2016.03.16
小野 鎭
一期一会地球旅99 「良き仲間たちとの思い出 高校の同期生の旅行 その2」
一期一会 地球旅 99 良き仲間たちとの思い出 高校の同期生の旅行 その2
“還暦記念 オーストリア、南ドイツそしてスイスアルプスの旅”の計画がまとまった。26名の参加予定があり、これに筆者が添乗員兼現地案内として加わり、総員27名。この中には6組の家族同伴もあった。男女比で言えば、女性17名、男性10名、卒業当時は9クラスそのうち2クラスが女子のみ、1クラスはミックス、残りが男子のみで総員500名であった。そして男女比は約7:3であったことを思うとこの時の参加割合はほとんど反対であった。60歳前後とあって、まだまだ現役世代も多く、10日間の休暇をとることがむつかしかった人もあったのではないだろうか。 2002年6月17日、午前8時15分、成田空港に27名が集まった。お互いに懐かしい顔ばかりであった。誰もがこれから始まる10日間の旅行に寄せる期待と喜びで満面に笑みが浮かんでいた。多くのメンバーが前夜成田に宿泊しており、早めに集まって成田山新勝寺に旅の安全を祈願してきたという。「旅はリハビリ、旅はチカラ」とよく言われるが、こんなにもみんなを明るく輝かしい顔にさせるのか、自分はみんなのお世話役として出かけるが同期生の一人としても加わっている。それまでに200回以上の海外添乗経験があったが、 それまでのどの旅行よりウキウキした気分で足取りも軽くチェックインカウンターに並び、航空会社のスタッフになんとなく誇らしい気持ちで手続きを申し出たことを思い出す。機内では、筑豊便が飛び交い、周囲の他のグループの方には少々迷惑をかけたことであろうことを申し訳なく思いながらも、メンバーの楽しそうな様子を見ながら、旅の平安を願っていた。そしてこれからの行程を最高のひと時にするために精一杯努めようと心に誓い、ウィーンまでの12時間を過ごした。 ウィーンは市民公園にあるシュトラウスの金色の像の前で、現地の女性たちにグーテン・タークと恰好良くあいさつしながら笑顔で写真に収まって いるメンバーもあった。シェーンブルン宮殿の前では有松代表準備の還暦記念欧州旅行の横断幕が披露され、全員そろって記念写真を撮った。この先、集合写真を撮るごとにこの横断幕が活躍した。夕方、プラター公園で観覧車に乗った。ゆらゆら揺れながら高度が上がるにつれてウィーンの市街が広がっていく。誰言うともなしに“フフフーン、フフン♪♪・・・”と『第三の男』のメロディが鼻歌混じりに流れる。吹奏楽部に所属していた河原君と私は、眼下に悠々と流れるドナウ川を見やり、『美しく青きドナウ』を演奏したことが懐かしく思い出された。 そして、グリンチンに向かった。ウィーンの森が 広がる丘陵地のふもとにあり、大小のホイリゲがある。それ自体はことしの新酒を指しているが居酒屋レストランもそのように呼ばれている。口当たりが優しく、さわやかな白ワインとソーゼージなどのおつまみ、そしてアコーディオンやバイオリンの流しが奏でるウィンナワルツや民謡、世界各国お馴染みのメロディが加わって大賑わい。ここでも高校時代の思い出話、授業中の失敗談や担任教師にかかわるエピソード、初めて聞く秘話、幾度も聞いた笑い話。酔うほどに声も大きくなるが、大きな楡の木陰にあるテーブルであちらもこちらも盛り上がっていったが屋外であるので隣のテーブルの笑い声もさほど気にならない。4組の与田君は高校時代からとにかく愉快な人物であった。その明るさと周りを笑わせる話術の妙は天性のものであろうか、今回は夫人同伴であったがその闊達さは40年以上過ぎた今も変わらない。隣りに陣取っていたアメリカ人のグループとも親しくなり、福岡弁と身振り手振りでやり合う様子は抱腹絶倒。流しは観光客のリクエストに応えてくれるので、与田君の指揮もあって、みんなで一緒になって歌いさらに宴が盛り上がった。笑いと歌は消化を助ける。〆は校歌の斉唱となった。ワインとウィーンの夜の爽やかな酔いにバスの中でも歌が続き、あっという間にホテルへの帰館であった。 ザルツブルクまでのドライブは途中ザルツカン マーグートの湖水地帯の美しい風景が車窓に続く。ミュージカル映画『Sound of Music』は我々世代が高校を出て数年後に紹介されたがその後もリバイバルやテレビで幾度も放映されており、ドレミの歌など誰もが知っているお馴染みのメロディ。映画の舞台となった美しい景色を巡り楽しい時間であった。夕食は、ホーエンザルツブルク城のレストラン、そしてお城のコンサート。しかしながらこの日はさわやかさとは違って時ならぬ猛暑、汗だくで聴いたモーツァルトの作品など、今となっては楽しい思い出である。 翌日は、午前中に市内を巡り、昼食後ミュンヘンへ向かった。ここでも、前夜の酔いと昼食のワインが効いて、バスの中では高いびき、あっという間の2時間であった。ニンフェンブルク城の美しい庭園、ここでも横断幕が広げられたことは言うまでもない。ホーフボロイハウスはビールの都ミュンヘンを代表するビヤホール、1300人も入るそうで広い屋内は学校の体育館を思わせるほど大きくがっしりした造り、 そして樫の木で作られたテーブルとイスには1リットル入りの大ジョッキを抱えたお客が座り、あちらでもこちらでも盛り上がっている。店内には舞台があり、ブラスバンドがマーチやドイツ民謡を演奏している。近くに座っているお客は見知らぬ他人であっても目が合うとお互いにジョッキを傾け、笑みを交わして「ハロー、プロージット(乾杯)!」 時がたつほどに熱気が高まっていく。そして、20~30分おきにハイリヤホッホホのメロディと共に場内は一斉に立ち上がって乾杯する。 この日は、隣のテーブルには、ここでもアメリカ人のグループ。今回は屈強そうな一団で髪はクルーカットの青年たちであった。折り目正しさから若い軍人らしかったがビールが入るとこれもまたにぎやかになる。そして、舞台のバンドに合わせてリズムを取り、床を踏み鳴らす。しばらくして、我がグループと米青年たちとがビールの飲み比べをすることになった。こちらは、有松代表、あちらはルイジアナ出身の青年であった。双方大ジョッキを掲げてワン・ツー・スリーの掛け声とともに日米双方の声援を受けて一気飲み、有松氏の奮闘ぶり(?)で日本側の勝利で両方とも大喝采! こんな日米決戦ならば悪くない。 ドイツ人がビールに強いことは驚くばかり、特にミュンヘンでは男も女も、老いも若きもとにかくよく飲む。それでいて酔っぱらいはあまり見ない。マナーが良いのか、体質的にビールが合っているのか? しかし、それでもホーフボロイハウス一帯の飲兵衛横丁(筆者個人の呼称)はあちこちで酔った勢いで怪気炎を挙げているグループを見かける。時にそれはドイツ人であったり、それ以外の外国人であったり、この日は我がグループもこれに刺激された。日米決戦に勝った勢いもあったのかもしれない。円陣を作って肩を組み、校歌斉唱。ウィーンのグリンチンに続いて二度目であった。どうやら校歌斉唱は我がグループのアイデンティティであるらしい。 明けてミュンヘン中央駅から列車で スイスのチューリヒへ向かった。夏のこの時期、南ドイツからスイスにかけては豊かな緑野が広がり緩やかにうねる丘陵地が続き伝統的な建て方の建物が集まっている集落など、どこまでも美しい風景が続いている。景観保護の観点から野立て広告や巨大な広告塔などが禁じられているヨーロッパの自然の美しさは素晴らしい。この地域は列車の旅としてはとても楽しいルートである。この車窓風景をきっと堪能してくれるに違いないと信じて疑わず、この鉄道の旅を織り込んだ。しかし、その願いは、前夜の酔いでほとんどのメンバーが白河夜船、列車の揺れが心地よい子守歌であった。やがて目覚めて景色の良さに歓声を上げる頃、すでにチューリヒの町が近づいていた。(チューリヒ以下は次号にて) (資料 上から順に いずれも2002年6月当時) 還暦記念 オーストリア、南ドイツそしてスイスアルプスの旅 携行旅程 ウィーン 市民公園にて ウィーン シェーンブルン宮殿の庭園にて グリンチン ホイリゲ アルテス・プレステスでの国際交流 主役は与田君 ザルツカンマーグートのトラウン湖畔にて ミュンヘン ホーフボロイハウスでの賑わい ミュンヘン中央駅、これからチューリヒへ (2016/3/15)
小 野 鎭