2015.06.16
小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅60「書芸家のお伴をしたこと (1)」
一期一会 地球旅 60
書芸家のお伴をしたこと(1)
社の顧問であった会計事務所の職員から自分が通っている書道教室の先生が中国へ墓参に行きたいとおっしゃっているので相談に乗っていただけないか、との情報を得た。昭和51年頃(76年頃)であったと思う。日本書芸家連盟という新進書芸家の集まりで、組織のトップであるM会長は中国の東北地方(旧満州)からの引揚者であった。自分の親たちの墓があり、昔、世話になっていたひとたちが今も住んでいる新京(現長春)近くの小さな村(小鄙)に行きたいとのことであった。他にもお仲間がおられ、可能であれば、志を共にされる方々も加えてグループで行きたいとか。当時、中国への旅行は業務渡航以外まだ容易ではなく、加えて墓参であるとか知人訪問などの目的によるものは容易には認められていなかった。行けたとしても北京、上海、広州、その他限られた都市であったと思う。 社では、農協組織の業務渡航などをお取り扱いしていた経験から、中国系の会社に紹介してもらい、その代表者の中国人U氏の子息が旅行業務も扱っているとの情報を得て相談した。公的なルートは容易ではなかったが、どういうつながりであろうか何らかの伝手を探せると思う、行きたい地域の正確な名前などを提示するようにと求められた。具体的な地名などは忘れたが、M会長から地名や地域名などを聞いてこれを件のUジュニア(東方旅行社)に伝えて調査を依頼した。しばらく待っていたところ、どういうルートを経たのか、何とか行けるでしょう、との連絡があった。但し、近くまでは行けても目的の場所まで具体的に叶えられるのかどうかは完全な保証はできないとのことであった。100%の確約はできないが多分、何とかなると思う、というのが東方社からの内々の話であった。 このことを、会長にお伝えした。氏はとても喜ばれて、近くまででも行けるならば、あとは何とか現地で交渉してみたい、とのことで旅行準備を進めて行った。 そこで、東方社から中国側の手配会社を介して、北京から長春までの鉄道を含めて現地での宿舎、その先の必要であろうと思われる交通手段や案内なども徐々に整えられていった。添乗員については、 北京に着くとそれから後は、現地側で通しのガイド(服務生)が最後まで随行してくれるので日本からの添乗は不要とのことで、ここでの出番は無かった。正直なところ、中国の旅行事情を知るうえでも添乗して個人的にも様子を探りたいと思っていたが、結局、これは叶えられなかった。 結果的にはM会長以下、ご一行は2週間近い行程において概ね、希望通りの動きができたとして旅行を終えられた。どういうルートで願いがかなえられたのか、それは最後まで教えてもらえなかった。当時から、中国は公式ルートもさることながら、人のつながりが大きくものを言う国であったような気がする。(2015/6/15)
小 野 鎭