2025.01.20
小野 鎭
一期一会 地球旅 345 ニュージーランドの思い出(13)オークランド6
一期一会・地球旅 345
ニュージーランドの思い出(13)オークランド6
地球旅の原稿は添乗記録や携行旅程、写真、中には団として残されている報告書などもありこれら貴重な資料を引っ張りだしては読み返しながら書いている。現業時代の何百冊もの営業ファイルは遥かな昔、処理しているし、数十年が過ぎた今、そんなこともあったのか、と思い出すこともあるが多くは記憶の彼方であり、貴重な資料を廃棄してしまっていることは、残念としか言いようがない。地球旅は、2013年から書き始めているが最初のころは書いた後、すでに廃棄した資料等もある。そこで、旅行当時の世相なども振り返りながら、一方では旅行で協力してくださった方について改めて調べ直してみると新たな発見などもあり、文字通り、感慨も新たに書き改めていることも多い。今のようにパソコンなどで記録を残していれば探しやすいと思うが、旅行当時はそんな便利なツールも無ければ、設備もなかった。多くはアナログ式で懐かしい思いをしているというのが正直なところである。ニュージーランドのコンサートから、今年の12月で30年が過ぎる。まさに「光陰矢の如し」。苦労は多いが、自分史としてもしっかり取り組んでいきたい。
「南十字星に贈る歓喜の歌」参加者110名と添乗員4名を加えて1995年12月7日、オークランドへ向けて出発した。コンサートと旅行の思い出については、心温まる感動を綴っておられる記録を拝借したい。ゆきわりそうの代表、姥山寛代氏が会報に載せられた「ニュージーランド旅行記」である。以下、転載させていただく。
「座席を埋め尽くし、なお一階二階の後方にキッチリ立っている2500余名の聴衆。『ゆきわりそう一番太鼓』が鳴り響く。凛々しい田中雅子の「エイヤー」の気合を頭に、新山玉峰先生の軽やかな“チャンチキ”の心弾む音が色を添える。コンサートは、和太鼓で幕を開けた。障害を持つみつばちブンブンのN1,T1の2名を加えた7名のチームは寝言でリズムを口ずさむほど、短期間だが猛練習を重ねてきた。山本良夫は中央に座し、リズムを口ずさみながらバチを振り下ろしている。高橋明邦講師による創作曲、ゆきわりそう一番太鼓の激しく、たおやかな日本的リズムは、会場の割れるような拍手を誘った。
今更ながらベートーヴェンの第九は圧巻、国によって、指揮者によって演奏法がそれぞれ違う。前日の打ち合わせの時、事前に知ってはいたがオーケストラと合唱、別々の指揮者による演奏に戸惑った。ニュージーランドの場合は、極端にゆったりした演奏法を採る部分があって各部分がバラバラになってしまって慌てたが、本番は、バッチリ決まる。中段の二重フーガを過ぎたあたりになると歌い始めの緊張も解け、心から歌詞や旋律に酔い、自分の中から音楽が湧いてくる。 中略
障害があろうとなかろうと国籍や肌の色やすべてを乗り越え、あらゆるバリアを取り払い、第九を歌い続ける『私たちは心で歌う目で歌う合唱団』の7年の歩みは今日再びニュージーランドのオークランド市にあるアオテアセンターで一つの実を結んだ。“フロイデ・シェーネル・ゲッテルフンケン”と歌い終わると、会場では長く、激しい拍手が溢れる。オークランド市長 レス・ミルズ氏の大きなたくましい手が私の手をつつみ、肩を抱く。あゝ、人生は限りなく希望に満ちている。弱い人々よ、明日に希望を持とう。
演奏会直後の交流会には地元から300名を加える方々が参加して下さる。ブンブン・ポシェットのメンバーが浴衣姿で大正琴を演奏披露する。よくここまで育った。みんなとても上手に弾けた。本物の外人と障害者たちのつたない英会話はあちこちでさわやかな笑いの渦を作り出している。君たちは今、立派に国際交流と親善の役割を果たしているんだよ、と心から思った。
出発までにはいろいろあった。流感で、ある人が、この人が倒れた。直前に食道がんが発見されて入院。旅行荷造りの途中で背筋を痛め、激痛のため、中止。祖父が危篤、父が入院。出発当日の朝、下痢と発熱で、等々。それでも116名の一行は成田を発った。しかし、機内でも頭痛、喘息発作、嘔吐感続出。一晩中。眠るどころではなかった。 中略、
コンサートが終わり、ロトルアとカイコウラの二手に分かれた観光・保養の旅に出発する頃になって、同伴の親たちの顔色が良くなる。そして、次第に全体が元気にな
って声が行き交い、笑い声がはじけるようになった。『癒しの旅』と名付けたこの後半の時期に、普段、介護に明け暮れる親たちの頬がかすかに赤みを帯び始める。乗馬、水泳、散策、買い物などを体験し、身も心も解放されたためか、本来の健康を取戻し、皆さん、シャキッとしてみえる。10日間に凝縮された、夢と希望と信頼に満ちたこの旅行の裏に、多くの人々の献身があったことを、多くは語らなくても私たちは知っている。それに応えるべく、すべてにパーフェクトであろうと誓っての今回の企画であった。
って声が行き交い、笑い声がはじけるようになった。『癒しの旅』と名付けたこの後半の時期に、普段、介護に明け暮れる親たちの頬がかすかに赤みを帯び始める。乗馬、水泳、散策、買い物などを体験し、身も心も解放されたためか、本来の健康を取戻し、皆さん、シャキッとしてみえる。10日間に凝縮された、夢と希望と信頼に満ちたこの旅行の裏に、多くの人々の献身があったことを、多くは語らなくても私たちは知っている。それに応えるべく、すべてにパーフェクトであろうと誓っての今回の企画であった。
機上から外を眺める。海と空の水色を背景に積乱雲が群れている。やがて、夕暮れの赤黒色の光彩が、あたり一面を染め始め、メランコリックな風景に変わる。『核廃絶の運動への連帯』をメッセージした私の挨拶に、期せずして会場から沸き起こった嵐のように拍手が耳に蘇ってこだましてくる。あゝ、三年近く準備したこの旅も間もなく終わる。そう思った瞬間、私は深い眠りに落ちていった。」 (1995年12月16日、姥山寛代)
多くの人々の協力とご好意で「南十字星に贈る歓喜の歌」コンサートは成功裏に終了した。コンサート終了後の交流会ではオークランド市長のレス・ミルズ氏も共によろこんでくださった。1年前の事前調査でお会いして合唱団とコンサート開催へ向けての趣旨をご理解いただき、市の行事として扱っていただけたことは大きな意義があったと確信する。お蔭でアオテアセンターのメインホールには満員の聴衆が入って下さり、フィナーレが終わった瞬間、スタンディング・オベーションで万雷の拍手をいただくことができた。よくわからないこともたくさんあり、準備にはずいぶん苦労も多かったが、「よかった!」と自らの心に呟いたことを思い出す。
ところで、今回、このコンサートについて書くために改めて過去の記録やニュージーランド関係のホームページなどを探ってみた。オークランド市長については前述したとおりである。一方で、オーケストラの指揮者であったMaestro Gary Daverneについて調べてみたところ、興味ある記述があった。彼は、今も健在であり、オークランド・シンフォニー・オーケストラ(Auckland Symphony Orchestra 通称 ASO)の名誉音楽監督(Music Director Emeritus)でもあり、引き続き音楽活動を続けているとのこと。そして、彼の演奏経歴(Summary of Gary Daverne's Musical History)を見ると、下記の記録がある。
1995
・Conducted London's Royal Philharmonic Orchestra (RPO) at Orchestrell '95.
・Conducted the, Yukiwariso Choir of Japan with the ASO and Auckland Choral Society, the Music of Beethoven, including the Choral Symphony, at the Aotea Centre.
彼のホームページには幅広い活動の記録であるとか様々な経歴が紹介されている。1995年に私たちの演奏の指揮をしたときはまさに脂が乗ったころであったのだろうということがよくわかり、何とも懐かしさいっぱいである。その翌年、ゲアリーは、長年の音楽への貢献が認められ、1996 年のエリザベス女王誕生日記念叙勲でニュージーランド功労勲章 (O.N.Z.M.) を受章している。私たちの合唱団は、自分が事務局として関わっただけでも国内でほぼ30回近く、そして、海外で5回演奏会をやっている。その中で、ニュージーランドではこの国でも代表的な音楽家に指揮をしていただいたのだと、今になって改めて、誇らしく思っている。また、オークランド市長レス・ミルズ氏はフィットネスを世界的に広めていった人物であることを今になって知り、そんな人物が私たちの計画を支えてくれていたのだと、こちらも改めて印象深く思う。
コンサートの翌日、一行はロトルアとカイコウラへの二手に分かれてニュージーランドの自然を楽しんで10日間の旅を終えた。カイコウラでのドルフィン・スィムについては、地球旅337~338で書いたのでここでは失礼致します。
私についていえば、コンサートの後、ロトルアへの旅行に添乗した。羊の毛刈りや牧場での遊覧と乗馬などを楽しんでいただき、ポリネシアン・スパでの楽しいひと時も好評であった。今回も無事終了し、コンサートの準備と癒しの旅の設営などに費やした2年近い苦労が報われたことがうれしかった。 実は、ロトルアで求めた木彫りのコースターとカイコウラの海岸で拾った小石が30年過ぎた今も手元に残っており、それを紹介させていただくことでニュージーランドの思い出を終えたい。(次号は、もう少し南半球の思い出を書きます。)
《写真、上から順に》
・南十字星に贈る歓喜の歌 当日のプログラム : 指揮者Gary DaverneのMusic History Summary : This is my life保存資料より
・Les Mills レス・ミルズ オークランド市長 : New Zealand Herald 資料より
・ロトルア湖岸で憩う家族やスタッフ : 1995年12月14日 筆者撮影
・ロトルア郊外の牧場で楽しむ人たち : 1995年12月13日 筆者撮影
・Music Director Emeritus – Auckland Symphony Orchetra : Gary Daverne ホームページより
・カイコウラの海岸で拾った小石 (1994年12月10日)
・ロトルアで求めた木彫りのコースター (1994年12月8日)