2015.04.01
小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㊾「児童福祉海外研修団に添乗して その1」
一期一会地球旅 49
児童福祉海外研修団に添乗して その(1)米国研修団
1968年頃から年に100~180日位は海外添乗に出る生活は約30年近く続いた。ほとんどが視察や研修旅行などで幅広く専門分野の方々のお伴をさせていただいた。なかでも、福祉や医療関係は全体の2/3以上を占めている。福祉といっても幅広く、その中に児童養護施設や母子・乳児院、保育所など児童福祉関係もかなり経験した。とりわけ、資生堂社会福祉事業財団が派遣された「海外児童福祉研修団」は1980年に初めてご下命いただき、爾来20年近くご利用いただいた。そのうち8回は筆者自身がお伴させていただいており、特に印象深く心に残っている。今でいう児童養護施設で昭和35年(60年)から書記ついで児童指導員として4年近く住み込んで勤務しながら学生時代を過ごしたのでそのことが結果的には旅行業に従事してからもそのような分野の視察などに一層深い興味を覚えることにつながっていったのかもしれない。 64年に念願かなって旅行会社に入り、67年に明治航空サービスに移ったが社の得意とする営業範囲は専門視察で農協、建設あるいは医療関係分野等に強かった。社員は社長以下10名足らずと小さかったが専務を筆頭に5人の営業担当は企画、手配、添乗といずれも殆どが何でも屋で特に欧米先進国には強かった。そんな中で自分も先輩から教えてもらい、病院や学校、農協関係団体の添乗をしながら営業のコツを少しずつ覚えて行った。そして、71年に全国社会福祉協議会(全社協)、あるいは全国社会保険協会連合会(全社連)などの視察団を任されるようになり、一方では社会福祉調査会や東京都などの海外研修を集中的にお世話させていただくようになっていった。厚生省各局での海外出張のお世話も次第に増えて行った。 そのような経験をしているうちに資生堂財団で児童福祉海外研修団を派遣しておられることを知り、その旅行業務受注を目指して社を挙げて営業活動に力を入れた。3年近くを費やしたであろうか、財団法人資生堂社会福祉事業財団が主催される「昭和55年度(1980年)資生堂米国児童福祉研修団」の取り扱いをご下命いただいた。実際の営業活動を開始するまでは、資生堂さんと言えば、日本を代表する化粧品の製造販売を一手に扱っておられる会社という勝手な思い込みであった。資料を拝見すると1872年に東京・銀座に資生堂薬局が創業され、それから大きく発展され、総合化粧品メーカーとして世界中のお客様にも親しまれている会社として成長されたそうである。創業100年を記念して、財団法人資生堂社会福祉事業財団が設立され、次代の担い手を育む婦人および児童の福祉の充実と向上を国際的視野から図り、時代に即応した事業活動を行うことを目的とされていた。(旅行業務のご下命いただくにあたって拝見した設立趣意書より抜粋) 研修団派遣の実務は、事務局次長の迫田氏が担当されて種々ご指導いただいた。財団設立以来、今回が8回目であったそうであるが、それまでの旅行会社から替わって新しくしたので派遣事業の趣旨はもちろん、研修訪問先の選定や手配も慎重に行わなければならない。旅行会社はもちろんであるが、主催者側事務局としてもかなり神経を使われたことと思う。研修事業の主催はもちろん財団であるが、特徴的なことは団員の選抜であるとか視察研修希望事項などは、全社協の関連団体である養護施設、乳児福祉、母子寮各協議会が関与されたことである。一見すると複雑であるが、それまで数年間にわたって多くの福祉関係団体の派遣業務をお取り扱いしていたので全体の流れは容易に理解することができ、事務局としても社への信頼を寄せられたように見受けた。 旅行期間は9月10日から24日までの15日間、主要研修地は、コロラド州のデンバーとカリフォルニア州のサンフランシスコとされた。研修団員は、児童養護施設、母子寮、乳児院などの指導的な活躍をしている現任の専門職23名と事務局から2名、これに添乗員が2名という構成となった。テーマは、ケース発生に伴う児童福祉サービスの対応と各専門機関の連携、ケース特性に応じた指導方針と処遇内容、地域社会との関連として地方自治体(市)社会局などの行政機関、少年裁判所や相談機関、公立あるいは民間の児童関係施設やサービスなどを訪問視察することで集中的に学ぶことが大きな方針として打ち出された。準備には、半年近くがかかったと思う。(2015/3/30)
小 野 鎭