2014.08.20 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅⑱「社会福祉施設処遇技術調査研究と研修事業」

一期一会 地球旅 18 「社会福祉施設処遇技術調査研究並びに研修事業」に添乗して  その3 英国のこと

昭和47年度(1972年度)に始まった財団法人社会福祉調査会の「社会福祉施設処遇技術調査研究並びに研修事業」の報告書が十数冊ある。但し、事業名は途中から「民間社会福祉施設等職員海外研修調査事業」と名称が変わっている。また、主催団体そのものが財団法人社会福祉振興・試験センターと改組されており、いろいろなところに時代の流れの変化を感じる。前回書いたように筆者はこの研修事業の旅行業務を73年から担当させていただき、25年以上にわたって社としても旅行業務をご下命いただいてきた。この間に様々な福祉サービスの在り方そのものも変化してきたし、用語なども変わってきた。報告書を見るたびに添乗したその時々のことを思い出して感慨深いものがある。 最初のころは、欧州が多かったが、77年頃からは米国やカナダが多くなり、特に知的障害関係分野の施設処遇や地域ケア、研究などの大きな変化を感じてきたような気がする。このことは、次から書くことにして、今回は、75年の研修事業報告書にかかれていることの中からいくつかを上げてみたい。 冒頭の主催者あいさつにこの研修事業の目的が述べられている。 「昨今の我が国社会福祉施設の現状は、遅まきながらも年々施設の整備改善が行われ、一部には欧米諸国のそれらと比較しても何ら遜色のない完備したものも見受けられるに至ったことは、この途に携わる者として、真にご同慶に堪えない次第です。翻ってそれら施設の運営面、すなわち収容者に対する医療や保健衛生、とりわけ、生活指導や作業補導といった処遇技術の面、あるいは日常生活の上における介護技術の面となると遺憾ながら先進諸国のそれらには未だ相当の遅れのあることは否めない事実です。 こうした事情に鑑み、わが国社会福祉施設の今後における運営面の改善に貢献したいということで、欧州先進国における社会福祉施設の特に処遇技術等に関する理論と実践について実地に調査研究することを企画してきました。」とある。このような意図のもとでとらえられた一つの傾向としては、「いずれの施設に於いても、施設に収容するということは最終的な方法であって、特別な事情のもとにある者を除いては、極力、その者の家庭生活に重点を置いて処遇しようとする流れにあるということである。」と付されている。 この主催団体の序に対して、75年研修団の団長報告に次のようなくだりがある。一つは、出発時の
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挨結団式の挨拶で述べられたことである。1、東洋の君主国からの研修団であるから、その言動には権威をもってのぞむこと、 2、自分の行動に責任を持つこと、 3、時間は厳守すること、とあった。添乗員を加えて63名の大型団体を統べていくために容易ならざる団長としての心意気が感じられる。 さらに、団長の報告は続く。 今回の研修団は、本部員6名を除き54名で、その6割以上が40歳未満の若い有意の人たちであり、第一線で活躍中の指導的役割を担う人々で、健康で終始研究的態度を高く掲げて行動された。従って年配者もすこぶる張り切って毎日を有効に過ごした。(中略)早朝より深夜に至るまで、「その国の報告書はその国内でまとめて本部員に提出する。」という原則は固く守られ、はたから見ても気の毒なくらいの精励ぶりであり、その熱心さ、その研究態度は真剣そのものであった。(中略)「百聞は一見に如かず」の諺のとおり、いずれの国もさすがに社会福祉、社会保障の先進国だけあって、学ぶべき幾多の長所を有し、汲めども尽きぬその歴史的、社会的、宗教的な背景、その国特有の国民性の発揮等々、数え上げれば際限のないことを痛感しながら毎日が有益な勉強の連続であった。 感銘深い事象を忘れぬための記録か、ホテルの各自の部屋から夜遅くまで灯が漏れていたことを私自身確かめたものでした、と述べられている。 研修旅行はスケジュール通りに進行し、一人の落伍者もなく帰国された時、団長自身「出迎えの方々のお顔に接した時は、文字通り重荷をおろした実感がわき、長男夫妻から赤いバラの花束を受けた時、手がふるえたのは忘れられない。帰宅後計量してみたら体重が4キロも減っていた。」とあった。筆者が初めて欧州への添乗をした67年のときもそうであったことを思い出し、いつもにこにこ顔で泰然自若とした団長であったが、実際はその大役をそれほど大きく意識されていたのだと改めて感銘を受けた。その2年前の研修団では交通事故や病人の発生があったのでそのような過去の経験なども参考にされながら団長を務められたのであろうと察する。 さて、団全体の様子は上記の通りであるが、実際について紹介してみたい。 団は、75年9月27日から10月21日までの25日間、今回はロンドンから始まって、北欧、伊独仏など各国をまわり、訪問国での行政説明を受けたのち、老人福祉、児童福祉、身体障害、知的障害関係など30数か所の施設をグループごとに訪問して多くを学ばれた。 ここでは、英国・ロンドンにある32の区(Borough)の一つ、イスリントン区で得た福祉の概要と筆者自身も見学した施設の特徴を報告書から拾い出しながら、紹介する。「ゆりかごから墓場まで」といわれていた英国の社会保障であるが、1941年のベヴァリッジ報告により再編され、その後1971年に当時の制度に落ち着いていた。 福祉の実施責任は地方自治体(ロンドンであればBorough)が責任を負っており、住宅問題や様々な福祉サービスを行っていた。ただし、保健医療はNHS(National Health Services = 英国国民保健事業)が受け持っていた。従って、福祉を受け持つBoroughはNHSの保健管区との連携により必要な部分の調整が行われていたと思う。社会保障そのものは、国民年金、子どもの養育費、障害者手当、失業給付、生活保護等を国が行っていた。 老人福祉については、老齢人口が増大し、その平均年齢も上昇する半面、老人は弱体化してきている。家族も面倒を見ることができない者は、ホームに収容し、病院や住宅当局と連絡を密にしてやっている。以前はこのようなホームは多くが大きな施設であったが、最近ではその規模を小さくして家庭的な雰囲気で、という方向に向かっている。児童福祉施設と併設される試みもなされた。収容施設に入ることを嫌う老人のために、住宅にも配慮され、必要に応じて改築なども無料で行われた。また、このような設備面だけでなく、ボランティアの助けを図り、在宅老人に対して食事の供給や買い物、洗濯の手助け、あるいはホームヘルパーのサービス、バス運賃を無料にするなどのサービスが行われている。わが国では、超高齢社会における様々な福祉サービスが展開されているが、40年近く前からすでに英国はじめ福祉先進国といわれる国々で様々な試みが為されていたことがわかる。 一方、福祉施設における処遇の基本的な姿勢は個人の自由を尊重しており、すべてのことに対して第一義的には自己選択が重要視され、第三者の介入は避けている。老人の孤独の解消に関しても個々の責任に任されているのが一般的であった。 わが国では、老人の生きがい対策として、クラブ活動などが行われているが、英国では一切行われていない。文化や幼児期から個人としての生き方が基本にある考え方との違いかもしれない。 このような概要説明を聞いた後、ラックストロウ・ハウス(Rackstraw House)
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というアパート式の老人ホームを訪ねた。 カムデン地区と呼ばれる住宅街にあり、定員30名で全館個室、入居条件は、この地区の住人であること、60歳以上、健康で炊事、洗濯、身の回りのことが自分でできることであった。 日本で言えば、この時期(昭和50年代)にあった軽費老人ホームに近いものであり、今日的に言えば老人アパートというべきものであったかもしれない。 職員は、管理者(ナース)と掃除婦、必要な場合は、管理者が相談に乗るほか、外部からのヘルパーやアシスタントを呼ぶことになっていた。 従って、病気等で自立生活ができなくなったときは近くの老人ホームへ移すか、病院で治療を受けることになっていた。
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当時からすでに40年近くが過ぎているが、ホームページを開いてみると、今もこの施設はあり、2000年に改築されたとある。入居条件は55歳からと繰り下げられていた。建物それ自体は、当時も今も変わっておらず、古いものを大切にする英国人の考え方がうかがえる一例といえるような気がする。
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  もう一か所は、ケンジントン・デイ・センター(Kensington Day Centre)である。 いまでは、ケンジントンの中心街はロンドンでも有数の商業地区であるが、一帯は、当時は比較的静かな住宅街であった。ロンドンでは、18~9世紀に造られた建物を使っている例がよくあるが、このセンターは1968年にデイ・センターを目的として新たに建設されたものであった。地域の高齢者向けに図書室、美容室、集会室、娯楽室兼食堂、厨房などがある。Chiropody Roomがあり、足の治療室と訳すればよいであろうか。一日中靴を履いている人が多くて足の不具合に悩んでいる人が多いためであろう。欧州の施設ではよく見かける設備である。職員としては、所長、スタッフ、調理、パートタイマーによる送迎、入浴支援、洗髪サービス、清掃担当などが配置されていた。 このセンターの訪問で団員の興味を引いたのは、近隣住区からの利用者の送迎サービス。歩行障害のある老人を車いすに乗せたまま乗り降りできるようにリフト装置のあるミニバスであった。 今日では日本中どこでも珍しくはないが、40年前であり、日本の施設職員にとっては、まだとても目新しいことであったようだ。
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このほかにも英国では障害児の寄宿学校やレンプロイ(Remploy)=障害者再雇用会社、他にもいくつかの施設を訪問した。さらに各国でたくさんの施設を見学して、多くのことに刺激を受けられてそれぞれの施設や地域に持ち帰られて福祉サービスの中に少しでも多く反映しようと努力されたと思う。特に、障害者の処遇に対する考え方やプライバシーと自己選択、施設収容よりもより地域で、という考え方を一層強く感じられたことが多くの団員の感想に述べられていたことが印象的であった。筆者他、今回も3名で添乗し、過去の経験を活かして団員各位がハードな日程を、視察研修だけでなく、旅行そのものも楽しんでいただけるように努めた。団長が報告書にお書きくださった次の言葉に当時を思い出すと一層うれしくなる。 「最後に、明治航空サービス株式会社の小野氏ほか2名の昼夜を分かたぬ骨折りには仕事とは申しながら頭の下がる思いでした。労基法もなく、知らぬ他国で公私ともにお世話になった全員が解団式で3人をかわるがわる胴上げしたことでもわかるでしょう。」 資料 (上から順に) 昭和50年度 社会福祉施設処遇技術調査研究並びに研修団 出発壮行会にて ラックストロウ・ハウス  1975年当時 (研修団 報告書より) 同上  2014年現在 (資料借用) ケンジントン・デイ・センター 足の治療室 (研修団 報告書より) 同上 リフト装置のあるミニバス (研修団 報告書より)