2025.05.07 小野 鎭
一期一会 地球旅 360 ロンドンでの思い出:忘れ得ぬ人
一期一会・地球旅 360 
ロンドンでの思い出 : 忘れ得ぬ人 
image.png
産業青年後継者養成海外研修は、前後6年にわたって担当させていただいた。最終年は、1975年(昭和60年)で、英国が主要研修国であった。ロンドンと周辺都市で3日間にわたるプログラムが行われ、最終日の夕方、ホテルで現地青年との交流会が行われた。この時の研修団の人数は118名、現地で集ってくれた青年は、多くが英国人であったがいわゆるアングロサクソンもあれば、インド系、中国系、アフリカ系など様々な顔ぶれであった。商店を経営している人もあったし、レストランでウエイターをやりながら勉学に励んでいる人もあった。日本でも名前を聞く企業に勤務している人もいた。 
 
ロンドンでの研修プログラムの設営については、日本航空のロンドン支店が応援して下さり、青年との交流にあたってもいろいろなところに声をかけていただき、なかなかの盛況ぶりであった。研修団員は、何とか頑張って英語でやり取りする人もいたが、やはり一定数の通訳者は必要であった。われわれ添乗員も頑張ったが当然それでは足りず、現地英国在住の留学生であるとか、日本企業の現地社員の家族などにも来てもらっていた。その中の一人でロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで研究員として学んでいる女性がいた。自分より少し年長かなと思ったが、多くの日本人が話す英語よりは、まさに英国人並みに流暢な話しぶりがひときわ印象的であった。英国生まれなのかなと思うほどであった。集いが終わって、その女性と話す機会があり、少々個人的なことになるが、と言って次のようなことを話しくれた。東京での大学を終えて、その後、ロンドンに留学して経済を勉強していること、しかし、市内ではなく、列車で1時間くらい離れたロンドン南西部の小さな町に住んでいること。ロンドン市内に住まないのは、家賃や生活費が高くつくこと、現在、住んでいるところは完全に英国人社会の中であり、英国人の生活と、なによりも英国人との会話を楽しめることということであった。見事な留学生活だと羨ましく思ったものであった。 
image.png
この時はそれで終わったが、それから数年後、ロンドンで市内見学中、英国の小売店チェーンストアとして有名なMarks & Spencerのオックスフォード通り店の前を通ったとき、ガイドからこの会社の御曹司と結婚した日本女性があり、日本名 志村寿子、いまは、Lady Toshiko Marks と爵位が着いており、正しくは、Baroness Marks of Broughton = ブロートンのマークス男爵夫人という称号であるとのことを聞いた。それを聞いて驚いた。数年前、産業青年後継者養成研修団のロンドンで青年との交流の夕べで通訳として来てくれていた志村寿子女史であった。それから数年後、Lady Toshiko Marksは、日本の大学の教授となり、英国と日本の両方で活躍していることを知った。1990年代のある日、訪日中のマークス寿子教授(当時は、八千代国際大学=現秀明大学)を訪ねたところ、私のことを覚えていて下さり、懐かしいひと時を過ごした。 そして、英国社会と日本社会との違いなど評論と著書もあると聞き、「大人の国イギリスとこどもの国日本」、「ひ弱な男とフワフワした女の国日本」など何冊か読んだ。痛烈な日英の比較文化ということで、ある面ではうなずくとか、口惜しく感じたものであった。今回、この項を書くにあたり、レイディ・マークス寿子のことを調べてみたところ、2024年6月に亡くなったとあり、改めて昔を偲ばせていただいた。合掌。 
 
image.png
この年の研修団は、ロンドンの後、パリへ向かった。ロンドンからパリは今なら空路で約1時間、鉄道でもユーロスターであれば3時間くらいで行けるが当時は、空路以外に鉄道とフェリーで往来することも多かった。この時は、ロンドンからナイトフェリー(Night Ferry)と呼ばれるちょっとロマンティックな呼び方が付けられている鉄道での移動であった。ロンドンを午後9時に発ち、ドーヴァー海峡は列車に乗ったままフェリーに乗せられてフランスのカレーに到着、再び列車で約3時間走るとパリに到着という夜行便である。比較的ゆったりした旅であったが航空便に乗る回数を抑えることで航空運賃を安くするために使われることもあった。昔は、ロンドンからヨーロッパ大陸へ行くときは、ドーヴァーまたはフォークストンまで鉄道、そこからフェリーでベルギーのオステンドまたはフランスのカレーかダンケルクに上陸、そこから鉄道でブリュッセルまたはパリを目指すことが多かった。 
image.png
この時は、ロンドン市内で夕食を摂り、ヴィクトリア駅へ。ナイトフェリーの寝台車に乗って21時出発、1時間余り走っているうちに心地よい揺れに眠り込む。しばらくするとそれまでのレールの上を走ってきた感覚から大きなうねりの上でゆったり揺られている気分、列車はフェリーボートの上に敷かれたレールの上をそのまま船上へ。2時間くらいでカレーに着き、そのままフランス国鉄のレールを走ってパリの北駅(Gare du Nord)へ午前9時に到着した。この駅は、映画や名画としてもよく紹介されているパリの代表的なの駅の一つである。70年代までは幾度かこのナイトフェリーでロンドンとパリの間を移動したがこの鉄道便も1977年に運航停止となり、航空機の移動が圧倒的に多くなった。一方では、1990年代初めにユーロトンネルが完成して、1994年に高速鉄道のユーロスターが走り出し、昨年30周年を迎えている。 
 
image.png
とにかく時の流れを感じるというのが素朴な感想である。日本でも青函トンネルが完成して青函連絡船がなくなり、今は新幹線で本州と北海道が結ばれている。ブルートレインが懐かしがられるとか、「津軽海峡冬景色」はもっぱら歌の世界で生きている。パリでは市内見学、その後フランクフルトへ出て日本航空に乗り換えてハンブルク、アンカレッジ経由帰国の途へ着いた。何とも悠長な旅行であったが当時はそれほど珍しいことではなかったし、南回り(インド経由など)で帰ってきたこともあった。ところが、ハンブルクを発ってからこの帰国便では予期せぬトラブルが発生、自分自身それまでもそれ以後、今に至るまでも経験したことのない大きな出来事であった。これについては改めて紹介させていただこう。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・産業青年後継者養成海外研修団 商店見学 ロンドン郊外のベージング・ストークにて(1975年、筆者撮影) 
・Marks & Spencer Oxford Street Store in London :  BBCより 
・マークス寿子さん : 産経ニュースより 
・大人の国イギリスと子どもの国日本 : 草思社資料より 
・Night Ferry ロンドン・ヴィクトリア駅にて  : Reddit資料より