2015.05.06 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅54「大失態あれこれ その1」

一期一会 地球旅 54

大失態あれこれ その1

これまでいろいろな団体やグループについて、いわばシリーズで書いてきたが、毎回が順調であったわけではない。毎回大小のトラブルや予期せぬ出来事が発生し、その都度、血相を変えて走り回ったり、泣かされたり、笑ったりという経験がたくさんある。その原因は自らの不注意や物忘れによる不手際が多いが中には全く予期せぬ思わぬハプニングもある。今となっては、はるか昔の懐かしい思い出話であるが全くお恥ずかしい大失態もある。以前にも書いたことがあるが、旅行中のトラブルでよく遭遇するのは荷物(スーツケースなど)にまつわることが多い。そこでいくつが紹介させていただきたい。 荷物だけ先に行ってしまった! まだ駆け出しであったはるか昔のこと。静岡県産業青年海外研修団で団員数は約40名のグループであった。オランダのアムステルダムから、当時は西ドイツのデュッセルドルフへ向かった。この町は、ノルドライン・ウェストファーレン州の州都であり、ルール工業地帯を後背地としてライン・ルール大都市圏地域の中心地である。当時から、日本企業がたくさん進出しており、日本人在住者も多い。この研修団もここで日系企業現地事務所や青年会議所などを訪ねることが予定されていた。そして、ここでの研修を終えたのち、貸切バスでそのまま70㎞ほ ど離れたその日の宿泊地ボンに向かうことになっていた。 アムステルダムからは当時のTEE(Trans Europe Express)のなかでも
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有名なラインゴールド号で2時間弱、予定通りデュッセルドルフの中央駅に到着した。多分、停車時間は2~3分であった と思うが、駅に着くと荷物はポーターが運んでくれるのでホームで確認するように、と現地手配会社(Land Operator)の手配書に記載されていた。お 客様にはスーツケースは列車のデッキ付近まで運んでもらい、手荷物(ショルダーバッグなど)のみを持ってホームに降り立っていただき、ポーターの姿を探した。出迎えのガイドとポーターは少し離れたところに立って我々を待っていたので、手を挙げて呼んでいるうちに列車のドアは自動的に閉められ、動き出してしまった。
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あっという間の出来事で、ポーターに話したところ、今更どうしようもなく、次の駅で荷物を下ろしてもらうしかないとのことであった。考えるまでもなく、荷物は自分たちで列車から降ろしてポーターに預けるのが筋であった。 万事休す、出迎えのガイドと共に駅員に事情を説明し、荷物の個数やこれからの予定など を伝えて荷物を確保してもらいたいと 頼んだ。列車の次の停車駅は大都市ケルン、その次はボンであった。そこで、ボンで下してもらうことにして、とにかく午前の 訪問先へ急いだ。
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全くお粗末な話で何とも救いようのない大失態であった。この日は何をどうしたのかほとんど覚えもなく、ひたすら荷物の無事回収を願 うのみであった。夕方、アウトバーン(自動車専用道 路)を走り、ボンの中央駅に到着し、バスから飛び降り駅舎へ飛び込んだ。そして、無事、全員の荷物が保管されていたことを知り、一気に身体中の力が抜けていった。 バッグを置き忘れた! その次は、多分、その翌年、これも静岡県産業青年海外研修であった。今度は、西ドイツのボン中央駅でのこと。以前にデュッセルドルフで下ろし忘れた荷物を無事回収してもらったあの駅である。当時、西ドイツの首都はこのボンに置かれており、連邦政府は勿論、ライファイゼン農協の連邦本部もこの町にあった。この日は、農業関係についての研修が主で午前にそのライファイゼンの国際部でドイツの農業や当時のEEC(欧州経済共同体)におけるドイツ農業の構造改善など時代の変化にどう対応しているのかなどを聴いた。その後、ボン近郊の農家訪問などを終え、夕方ボンから鉄道でシュツットガルトへ向かうことになっていた。 当時のボンは、首都ではあっても小さな町で中央駅とはいっても日本のちょっとした地方の駅程度の大きさであった。貸切バスが駅に着いたのは、列車の出発時間まで30分程度しかなかったような気がする。 バスから全員が降りて、それぞれにスーツケースを持ってもらい、階段を下りて反対側のプラットホームまで移り、全員がそろったのは列車が入ってくる数分前であった。私はと言えば、忘れ物が無いかどうかをチェックしてバスの中に置き忘れられていたコートを手に携え、自分のスーツケースと手荷物などを持っていた。そして、ホームで全員の人数確認をして、忘れ物のコートをその団員に渡した途端、片手がすっと軽くなった。そして、貴重品の入ったバッグをバスから降りた駅前の歩道付近に置き忘れていることに気付いた。一気に血の気が引いた思いで、階段を飛び下り、地下道を駆け抜け、そして駅舎前まで駆けつけた。そして、歩道わきにそのかばんを発見し、ほっと安堵する間も無く、今度はまた階段を駆け下り、反対側のホームへ駆け上がった。 DBB(ドイツ連邦鉄道)はスイスと並んで日本並みに鉄道の発着時間は正確であった。
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すでに、列車は到着して荷物も積み終わり、数人の団員が列車のドアを閉めさせずに待っていてくださった。どこをどう走ったかほとんど覚えていないあの数分間。やっと飛び乗ると同時にドアが閉まり、列車は走り出した。カバンの中には、グループ全員の航空券、旅行者小切手、旅行全体のヴァウチャー(予約と費用の払込み済み証明書類)、自分の旅券などとにかく命から二番目に大切なものが入っていた。やっと人心地がついたのはそれからかなりの時間が過ぎてからであった。ライン川に夕日が映え、対岸の美しい風景が次々に車窓を流れて行った。 駅を間違えた! これも産業青年海外研修団の添乗中、そしてこれもドイツでの話。
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ラインランド ・ファルツ州マインツ一帯での研修が終わり、その日は、鉄道でスイスのバーゼルまで行き、そこで貸切バスに乗り換えて首都ベルンに行くことになっていた。下車予定の時間も近づいていたので、団員に伝え荷物を通路に並べたりして到着を待っていた。 先ほどバーゼルという車内アナウンスも聞いていたので、よく確認することも せず、やがて停車したので荷物をおろし、全員ホームに降り立った。以前にデュッセルドルフで犯した荷物の下ろし忘れをしてはいけないという気持ちも強かった。
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ところが、どうも様子が変であった。ホームの雰囲気がまるで暗く、自分たち以外にはほとんど降りる乗客もいなかった。そこで、団体乗車券に書いてある駅名Basel SBBとホームの駅名を比べたところ、降りた駅は、Basel Badとあった。不思議に思い、駅員に確認したところ、そこはドイツのバーゼル駅であり、我々が降りるべきはもう一つ先の駅であった。 そこで、「すみません、間違えました。次の駅です!」と大声で叫び、慌ててもう一度荷物を積み込み、再乗車した。 車掌は渋い顔をしていた。
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多分、1,2分遅れたのではないだろうか。そして、それから約10分後、ライン川を渡ってBasel SBB(スイス連邦鉄道バーゼル駅)に着いた。 全くお粗末な確認不足であった。でも、団員の一人がいってくれた「予行演習はうまくいったね!」という言葉に救われた。 (資料 上から順に) ラインゴールド号の列車表示板(70年代?) デュッセルドルフ中央駅ホームの表示板(現在) ボン中央駅 駅舎(70年代のころ) ライン河谷を走るドイツ鉄道(DB) (80年代か?) バーゼル バディッシャーホフ 通称 バーゼル・バッド駅 国境にある三つのバーゼル駅(独、仏、瑞. : Thomas Cook Timetableより) SBB(スイス連邦鉄道)バーゼル中央駅 (70年代のころ)  

(2015/05/05)

小野 鎭