2025.02.10 小野 鎭
一期一会 地球旅 348 タヒチからハワイへ
一期一会・地球旅 348 
タヒチからハワイへ 

 タヒチでの滞在を終えて、この海外教育事情視察団は1974年2月25日、ハワイのホノルルへ向かった。15時20分発のPA(パンナム)824便であった。PAをご存じの方は今もかなり多いとは思うが、実際にお乗りになった方はそれなりの年齢に達しておられると思う。かつてWorld’s most Experienced Air Lineとして世界的にも最も知られていた航空会社の一つであっただろう。1930年代から1980年代にかけて名実ともにアメリカのフラッグ・キャリアとして広範の路線網を展開し、世界の航空業界に対して非常に高い影響力を有していたが、1991年に破産して消滅した。この時、乗ったのは、これもこの時代では長距離飛行では多分、最もポピュラーであったB-707機であった。
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タヒチとハワイの間には時差はないので、同日20時50分にホノルルに着く予定、飛行時間は5時間30分であった。パペーテを発って北上し、順調に飛んでいた。赤道を越えて北半球に戻り、順調にホノルルへ向かって飛んでいたはずである。ところが、機内食を食べている頃、気流の悪いところを通るので少し揺れが予想されるので立っている人は席に戻り、座席ベルトをしっかり締めるようにと機内アナウンスがあった。スチュワーデス(この時代は、スチュワーデスまたはスチュワードと呼ばれていた)が機内食用カートを押しながら、コーヒーなどを配っていたが揺れがひどくなり、乗務員も席に着くようにとキャプテンからアナウンスが流れた直後、大きく揺れ始めた。そして間もなく、機はフワッと宙に浮いたような感じがした次の瞬間、急降下した。何秒間であったかわからないが実際にはほんのわずかな時間であったと思う。しかしながら、かなり長い時間に感じられた。正直なところ、このまま墜落するのではないだろうかと恐怖を覚え、周りを見渡す余裕もなく、ひじ掛けをしっかりつかみ何とか持ち直してほしいとひたすら願うのみであった。後から聞いた話であるが、窓際に座っていた乗客から稲妻が光ったのが見えた、とのことであったので、もしかすると被雷していたのかもしれない。 

 そして、間もなく急降下は治まり、ゴーっとエンジン音が大きく響き、飛び続けていた。周りを見回すと、カートを押していた乗務員の中には通路に投げ出されて手をつくとか、座席に着いている乗客の上にかぶさるように身体を投げ出した乗務員もあった。コーヒーカップやグラスなどが宙に浮き、食事や食器が膝の上に飛び散るとか、惨憺たるありさまが繰り広げられていたと思う。間もなく、キャプテンからアナウンスがあり、エアポケットに入ったため、急降下したが既に治まって順調に飛び続けているので安心してください、とのことであった。窓際のメンバーから聞いた稲妻が光っていたので被雷したのかもしれないということについては、多分、キャプテンからのアナウンスには説明はなかったと思うが今となっては記憶にはない。とにかく、通路に座り込んでいたり、乗客の上に覆いかぶさったような形になっていた乗務員たちは、ほっと落ち着き、それぞれ通路に立って笑みを取り戻し、倒れ掛かっていたカートを押しながら、けがをした人はいないかを確認して、機内を順に見回っていった。幸い、けがをした乗客などはいなかったらしい。 

 私は、自分の周りの団員各氏の安全を確認して、各班のメンバー相互に異常はなかったかどうかを確認してもらった。自分を含めて27人から成っている団は3班に分かれており、各班にリーダーがいて、全体としての団長がおられ、学校見学や自由行動のときも各班のメンバーが相互に確認しあうなどグループとしての行動は一か月の間にとてもうまく機能するようになっていたのでこの緊急事態でも確認は素早かった。機は順調に飛び続けていたので自分の周囲の食器を拾ったり、汚れた衣類をぬぐったりしながら、少しずつ安心してお互いにほっとした様子が見て取れた。自分も他人事ではなく、汚れたズボンをぬぐって足元の航空券などの束が入ったアタッシュケースを確認した。とにかく無事でよかったというのが率直な気持ちであった。 

 実は、この団はすでに書いたように、シンガポールでメルボルンへ向かって飛び立つべく離陸滑走中、バードストライクか何かで緊急停止して、搭乗ゲートに戻るという体験をしており、これが2度目のトラブルであった。また、この視察団ではないが、その2年前、1972年に同様の海外教育事情視察団で欧州から南米を訪れ、アルゼンチンのブエノスアイレスからチリのサンチャゴへ向かっていた。アンデス山脈の最高峰アコンカグアの南を飛行中、エアポケットに入って機は大きく急降下、血相を変えた経験がある。文部省の海外教育事情視察団は、長期が30日間、短期16日間があり、自分は長期に4回、短期を3回添乗した。南半球をまわった2回は奇妙に航空機の揺れや離陸直前に急停止したことなどのトラブルを経験しており、ひたすら安全に飛んでほしいと願うことしきりであった。 
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 そういえば、1970年代は、Airport(1970年、日本名 大空港)、Airport 75, Airport 77, The Concorde, Airport 79など航空機や空港での事故や人間模様などを描いた映画があった。自分は、毎年、世界中を飛び回っていたので航空機と世界中の空港、航空機の安全性などにはことさら興味があり、これらの映画は夢中で見た。同じ映画を幾度も見たことを覚えている。今も印象深く覚えているのは、これらの映画で紹介されているB-707 やB-747 などは機内で事故や事件が起きて、航空機自体が故障したり、部分的に壊れることがあったり、不時着することはあっても、決定的な墜落をすることは描かれていなかったと思う。暗には、航空機メーカーや航空会社が航空機とはこれほど丈夫であり、飛行中に天候不順であっても飛行自体には影響がないということを紹介しているのではないだろうか。 
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タヒチからハワイへのPA機では、血相を変えるような経験をしたが、その後は順調に飛び続け、いつしか赤道を越えて北半球へ戻り、無事、ホノルル国際空港に到着した。すでに夜8時を過ぎていたので海面は見えなかったが、宝石をちりばめたようなホノルルの街の夜景はとにかく美しかった。アメリカ合衆国への入国手続きを順調に終えて、ワイキキ海岸のホテルへ向かった。(以下、次号) 

《資料》 
・航空機シリーズの映画 : Film Freedoniaより 
 
《写真》 
・Pan-Am B-707  At Papeete Faaa Airport  :    Aviation Safety Networkより 
・映画 Airport (日本名 大空港) : Walmart より 
・空から見たホノルルの夜景 (1979年頃) : Getty Imagesより