2024.12.23
小野 鎭
一期一会 地球旅 342 ニュージーランドの思い出(10)オークランド3
一期一会・地球旅 342
ニュージーランドの思い出(10)オークランド3
ニュージーランドは1979年のあと、1987年のDoctor Tourまで訪れることはなく、欧米やアジア、オーストラリアへの添乗が多かった。やがて、ゆきわりそうの「私達は心で歌う目で歌う合唱団」の誕生と演奏会、さらにベートーヴェンの生誕地ドイツのボンで現地市民と歌うというコンサートの成功に自信を得てもう一度海外での演奏会をやりたいという希望が高まっているとお聞きした。そして、次に行きたいのは、オーストラリアが好評であったことから南半球のもう一つの英国系の国であるニュージーランドへの興味が強いことであった。人間より羊の方が何倍も多い国、温泉もあり野趣あふれる楽しみも期待されているようであった。
ところがニュージーランドについていえば、当時はオーストラリアのように強いコネはなかった。そこで現地手配会社(ランド・オペレーター)に相談してみた。ところが通常の観光面では理解度が高かったが第九コンサートということについてはそれ自体について関心を持ってもらうことができず、望み薄であったというのが最初であった。そこで、ボンでやったときのコンサートとそこへの旅行についてのビデオや写真集を見せて、私たちの願いを理解してもらうことに努めた。次いで、ニュージーランド航空(TE)の営業マンにかつてのカンタス航空のときのようにコンサート開催へ向けて支援してほしいと申し出た。すでに5年近く前のQFでの経験から重度の障がいのある人やたくさんの車いす利用のお客様をニュージーランドまで運んでいただきたいという申し出は比較的簡単に協力の約束を得ることができた。コンサート開催についても、当時の営業部長のS氏が関心を寄せてくださり、ニュージーランド政府観光局へも紹介していただけた。このような事前行動は、なんといってもそれまでのオーストラリアへの旅行やドイツでの現地市民との共演によるコンサート開催へ向けての苦労などが大きく役立っており、まさに経験は力であることを今も改めて強く感じる。こうして、あらたな「未知への挑戦」は少しずつ動き始めていった。
政府観光局の紹介を得てオペレーターを介して現地へ打診していたところ、オークランド市の協力を得られそうであり、オーケストラもある。また、大小の合唱団もあり、いくつかのグループが一緒に歌うことについて興味を示しているとの情報を得た。一方、私たちの合唱団には、ゆきわりそうの発達教室の一つである水泳教室のオーシャンクラブのメンバーも加わっており、もし、ニュージーランドに行くのであれば、ドルフィン・スイミングをやらせてみたいという声が出てきた。大海原でイルカと泳ぐ「ドルフィン・スィム」は様々な効用があることが紹介されており、ニュージーランドはDolphin SwimmingやDolphin Encounter(イルカとの出会い)が盛んなことでも知られていた。観光局によると、オークランドから少し北へ行ったBay of Islandsでは、イルカとの泳ぎなどが知られているが成功率が高いのは南島のカイコウラであろうとの話も聞いた。様々な希望を満たすためには多くの条件を克服しなければならない、いろいろな可能性を探ることも必要であるということから、検討した結果、現地調査に行くこととなった。ゆきわりそうの姥山代表、合唱団の指導者である新田光信氏とゆきわりそうのスタッフなどに私を加えた6名がニュージーランドに向かったのは、1994年12月であった。
慎重な準備が奏功してオークランド市長ともお会いすることが可能となり、大きな進展が期待された。あれからすでに30年が過ぎるが一番根幹となって動いていただけたのは何だったのだろうと素朴な疑問がわいてくる。あの時、協力をお願いしたのは、NZ政府観光局、そして、TE(ニュージーランド航空)、現地手配会社(ランド・オペレーター)が核となって動いてくれた。当初は、オペレーターはあまり気乗りがせず、ホテルや貸切バス、通訳、観光先の手配などは得意だが何かの催しを設定するなどは面倒で手間がかかって経費倒れとなってしまうなどの心配もあったのかもしれない。そこで、その前年(1993年)にドイツのボンで開いた現地市民との共演によるコンサートとそれへ向けての旅行についてのビデオを見てもらい、趣旨を理解してもらうことから接触を深めていった。そして、かれらのオークランド事務所が要となって動いてくれることが少しずつ見えてきた。TEも協力を約束していただけることになった。当時は少しずつ、車いす利用者の旅行なども増えつつあったし、そのようなことを得意とする旅行会社なども出てきており、協力は得られそうであった。オーストラリアであるとか、ボンへの旅行の実績からニュージーランドへの参加者も相当な人数が予想されることなど集客については期待できるとの期待感もあったのかもしれない。特に、同社の東京支社の営業部長のS氏とは年賀状を交換するようになり、毎年、近況を報告していたが、数年前、ご家族から喪中の挨拶をいただき、寂しい思いで今に至っている。(以下、次号)
《写真、上から順に》
・ボンにひびけ、歓喜の歌 コンサート ドイツ・ボン大学講堂にて 1993年5月14日
: 地域福祉研究会 ゆきわりそう ボンにひびけ、歓喜の歌 記念誌より
・ボンにひびけ、歓喜の歌、そして スイスへ
: ビデオ 地域福祉研究会ゆきわりそう制作
・ボンでのゲネプロ(全体練習)後、ベートーベンホール前にて 1993年5月13日
: 地域福祉研究会 ゆきわりそう ボンにひびけ、歓喜の歌 記念誌より
・ゆきわりそう発達プログラム レンガの家 水泳教室
: NPOゆきわりそう 公式ホームページより
・Air New Zealand (B-747 1990年代) : National Library of New Zealandより