカ系などの人々もいっそう多く目立つようになっていた。その時のガイドに言わせると、メルボルンはシドニーなどよりも保守的でイギリスの伝統を受け継いでいると言われているが、それでも、この町には、ギリシャ系の人々も多く、ギリシャのアテネに次いで、ギリシャ語が多く聞かれるメトロポリス(100万都市)でもあると案内していた。1980年代のことであるが、まさに多文化そのものであり、一括りにはできない大都市の一面でもあるのだろう。 
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3度目の訪豪は児童養護施設職員の研修団の添乗であった。白人優先の社会が続いていたこの国であったが、移民制限が撤廃され、世界中からの移民が入り、新たな社会問題も増え、さらに複雑になっていったのであろう。研修団派遣の実質的な主催団体は、財団法人資生堂社会福祉事業団であった。この時の報告書の主催者側のあいさつ文には次のような記述がある。「80年代の我が国における社会福祉の動向は、施設の地域化・小型化であるといわれていたが、もとより、重要なことは施設の児童養育のすべてに向かうことでなく、施設児童に対して如何に望ましい養育が保障でき、それを如何に実践すべきである。今回の海外派遣研修は、このような背景をもって、要保護児童の養育形態、及び地域家庭崩壊・親子分離の防止に先駆的な活動と実績を積んでこられたオーストラリア・メルボルンのセント・ジョンズ・ホームズを中心とした3都市12施設の調査研修を行う」とある。(昭和56年度=1981年度 資生堂児童福祉海外研修団報告書 あいさつ文から抜粋)
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 株式会社資生堂は、創立100周年記念事業の一つとして、1972年に財団法人資生堂社会福祉事業財団を設立された。福祉施設職員への国内外の研修、児童福祉に関する学術研究の振興や海外施設情報の収集・発信等を主な活動としてスタートを切った、とある。その後の時代の変化、子どもたちを取り巻く環境の変化に応じながら、先ごろ財団の創立50周年を機に、「公益財団法人資生堂子ども財団」へと改められている。事業の一つである海外研修は、1972年の第1回から2023年まで48回実施しておられる。(資生堂子ども財団のホームページより) 私が勤務していた明治航空サービス(株)は、1980年度から1998年度まで19年間にわたって研修団の旅行業務を担当させていただき、そのうち7回は私自身が添乗し、英語圏での研修はたびたび通訳業務も務めさせていただいている。それだけにこの研修団への思い入れは大きく、当時からはかなり歳月が経ってはいるが長年にわたって旅行業務を担当させていただいたことに対して改めて資生堂子ども財団様へ心からの感謝を申し上げます。 
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 第1回研修団から欧州など各国の児童養護施設などを見学してこられたが、より効率的に一か所で集中的にもっと深く研修することとして、全体の流れをそれまでのやり方を1980年に大きく変えられた。それがアメリカのコロラド州都デンバーに1週間滞在してのプログラムであった。そして、この年の旅行業務の担当が私共であった。この時は、同地在住の児童福祉にも明るいH・S氏が主たる通訳者であったが、私も部分的に担当した。特に州の少年裁判所では法律や児童養護に関する難解な専門用語がたくさんあり、脇の下から冷や汗を流しながら必死に着いて行ったことが思い出される。その後、デンバーは幾度か訪れたが、コロラド州議会議事堂を見るたびにあの建物の中にあった裁判所が懐かしく思い出された。これが私にとって資生堂財団様の海外研修団をお世話させていただいた初の経験であるが、本論はこれから、ということで翌年のオーストラリアでの研修について次号で紹介させていただきたい。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・シドニーのオペラハウスは、1973年に完成していた。(2007年、世界遺産登録):1974年2月 筆者撮影 
・シドニーのハーバーブリッジにて、1974年 全社協保育事情視察団 1979年1月 
・メルボルンのセント・ジョンズ・ホームズのグループ・ホーム見学 (1981年度 研修団):1981年11月 
・ウィーン S.O.S.子どもの村 ヒンターブリュールのコテッジ見学(1992年度 研修団):1992年9月 
・デンバーでの集中研修終了後、ロッキー山脈のヴェイルにて(1980年度 研修団):1980年9月 筆者撮影