2024.09.24 小野 鎭
一期一会 地球旅 329 オーストラリアの思い出(14)タスマニア3
一期一会・地球旅 329 
オーストラリアの思い出(14)タスマニア③ 
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 1985年のタスマニアでの思い出としては、ほかにもある。ホバートだけでなく、島の北側の数か所で施設見学などを終えて、もう一度、ホバートへ戻り、さらに研修が続いた。そして、週末の一日、ポートアーサーへの遊覧があった。島の東南部は複雑な海岸線が続くフォレスティエール半島さらにその先がタスマン半島となっていて、その先端部の入り江に小さな港町ポートアーサーが位置している。ホバートの中心街からすぐにダーウェント川にかかるタスマン橋を渡り、少し走るとケンブリッジという町が見え、それを過ぎると車窓には民家なども少なくなり、牧場や草地が広がってくる。牧場には牛たちもいるが何と言っても牧羊地が多く、それも次第に林地に変わっていき、人里離れた風景が広がっていた。フォレスティエール半島を抜け、さらに走るとEaglehawk Neck なる地峡をわたってタスマン半島に至る。地名に興味を覚えて調べてみたところ、やっと見つけた単語は、オオイヌワシと書いてあった。タスマン半島がこの鳥の頭部になるということであろうか。ホームページを見ると、今は格好の観光地として紹介されている。
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 少し走ると、入り江に面してポートアーサーの町が位置している。先に書いたように、タスマニアへのヨーロッパ人の入植は、1803年が最初であるが、当時のイギリスは産業革命が続き、羊毛需要に支えられて、この地でも牧羊業が発展した。さらにポートアーサーについて、Wikipediaを見ると、一方では開拓を進めるために先住のアボリジニと白人の衝突が増え、これをせん滅する方向へと進んでいったとそうである。白人主体の乱暴な話であるが次第に彼らをタスマン半島へと追いやってこれを「捕獲」する作戦を展開したとある。説明を読んでいると、そんな時代もあったのかと、白人の横暴さに憤りを覚えずにはいられない。1830年頃、この町は木場として開拓が始まった。さらに、1833年に流刑植民が始められ、間もなく少年刑務所が建設された。1833年から1855年にかけてこの地はイギリスが設けた流刑植民地の中でも特に厳格な保安体制を敷いてきた。このあたりは狭い地峡でつながっているため、この地を守れば本土と陸路でつながるため、この地を守っておけば陸路でタスマン半島から本土ヘのそれ以外には移動手段は絶たれるため、哨戒灯と哨戒犬を配置した。脱出不可能な刑務所であったがそれでも、脱走した囚人が居て、歴史に名を遺している者もいる。しかし、1840年代になると流刑処分を受けた囚人も減ってきて1849年には、少年刑務所が廃止され、77年には、ポートアーサーの囚人施設自体も廃止されることになった。18~19世紀にかけて大英帝国はオーストラリア本土と島々に 1,000ヶ所以上の刑務所を建設したがその中でポートアーサーなど、10か所が「オーストラリアの囚人刑務所遺跡群」として2010年に世界遺産として登録されている。収容所は植民地への流刑が言い渡された女性や子どもを含む数万人が収容され、懲罰として、収監と植民地開拓のための労働使役を通じて更生という2つの観点から各施設には固有の役割があった。西洋諸国による大規模な囚人流刑とその労働力を使った植民地拡大政策を今に伝える最大の例証といえるこの遺産は、「負の遺産」としても紹介されている。
 
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 数年前、北海道の網走刑務所跡を見学したが、ここでも囚人たちが北海道開拓のため、道路建設などに苦役を強いられたことが歴史として紹介されていた。網走方面から旭川方面に至る国道39号線をバスで走ったがその道路もかつて囚人たちによって作られたと聞いている。囚人たちを開拓のための労働力として使う方法はこれも洋の東西を問わず使われてきた手段らしい。
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 それにしても1985年の児童福祉海外研修のときは週末の一日、ポートアーサーを訪れたが当時は未だ世界遺産として登録されてはいなかったし、自分自身もまだ世界遺産については勉強していなかった。その知識もなかったので今となってはいささか残念であり、その時の写真などを見ながら昔を偲んでみた。ところで、ここポートアーサーについて調べてみたところ、日本語では簡略された説明となっているが、英文では多くのページにわたって詳しく紹介されているところが興味深い。(以下、次号)

《資料》
・Port Arther    Wikipediaより
世界文化遺産 オーストラリアの囚人収容所遺跡群 すべてがわかる世界遺産 1500下巻 世界遺産アカデミー 2024年発行
 
《写真と資料 上から順に》
・資生堂財団派遣 児童福祉海外研修団 右端が筆者 1985年3月 撮影
・タスマン半島 地図 Earth Trekkers資料に加筆したもの
・ポートアーサー刑務所 1985年3月 筆者撮影
・ポートアーサー刑務所の独房 1985年3月 撮影
・網走監獄 入口 2018年8月16日 筆者撮影