2015.08.12
小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅68「ボンに響け 歓喜の歌 その(1)」
一期一会 地球旅 68 ボンに響け 歓喜の歌 (その1)
ベートーヴェンの生誕地であるドイツのボンで第九を歌うこと、それをどうやって実現するか、自分なりに探り始めた。1990年の秋も次第に更けていく頃であったと思う。これまで数多くの視察団や研修団のお世話で「西ドイツ」は数十回訪れていた。そして、視察先や研修先とのやり取りは直接あるいは手配会社(Land Operator)を通して関わってきた。従って、福祉や医療、農業など様々な団体や機関のことについてはよく承知していた。ところがヨーロッパの多くの国と勝手が違うことがあった。イギリスならロンドン、フランスならパリ、スウェーデンならストックホルムなどと視察テーマは違っていても多くの場合首都を訪ねることが多かったが、ドイツは昔から地方色が強いことが特徴である。ハンブルク、デュッセルドルフ、ケルン、フランクフルト、シュツットガルト、ミュンヘン、あるいはベルリンなど主要な都市1~2か所で主たる視察などを行い、それに続いて地方の豊かな文化や歴史、風物を訪ねることが多かった。 また、1989年11月9日に東西ベルリンを分断していた壁が崩壊し、90年代に入ると事実上東西ドイツの再統一が始まっていた。そして、それまで「西ドイツの首都であったボン」はいずれ首都機能がベルリンに移されるという歴史的にも大きな変容の渦中にあった。ライファイゼン農協の国際部、あるいは医療施設や福祉施設見学などで幾度かボンは訪れていた。勿論ベートーヴェン・ハウス(生家)も行くたびに見学することが多かった。とはいっても、第九コンサートを行うための核となる組織や協力をお願いするような団体への心当たりは無かった。プロの音楽関係団体やオーケストラなどであればそれなりのルートもあるであろうし、具体的な行動に移ることはさほどむつかしいことではなかったであろう。しかしながら、それは専門家たちのやる方法であり、巨額の費用が掛かり、商業的色彩が濃くなることは容易に想像がつく。しかしながら、そのような手法は我々が取るべき方向ではなかった。 ドイツでの協力先を探すうえで、私たちは心で歌う目で歌う合唱団と第五パートについて説明することが肝要であった。第五パートは、音域の狭い人や発声しにくい人たち、知的障害のある人たちにも歌いやすく編曲されている。合唱団設立当初から指導していただいてきた新田光信氏と声楽家の瀬尾美智子氏が共働されて加えられたものである。「付けたり」のパートではなく、第五パートそれ自体が立派な特徴を持ち、他の4パートと呼応しており、この合唱団の核としての存在であるといってよいであろう。のちに、姥山代表は「第九に障害者を近づけたのではなく、障害者に第九を近づけた」と言っておられる。後年、ユニバーサルデザインという言葉が使われるようになってきたが、2000年にニューヨークで演奏会を行った時は、国籍、宗教、人種や皮膚の色、言語を問わず平和を希求する人が集って21世紀へのメッセージを送ったがこれは合唱のユニバーサルデザイン化であったといってもよいであろう。第五パートは、私たちの合唱団の顔である。(2015/08/10) 小 野 鎭