2015.02.10 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㊷「海外看護事情視察団に添乗して その1」

一期一会 地球旅 42

海外看護事情視察団に添乗して その1

これまで全国社会保険協会連合会(全社連)様の「海外医療事情視察団」(通称Doctor Tour)に添乗して、ということで6回書いてきた。この視察団は、病院長、事務長、各診療部門の部長職などの医師、放射線、検査や薬剤部門など技術関係、そして看護部門も総婦長など(のちには看護局長)などの方々が参加されていた。必然的に、病院管理や診療各部門などのほか、放射線や検査、薬局などの説明と見学など、病院全体を多方面からの広く浅い視察であることは否めなかった。 地域医療、医療費の抑制、医療の品質管理など特別な課題を掲げられて病院や関係機関を訪問することが多かったが看護にウエイトが置かれることはあまりなかった。医療と看護は一体であると思うが、看護についてはもっと専門的に深く掘り下げて視察させてほしい、との願いが寄せられていたようである。 1980年代中ごろ、米国では、医療費がGNP(国民総生産高)の11%以上になっており、医療費をいかにして抑制するかというのは国家的な難問であった。当時、わが国では、5%を少し超えていたが年々増大してきており、次第に大きな問題になりつつあった。そのような背景から、米国ではDRG(Diagnostic Related Treatment Groups=診断グループ別一括支払い方式)が導入され、看護の世界でも、Team Nursing(チームによる看護) に対してPrimary Nursing(一人の患者に対して一人の看護師が入院から退院までを受け持ち、場合によっては、さらには退院後の訪問看護も含めて管理するというやり方)、あるいはCritical Pathway(入院から退院までの治療計画を表示した管理手法)など革新的な手法がいろいろな病院等で実践されていた。また、Nurse Practitioner(NP)という特定範囲内の診断と治療を行うことのできる特定看護師制度やその診療所などもあった。このような情勢が日本でも紹介され、全社連では、看護に特化した視察団を派遣することが検討されて、いよいよ実施されるようになった。1989年のことであり、折しも、昭和が終わり、平成の新しい時代に入った年であった。
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71年に初めてDoctor Tourをいただいてから18年が過ぎていたが、それまでの取り扱い実績などが評価されたのであろうか、この看護事情視察団もご下命いただき、Nurse Tour と名付けさせていただいた。Doctor Tourは当初は33日間という長期であったが、年ごとに短縮されてこの時代では15日間に短縮されて一方では年に2団派遣されるようになっていた。看護は、より集中的にテーマを絞り、より深く学ぼうということになった。そこで、より専門性の高いNurse Tourを担当させていただくことになった。旅行先は必ずしも通訳が容易に得られる場所ではないこともあり、添乗しながらそれも兼務するほうがより効率的かつ経済的であろうとの判断もあった。全社連の当時の看護担当課長Y氏が視察団派遣業務を担当され、「日本の看護界に大いなる先駆的役割と影響を与え続けている米国の看護の側面をぜひともこの目で、この肌で、受け止めたい」ということから訪問国は米国とされた。(海外看護事情視察団報告より)。集中的に学ぶためには、従来のように各地を回って逐次医療施設などを訪問するというよりは、それぞれのテーマに沿って大学の看護学部や看護協会などで説明を受けるなどして全体の流れをつかみ、その上で医療施設などを視察訪問するほうがより効果が大きいであろう、という基本的な考え方がまとまった。 以上のようなことを実際に進めていくためには、全体のコーディネートや助言をしていただける方が必要であり、そのような人物を求めてY氏とあちこち駆け回った。そして、幸運なことにヴァージニア・M・オールソン博士( Dr. Virginia M Ohlson)との出会いを得た。博士は、第二次大戦後にGHQ(連合軍最高司令部)公衆衛生部担当官として来日され、看護制度の一大改革と施行後間もない保助看法の改正や看護行政指導など、日本の看護界に大きな足跡を残された方である。のちにイリノイ州立大学シカゴ校(UIC)看護学部長を歴任されていた。折しも来日されていた博士に会いして、貴重な助言とUIC看護学部訪問を受け入れてもらえるよう尽力くださることのお約束をいただき、大きな勇気を得ることができた。 こうして、平成元年10月16日から29日まで14日間の第1回海外看護事情視察団(Nurse Tour)が派遣された。全社連、厚生団、船員保険会の三団体派遣による傘下の病院の総婦長、看護学校の教務部長、担当のY課長から成る一団に筆者を加えた11名のグループであった。鉄道と航空路の要衝であるシカゴは海を思わせるミシガン湖に面した中西部を代表するアメリカ有数の大都市であり、中心街には当時世界一の高さを誇るビルもあり美しいスカイラインを見せていた。中心街から地下鉄に乗って30分足らずであろうか、広大な医療団地(Medical Complex)が広がり、医科系大学や医療施設などが集中していた。その中にイリノイ州立大学シカゴ校(UIC)看護学部もある。前日のエヴァンストン病院に続いて、二日目は、UIC College of Nursingと書かれた10数階建ての校舎を訪れた。団員一行は、元気いっぱい、小学生のようにはしゃぎ感激もひとしおのUIC訪問であった。個人的な話で恐縮であるが、この数年前に、日本看護協会の視察団のお伴でこの看護学部を訪れたことがあったので、懐かしい思いが蘇っていた。
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校舎に入り、エレベーターで上がっていくと、各教授や助教授などの名札がかかった研究室に続くミーティングルームには、名誉学部長であるオールソン博士始め、ミ・ジャ・キム学部長、他の教授陣に迎えられた。学部長は、歓迎あいさつの中で、教育の必要性は言うまでもないが、管理業務についている看護婦は、修士、博士レベルであり、大学としては今までよりももっと多くの看護学博士、看護の専門家を養成したいと強調された。UICには、700名の学生が登録しており、全米でも有数の看護学部として知られていた。米国では、大学で修士を得た後、さらに実技と学問を続けて博士課程を終え、さらには経営修士号(MBA)を目指して大病院の看護部門管理者や大学の教員となっていく人も多い。
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当時は、看護面ではまだ日本では大学レベルは少なく、病院では看護婦として長年実績と経験を積んで病棟や部門での責任者となり、一方で様々な研修を重ねて総婦長への道を歩まれるという流れが多かった。学歴と実践、経験を重ねて資格を取得してナースがキャリアアップしていくというアメリカ流の在り方について実際に話を聞いて団員はとても刺激を受けられている様子がうかがえた。彼我の違いが大きく感じられたのであろう。 シカゴでは、UICに先立って医療施設として北郊の閑静な住宅地にあるエヴァンストン病院を訪ねた。ここでは、院内看護ともう一つ訪問看護の仕組みと実際の様子について学ぶことが目的であった。米国では、高騰する医療費を抑制するための施策の一環として、DRG が1984年から取り入れられており、各医療施設等では様々な医療と看護の仕組みが研究され実践されていた。入院期間は日本よりはるかに短く、入院受け入れにあたっては治療看護計画が立てられ限定された日数内で退院へと運ばれることが多かった。そこで退院後は自宅へ帰ることが一般的であるが、ナーシングホームへ移されることも少なくなかった。訪問看護は、病院看護とは別に古くからおこなわれていたが、退院した後の継続治療を行っていくための仕組みの一つとして各医療施設等では訪問看護の普及にも力を入れていた。一方では、ナーシングホームや中間施設、あるいは自立型の居住施設など、わが国で近年たくさん作られているサービス付高齢者住宅や特別養護老人ホーム型の施設も見学した。ノースブルック・コンヴェント・ヴィレッジがその一つであった。 ニューヨークでは、カルヴァリー病院というガンの末期患者を対象とした、人生の締めくくりの場としてゆったりしたホスピス機能を持つ施設を見学した。ボストンではハーヴァード大学の教育病院の一つでもあるベス・イスラエル病院を訪れた。ここも、10年程前にDoctor Tour で訪れたことがあり、世界でもトップクラスの病院を幾度も訪れることができて内心では、誇らしい思いがあった。ここでは、プライマリーナーシングを積極的に開発してこられた看護部門担当の副院長でもあるJ・クリフォード氏から話を聞いた。16年前に入職したが、当時は看護部門が大きな働きをしているにも関わらず発言力も弱く、院内における看護部の確立と組織的な看護婦の訓練が必要であると提唱した。そして、病院管理者、医局や院外はもとより、地域に対しても働きかけてやがて他の部門と同等の看護部門の位置づけがなされた、との話があった。このような動きは全米の多くの病院等でも同じような動きがあったのではないだろうか。その後、たくさんの病院などを訪れたが多くのところで看護担当副院長格の管理者にお会いすることが多かった。
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この視察旅行では、シカゴ、ニューヨーク、ボストンで密度の濃い学習が行われたが、忙しい視察の合間をぬって市内視察や観光も織り込まれた。ボストンのあと、ラスベガスへ飛び、グランド・キャニオンを遊覧されたが旅の後半でもあり、リラックスして大いに喜ばれた。この後、サンフランシスコでカリフォルニア州看護協会を訪れた。ここでは、ナース不足への対策であるとか、当時、世界中で大きな問題となっていたエイズ患者への対応と看護がどのように行われているかなどについて興味深いやり取りがあった。
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この視察団では、移動日と週末を除くほとんどの日に視察訪問が行われ、夕食後はその日の見学での振り返りや疑問点の見直しと記録など多忙な日々が繰り返された。筆者は、添乗と通訳、各地での移動と案内などでこちらも負けず劣らず多忙であった。一般の視察団では、貸切バスを手配して通訳が同行することが多いが、このグループは10人とこじんまりしており、視察先では施設内にこもっていることも多く貸切バスを雇うよりは鉄道やタクシー分乗で動くほうが効率的かつ経済的であるということもあってそれらも全部準備しなければならなかった。正直なところ今まで以上に大変であったが、様々な経験やそれなりの交渉力もついていたのか、毎日が面白く刺激的でもあった。こうして、第一回のNurse Tourは多くを学ばれ、好評裡に終了されたが、実際にはいくつか大きなハプニングもあった。幸い、オールソン博士始めたくさんの方々のご好意を得て視察プログラムそのものはとても中身が濃く、このやり方はその後も大きく広まっていった。このようなことなどをこの後のテーマとして書かせていただきたい。 (資料 上から順に) 平成元年度 海外看護事情視察報告 イリノイ州立大学シカゴ校看護学部校舎 ヴァージニア・m・オールソン博士と共に 皆さん、こちらへ・・・(旗を持っているのは誰? 報告書の編集後記の挿し絵) 団員の皆様からいただいた記念のスカーフ (Cartierです!)今も愛用しています。

(2015/2/10)

小 野  鎭