2025.08.18 小野 鎭
一期一会 地球旅 375 ドイツの思い出(15) フランクフルトでの苦い味
一期一会・地球旅 375 
ドイツの思い出(15) フランクフルトでの苦い味 

 ドイツの思い出としては、ハンブルクやデュッセルドルフ、ボンに次いでフランクフルトでも忘れがたいことがある。世界的に見ても大空港があるこの町は、航空路だけでなく鉄道網でも要衝であり、ドイツ鉄道の本社もある。経済的にも欧州中央銀行の本店などもあり、視察や研修の添乗でたびたび訪れている。そして、忘れ難く苦い思い出もある。これもまた駆け出しのころであった。1969年、海外医療事情視察団(Hospital Tour)の添乗で先輩社員に付いて30日間、初の世界一周であった。先輩に付いて、とは言いながらロンドンやパリ、アメリカに渡ってニューヨーク、サンフランシスコ、最後のホノルルでは同日に滞在、同じホテルに宿泊したこともあったが、それ以外はほとんど別行動であり、独立して添乗しているような感じであった。自分もそのつもりで精一杯真剣に務めたと思う。30日間を終えて、お客さまからの評判もまあまあであったらしい。これからは一本立ちで添乗させようと社からもお墨付きを得たようであった。 
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そして、間もなく、西海岸の農業関係視察に次いで、欧州医療事情視察団、2か月前の世界一周と同じ主催者の欧州版であった。この年9月、18日間、25名、県立など公立病院の医師などであった。この時は、欧州に到達するまでのコースが一般的というよりはかなり変わっており、今もって忘れられない。スイス航空(今は、スイスInt’lであろうか、略語が昔はSRいまではLX、但し、某有名自動車ではない!)で羽田を発ち、バンコクへ。ここで一泊、翌日スカンジナビア航空でタシュケント経由コペンハーゲンへ向かった。シベリア横断とはよく使われるし自分自身幾度も経験しているが、この時はアジア大陸を縦断したような気分であった。眼下にはヒマラヤそして、崑崙山脈とどこまでも雪をかぶった尖った峰々、そして、茶色の大地が続いていた。それ以来、今日まで経験したことのないコースであった。その後は欧州各地を回り、ローマから南回り、テヘラン、ニューデリー、バンコクなどを経由して帰国している。この時代は、まだアンカレッジ経由北回り欧州へというコースが多く、67年に日本航空のモスクワ経由欧州便というのが飛び始めていたが、まだまだ北回りの方が多かったような気がする。 
 
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 前置きはこのくらいにして、このホスピタル・ツアーは、フランクフルトで病院見学、フランクフルト中央駅に近いホテルに2泊した。このホテルにチェックインするとき、ホテル側から提示されたルーミングリストに従ってキーカードとルームキーを配って、お客さまにはそれぞれ部屋に入っていただいた。しばらくして、お客様のお一人から電話があった。多分、医学生であった息子さんを同行しての父子でのご参加であった。手配した部屋には、トイレは付いているがシャワーのみでバスが付いていなかった。チェックインするとき、フロントにはあらかじめ手配会社を通じて、バストイレ付(TWB)であることを条件としているがその通りであることの確認をしていなかった。フロントマンに確認したところ、その日はバスでなく、シャワーしか付いていない部屋があったことを認めた。しかし、その部屋のシャワーはガラスのドアがしっかりついており、加えて足元はくるぶし付近まで隠れるタイルの囲いがある。足元にお湯が溜まって「たらい」のような状態でお湯を浴びることができ、とても快適であるはず、と悪びれる様子もなく強気の説明であった。 
 
 このホテルは中クラスであり、フロントには年配の男性が一人いてチェックインや会計など一人でやっているらしく、他にはポーター兼雑用係の若者が2人くらいいたであろうか、言うところのビジネスホテルのような感じであった。私の部屋にはバスが付いていたが、シングル・ルームであるので、この時クレームのあったお客様と部屋を取り替えることもできなかった。再度、フロントに交渉したところ、この日は全館埋まっており、明日になればバス付のツイン・ルームが空くので変更できると思うとのことであった。9月とあってまだまだ暑いくらいであったのでシャワーのみでも十分お過ごしいただけるとは思ったがそれを強調するわけにもいかない。止む無く、本日はこの部屋で我慢していただき、明日は部屋を変更してもらうよう今から交渉しておくことをお約束して、何とか了承していただいた。 
 
 その後で、フロントに、このお客様へのお詫びの気持ち“My mind as apology and uncomfortable”として、添乗員の名前でビールをお届けしてほしいと申し入れた。これに対して、“Shower in Beer?”と皮肉られたことを覚えている。真意は分かってもらえたとは思うがまだまだ経験の少ない駆け出しの添乗員である自分が揶揄(からか)われたことに気づき、何とも悔しかった。それに対して、反論もできなかったし、僅かに「OK? You understand ?」と念を押すのが精いっぱいであった。そして、この時、感じたことはフロントやレストランなどでは言い負かされないように、相手と渡り合えるだけの会話力と度胸を身に着けることの大切さであった。 
 
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 後で知ったことであるが、ドイツや北欧などでは日本人に比べるとお風呂(浴槽)にはあまりこだわらず、シャワーで済ませる人も多く、事実、ホテルもシャワー付きの部屋が多かった。ノルウェーのベルゲンの有名ホテルでもやはりそうであり、部屋割りするにあたっては最初からその旨を説明してご案内することが多かった。シャワー室は設備もよく、熱いお湯が勢いよく出るし、足元には栓が付いていて、くるぶしくらいまでお湯が溜まるようになっていることも多く、たらいで湯浴みしているような気分で満足したことも覚えている。 
 
 駆け出しのころの苦い経験があったからでもあるまいが、フランクフルトに行くといつも「Beer in Shower?」と揶揄されたことを思い出し、この町を訪れるといつも何となく面はゆい感じであった。英会話に限らず、相手から言い負かされないだけの会話力を身に着けることを心がけ、ドライバーやホテルのポーターなどには現地の言葉で挨拶をして親しくなることを意識していった。視察や研修での通訳をするときは相手から聞いた難しい言葉は、復唱してそのことばの意味を分かりやすく説明してもらうように心がけた。言い換えれば、英作文ではなく英借文であった。 
 
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 2013年に、高校時代の同期生を案内して英国を訪れた。この時は、エディンバラへの便に乗り継ぐため、フランクフルト空港で数時間の待ち合わせがあり、その時間を利用して中央駅まで鉄道で出かけた。ヨーロッパでも有数の大きな駅で、豪壮な駅舎の前に立つと昔よくこの駅を発着したことを思い出した。そして、駅前広場の向こうにあるホテルなどを見ると、はるか昔に経験した苦い思い出が蘇ってきた。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・欧州医療事情視察団(社団法人全国自治体病院協議会派遣) 
: 1969年9月16日 羽田空港にて 左端が筆者 
・バンコク/コペンハーゲン間の航空路 
: 当時はタシュケント経由で便名はSK976であった。 スカンジナビア航空資料より 
・シャワー&トイレ付ルームの例 : Hotel Info. Germany 資料より 
・フランクフルト駅前にて 駅舎を眺める仲間たち : 2013年10月5日 筆者撮影