2026.04.13 小野 鎭
一期一会 地球旅 408 初めての世界一周添乗(8)ロサンゼルスにて(2)
一期一会・地球旅 408 
初めての世界一周添乗(8)ロサンゼルスにて(2) 

さて、そのLAであるが、案内してくれたL氏は、この旅行の地上手配を担当してくれたランド・オペレーターのLA オフィスの所属であった。日系二世であったと思われるが年齢と言い、話の節々からも第二次大戦中は従軍していたとか、あるいは強制収容所での経験があったかもしれない。そう言えばシカゴで幾度もお世話になっていたあの方もお身内に収容所で苦難の道を歩まれた方がお有り、と話されていたことを思い出す。リトル・トーキョーには、日本人や日系人経営の店舗が並んでおり、日本食品や日用品、図書などを売っていたし、日本食レストランやバー、弁護士事務所や歯科医、診療所などもあったし、日本名のホテルもあった。
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ロサンゼルスにおける日系移民の歴史は、19世紀末の初期移民から、リトル・トーキョーの形成、第二次大戦中の強制収容、そして、戦後の再建と波乱に満ちたものがあったことがわかる。L氏から日系移民のことなどについて聞いたこと、この旅行から帰国して翌月に今度はカリフォルニアの農業事情視察研修で訪問した国府田農場や南カリフォルニアの蔬菜園芸の農家訪問などでこのことについて次第に興味を覚えるようになっていた。その後もLAを訪問するたびにリトル・トーキョーの土産物店を訪れるとか、日系移民などを主とした産業や文化について見聞することも多かった。特に、1992年に全米日系人博物館が開館されてからはなんとか時間を作って見学することも多かった。
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今日では、LAを中心とした南カリフォルニア地域は、全米でも最大の日系コミュニティがあり、各県人会、日系商工会議所、文化会館、日系市民連盟など多くの日系団体があり、今では、日系の四世、五世などの時代になっている。日系人社会が変遷する中で日系人の歴史や文化の継承、日系コミュニティの維持・発展のためにも若い世代に日系人としてのアイデンティティを意識してもらうようにしていくことが今後の課題となっているとのこと。(1)
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1940年代後半から60年代にかけてリトル・トーキョー周辺に数多くの日本人、日系人が定住していった。映画館も5軒出来て大手各社が劇場を運営した。こうした邦画専門館は、「日本とアメリカのへその緒」ともいわれ、日本食レストランが誕生、アメリカにおける寿司文化の発祥の地とされた。私たちが訪れた1969年ごろはその絶頂期にあったと思われる。しかしながら、70年代から90年代にかけては、日本人、日系人社会は三世、四世などの世代中心に移り、次第にアメリカ社会に同化していった。高学歴かつ裕福な層が増加した新世代の日系人たちは、地価が高く治安も良く、さらに「アメリカ・トヨタ自動車販売」、「ホンダ・オブ・アメリカ」、「ニコー・アメリカズ・コーポレーション」など多くの日系企業がオフィスを構えるロサンゼルスの南部に位置するオレンジ郡やサウスベイ地区(トーランスやガーデナ市)、その北側に隣接するグレンデール市などに住居を構え始め、それに併せて、日本企業の駐在員もこれらの地域に住居を構えるものが増えた。結果的に、日本人向けのレストランや店舗もそれらの地域に移り、リトル・トーキョー地区の日本人人口は減少していった。(2)
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1988年に、ある施設職員有志のアメリカ旅行をお世話させていただいたが、この時は、そのグループのリーダーにあたる方のお身内が、サウスベイ地区のレドンドビーチにお住まいということもあって、トーランスにある有名ホテルに宿泊した。周辺には、日系企業のオフィスや店舗、大型のショッピングモールなどもあり、自分が70年代に訪れたリトル・トーキョーなどの様子が少しずつ変貌していった背景を自ら知ることができたような気がする。
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2000年代に入ると、リトル・トーキョー地区周辺には、アパートやマンション等が乱立、購入者の多くは韓国系であった。現在では、日系人(日本生まれの新日系人を含む)や駐在員でここに居住する人はあまり見られない。韓国系や中国系のビジネスオーナーの姿が目立ち、東南アジアからの客の姿も少なくない。このため、このあたりを訪れる日本人観光客も減少していった。しかしながら、2010年代になるとスタバや日本発のラーメンチェーンなどの店舗も出店することで少しずつ賑わいを取り戻してきた。近年では、都市開発の影響により、立ち退きを余儀なくされる日系商店も少なくなく、リトル・トーキョー存続の危機にあるとして、NPOの歴史保護ナショナル・トラストは、2024年5月1日にこの地区を存続の危機にある歴史地区に指定した。(3) 

2000年代に入ってからもLAは幾度か訪れた。2007年、この時は、まさに、リトル・トーキョー地区に宿泊した。それも、昨年(2025年)は建物の壁いっぱいに大谷選手の姿が描かれていたホテルであった。この時は1970~80年代に比べると、かつてほどの賑わいが感じられず、この地区の変貌ぶりを自ら実感したような気がした。ただし、新たな発見は、LA郡市交通局(LA County Metropolitan Transportation Authority)が敷設しているメトロレールの駅がすぐ近くに建設されるということであった。
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 LAでは、市街地の交通手段(4)として発達していたパシフィック鉄道などの路面電車が1930年代から1960年代にかけて次々に撤去され、世界に例を見ない自動車交通偏重の都市となっていった。① 広大なLA都市圏には、高速道路網(Freeways)が発達しているが、朝夕のラッシュアワーの混雑度は全米都市圏では一番だとのこと。しかも、大半の自動車が実際には一人しか乗っていないこともあり、さまざまな解決方法がとられているが依然として混雑は解決されていない。② これらの問題を解決するためにも鉄道輸送が見直されて、LA地域にもメトロレール(地下鉄)とライトレール(軽量軌道鉄道)などの建設が進められていた。③ 事実、それから8年後の2015年に行ったときはLittle Tokyo/Arts District駅ができていた。実際に乗ってみたがなかなか快適であった。従来ダウンタウンからハリウッド地区まで車やバスで45分~1時間近くかかったこともあるが、地下鉄では20分くらいで着いたと思う。
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次いで、2018、2019年にも続けて南カリフォルニアを訪れたが、この時は、前述したトーランスが主たる滞在先であった。視察先の一つとしてリトル・トーキョー地区は訪れたが、10年前に比べると新しいカフェや飲食店、店舗などが増え、しかも街区一帯がこざっぱりしてきている感じであった。もう一つは、その周辺に新しくできているウォルトディズニー・コンサートホールなど一帯が大きく変わっていることが印象的であった。駅名にArts Districtという名称が加えられていることが分かるような気がした。しかし、商店などの経営は韓国系や中国系の人たちの顔ぶれが多く見られ、この一帯が往時とはやはり大きく変わってきていることを如実に感じた。(以下、次号) 

《資料》 
(1)変遷する日系人社会(南カリフォルニア概況):在ロサンゼルス日本国総領事館 
(2)1940年代から60年代にかけてのリトル・トーキョー:Wikipedia 
(3)2000年代に入ってからのリトル・トーキョー: Wikipedia & 共同通信 
(4)LA地域の交通手段 
 ① 広大なLA市街地の交通手段:ロサンゼルス(Wikipedia)
 ② LA地域のフリーウェイと交通事情:テキサス交通研究所 
 ③ ロサンゼルス地域の鉄道建設について:LA郡市交通局(LA County Metropolitan Transportation Authority) 

《写真、上から順に》 
・全米日系人博物館(Japanese American National Museum):2019年3月 筆者撮影 
・南カリフォルニア日系企業協会(Japan Business Association of Southern California : JBA 資料より 
・1950年代のリトル・トーキョーの映画館:羅府新報(1955年) 
・Marriott Hotel Torrance Redondo Beach : Discover Torrance 資料より 
・ミヤコホテルの向かい側の商店街:2007年12月 筆者撮影 
・メトロレールLittle Tokyo and Arts District Station :羅府新報より 
・ウォルトディズニー・コンサートホール:2019年3月 筆者撮影