2025.03.24
小野 鎭
一期一会 地球旅 354 オランダでの思い出(2)エレベーターが止まった!

一期一会・地球旅 354
オランダでの思い出(2)エレベーターが止まった!
前号でアムステルダムのホテルでの洪水騒ぎについて書いたが、他にも苦労したことがある。オランダだから、というわけではないが偶々この国で経験したトラブルは半世紀以上過ぎた今も忘れられないハプニングであった。70年代前半は、1か月前後の添乗が多かったが、これは、1972年5月から7月にかけて33日間、自分にとっては、230回の海外添乗のうち最長の添乗であり、欧州からカナダ・アメリカをまわった海外医療事情視察団で経験したヒヤッとした思いは今も忘れない。

オランダ有数の高次医療施設であるアムステルダムのVU University Medical Center(Vrije Universiteit Amsterdam)を見学した。この医療センターは、1964年にアムステルダム自由大学(VU)の大学病院として開設された。その後、2000年代になってアムステルダム大学の医療センターと合併して、現在では733床のアムステルダム大学医療センターとして国内で最も優れた学術医療センターの一つに数えられている。この医療施設はスキポール空港近くに位置しており、国内最大のレベルⅠ外傷センターを有し、航空医療サービス用のヘリコプターが病院と提携しており、国内3つの州をカヴァーしているという。アムステルダム自由大学は1880年に開学されており、欧州においてはそれほど古い大学ではないが政府と教会の両方から独立した大学である。1950年に医学部が設置され、この医療センターの前身である大学病院として1964年に創設されており、その数年後に私が添乗したグループが訪問したことになる。
この時、訪れた大学病院は大きな建物であったが広大な敷地内では、大学本館や他学部の建物も建設中であった。後になって、一帯はアムステルダム市南郊都市計画の一環として大規模な開発が進められていたことを知った。この時のグループは、総勢30名という大人数であり、全体説明は病院の会議室で行われたがそれに続いて院内見学は、医局関係、検査や放射線、薬剤など、看護部門など3つのグループに分かれて行われた。最初の添乗業務からすでに25回目であり、それまでに医療関係視察団などを経験していたことや英会話なども次第に慣れてきていたので少人数に分かれての見学などでは自分も通訳者の一人として、受け持つようになっていた。加えて、医療や福祉関係の専門用語なども少しずつ覚えるよう努めていた。そんな自分の姿勢にお客様も励ましてくださったし、専門語などについては分かりやすく解説してくださる方も多かった。もちろん、不慣れであり、力量不足は承知していたが、この時も一つのグループを受け持っていた。

この病院には、数台の一般用エレベーターのほか、他に職員専用の業務用エレベーターがあり、私たちの訪問時は、グループに分かれて各部署を見学していた。この見学中、一つのグループのうちの数人が乗った業務用エレベーターが何かの理由で突然止まったらしい。一緒に乗っていた病院の職員が緊急電話で管理事務所とやり取りしていたそうだが容易には故障は回復しなかった。別のグループについていた私にもこのトラブルのことについて連絡があり、急ぎ、その階に駆けつけた。いずれにしても故障は解決せず私たちは、そのエレベーターの前で待っていた。どのくらい待っただろうか、かなり長時間待ったような気もするし、反対に少しの間であったような気もするが、今となってみるとそれは分からない。いずれにしてもそのエレベーターは階の途中で止まっており、乗客(?)は出るに出られず!の状態。しばらく待ってみたが復旧する気配がない。病院側スタッフが連絡を取り合っていたが、一向に動く様子がなかった。そこで、緊急停止を確認し、5~60㎝空いている隙間から床に手をついて顔と肩を出して手を引っ張って這い出してもらった。他の階でも同様に脱出したとのこと。

病院側では、このようなことは時々起きているのかスタッフはさほど慌てる様子もなく、言わばてきぱきと緊急脱出を指導していただけたが我々は肝をつぶす思いであった。間もなく、病院長らしい人が出てきて、苦笑しながらお詫びされたことを覚えている。この騒動の後、残りの見学を終えたがさすがにこのエレベーターは使わず、一般用エレベーターを利用した。あれから半世紀余り、あの大学病院は今もあるのだろうか? 今回、このことを思い出してあの病院にについて調べてみたところ、病院とは別に、大学本館が数年前、建設50周年を祝ったとの記事があった。当時は、アムステルダム市内では最大規模の建造物であり、高さも一番高い建物の一つであったという。

我々が訪問したのはアムステルダム自由大学病院であったが、2000年代に入ってアムステルダム大学病院と合併して、VU Medisch Centrum Amsterdam(VU Medical Center)=VU 医療センターとなっていることである。そこで、我々が訪問した病院そのものは今もあるのだろうかと調べてみたところ、大学本館よりも前の1966年10月にオープンされていたことが大学の沿革に書かれている。残念ながら、訪問した時の写真などは残っておらず大学のキャンパスそのものの空中写真を大学の資料の中で見つけ、それと思しき建物を現在の医療センターの写真と比較してみたところ、当時の建物が今も使われていることが分かった。そこで、我々の訪問時に利用したエレベーターは今も使われているのだろうかということが最大の関心事。そこで、今の医療センターにそのことについてメールで問い合わせたところ、先方からは折り返して反応があった。そして、半世紀以上前のことについては正確を期すためには、数回のやり取りを行った。その結果、今の建物のエレベーターは、1967年に設置されており、数年前に部分的にパーツが取り替えられたがエレベーター本体は今も使われていることが分かった。

当初の病院が1966年に建設されて、次いで翌年、設置されたエレベーターのいくつかの部分は数年前取り替えられたがエレベーターそのものは、今も使われているとの回答に驚いている。つまり、われわれが恐怖の体験をしたエレベーターが今日まで半世紀以上も使われているという現実である。日ごろから丁寧に保守管理を行えば、50年以上もエレベーターは勿論、建物本体も立派に使えるのだということが分かる。わが国では、高度経済成長期に建設されたビルなどが近年、各所で建て替えられていることはよく見かけることであり、NHKのテレビ番組でも「解体キングダム」は興味ある番組の一つ。建設後、数十年のビルや道路などが次々に壊され、新しく生まれ変わっていくのが日本の特徴であり、Scrap and Buildは日本の得意技? いま、通称「タワマン」であるとか、超高層のオフィスビルなどが次々に建設されている。一方では、橋梁やトンネルなど安全性に問題のあるところが日本中で問題になっている。何ともやるせなくやりきれない思いである。
アムステルダムに限らず、ヨーロッパでは、数百年前に建てられた建物が大切に使われており、住宅やオフィスとしてむしろ珍重されていることはよく聞く話。古代ローマ時代の建造物が今、高級住宅として使われていることも紹介されている。もっとも外観や外壁の色や形態は法律または条例などで禁じられていることも多いが、内部は近代的に改築・改造されているのでそれが古いものを愛用し、上手に使うコツでもあるのだろう。(以下、次号)
《資料》
Vrieje Universiteit Amsterdam アムステルダム自由大学 : 同大学資料より(Wikipedia)
《写真、上から順に》
アムステルダム自由大学医療センター : VU Medical Center資料より
VU Academisch Ziekenhuis Amsterdamアムステルダム自由大学病院1966年当時 :
VU Medical Center資料より
VU Amsterdam 本館 1971年当時 : VU Amsterdam本館建設50周年記念資料より
VU Amsterdam(アムステルダム自由大学新キャンパス) 1966年建設当時の空中写真 :
VU Medical Center資料より
アムステルダム自由大学医療センター : 同上