2014.09.10
小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㉑「社会福祉施設処遇技術調査研究と研修事業」
一期一会 地球旅 21
「社会福祉施設処遇技術調査研究並びに研修事業」に添乗して
その6 米国各地で
もう一度だけ、77年の研修団のときの見聞について書かせていただきたい。 ワシントンDCでは、連邦保健教育福祉省(通称DHEW = Department of Health, Education and Welfare)を訪ねた。米国では、保健衛生、福祉や教育などの直接的な業務は州に移管されているので、ここでは、公共福祉(Public Welfare)、リハビリテーション、発達障害などについての総体的な説明を受けた。その中でも、印象的であったことがいくつかある。 福祉を英語で言うと、一般にはWelfareと訳されているが、主として要保護児家庭補助(AFDC=Aid for Families with Dependent Children)、フードスタンプ(Food Stamp=食料割引購入のスタンプ)などを指していることが多く、用語の難しさをいつも感じていた。 また、リハビリテーションについては、第1次大戦後の傷痍軍人をどのように処遇するかかということから連邦政府に専門部署ができたことが始まりであり、次第に老人、身体障害者のリハビリテーションへと範囲が広まっていったとのことであった。1973年にリハビリテーションに関する法律が制定されており、その中には、建物を新築する場合には、身体障害者が出入りできるようにすること、雇用者は、身体障害者を差別してはならないこと、などが定められており、後年(1990年)、「障害を持つアメリカ人法 通称ADA法」が定められるに至る前段であったと考えてよいのではあるまいか。 この時は、ワシントンでは施設見学はしなかったが、79年、82年とこの地域で大小様々な施設を見学した。その中には、Forest HavenであるとかフィラデルフィアのWoodhaven Centerなどもあり、これらの施設始め各地において施設での処遇を巡る訴訟が起こされ、全米各地でのDe-InstitutionalizationとCommunity Based CareやMainstreamingなどの話題を聞いた。まさにノーマライゼーションという考え方が一層強く広まり、それまでの施設収容方式から地域ケア主体に流れが大きく変わっている時代であった。 この頃、ワシントンでの研修プログラム設定でお世話になっていたのが、日本国大使館の浅野史郎氏であった。後に厚生省の障害福祉課長を務められ、さらに宮城県知事として大活躍された方である。浅野氏は、ジョギング好きな方としても知られているが、ワシントンでの在任中は、ポトマック河畔を颯爽と走り回っておられたのではあるまいか。(2014年9月9日)
小 野 鎭