2016.03.29 小野 鎭
一期一会地球旅101 「良き仲間たちとの思い出 高校の同期生の旅行 その4」

一期一会 地球旅 101

良き仲間たちとの思い出 高校の同期生の旅行 その4

 旅行は、国内、海外を問わず一度出かけるとまた次が待ち遠しくなる。特にはるか昔の仲間である高校時代の同期生との旅行を楽しんだ後は長く余韻が響いていた。写真を見たりテレビの旅番組で自分たちが行ったところが紹介されると無性に懐かしさが蘇って来る。多くの人にとっては、旅行は人の心を明るくし、楽しくするものであろう。KHS12の還暦記念旅行が終わってしばらくすると、旅行には参加しなかった人などが何かのときに参加した人から土産話を聞いたりして、次の機会があれば参加したい、などの声もあった。有松代表も同じであったらしく、毎回遠出することは時間的にも、経済的にも負担が大きいので少しこじんまりしたプランを考えてみようという気があったのかもしれない。 偶々同期生の一人、村尾忠君がタイのバンコクに在住しており、彼からの誘いもあるのでタイ旅行を計画することになった。2003年6月に福岡発着でバンコク2泊、帰路機中泊を含めた4日間のプランであった。ツアーの名前は、「アフター
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還暦旅行パート2 佛様に近づくタイ旅行」、お誘いの案内は、「還暦を過ぎて早や2年、いろんな意味で仏様とお近づきになる年齢となりました。仏様への信仰厚く、素晴らしい仏教文化と寺院建築の宝庫『タイ旅行』を企画しました。現地では、在タイ30年を越す村尾忠君(4組)が案内役を務めてくれます。多数の参加をお待ちしています。」であった。その誘い文が効いたのであろうか、47名の参加希望者があった。ところが、2002年秋に中国南部で発生したSARS(重症急性呼吸器症候群 通称 新型悪性肺炎)は世界中で感染者が増え、恐怖が広まっていった。そのため、海外旅行者も激減していた。翌年春先になって少しずつ沈静化の兆しは見えてきたが依然として不安は残っており、東南アジアへの旅行計画を進めることは難しかった。ツアーのタイトルが「仏様に近づくタイ旅行」ではあってもそれが現実になることがあってはならない。参加予定者からも不安の声が届き、有松代表とも相談の上、旅行計画を暫定的に延期することになった。 こうして計画は1年半近く過ぎた2004年11月に実施されることになり、旅行行程はバンコクだけでなく、風光明媚で気候も温暖なチェンマイを加えて6日間とすることになった。再募集した案での参加希望者は42名、私を加えて合計43名となった。参加者は、福岡を主とする九州勢、大阪など関西勢、そして関東勢である。欧米など遠隔地であれば、多くの場合、各地から東京へ集まってそこから出発するということが多いが、アジアなど近隣諸国へは福岡、大阪、東京などから
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直行便が飛んでいることも多い。そこで、第1日目は、3地区からそれぞれ出発して午後早めにバンコク到着、ここで全員が集まって、夕方の国内線でチェンマイへ行くことにした。帰路は、バンコクからそれぞれの出発地へ、というコース。つまりバンコクでの現地集合と現地解散という方法をとることになった。往路の機内で和気あいあいと過ごすことは仲間内の旅行の楽しみの一つであるが、今回はこれはある程度あきらめていただいた。時間と経費の節約、利便性ということからいえば、むしろ、そのほうが効果的であろうという結論である。こうして、バンコクをハブ(集合離散地)とするタイ国際航空が最良であり、これを利用することにした。 3地域からの出発時間はまちまちであるが、幸運にもバンコク到着時刻は最大前後20分以内に3便とも到着することになっていた。もし、いずれかの便が遅延したりするとバンコクでの集合に大きく影響することになるが、予定通り到着できることを前提としてスケジュールを確定した。旅行手配は、現地の手配会社に依頼するとしても、現地に同期生が在住していることはそれ自体親しみが持てるし、楽しみであった。 こうして、福岡から32名、大阪から2名、東京から7名、バンコク滞在1名、計42名の参加申し込みがあった。福岡からの出発が一番多いので、筆者は前夜福岡へ飛び、九州勢の出発を手伝うことにした。短期間の東南アジアへの旅行という親しさもあり、加えて直行直帰という便利さもあったと思うが43名という大人数であるので、現地では貸切バス2台で動くことになった。せっかくの親しい仲間同士の旅行が2つのグループに分かれることになり、少々物足りないという思いもあったが、移動したり、観光するには少々不便であり、味が薄まってしまう。そこで、食事やメインのアトラクションでは、グループ全員が一堂に会する機会を作り、移動や市内観光は2グループ編成で動くことにした。これは成功であった。しかしながら、出発段階で大きな失敗を犯していたことに気づかされた。 ほとんどの参加者が回数の差はあっても海外旅行の経験はあった。加えて、タイの入国査証(ビザ)も不要であり、結果的には、渡航手続きとしては、参加申込書と有効な旅券の写しを送ってもらうことで名前の確認も行い、それで出発に備えていた。福岡空港には、当日朝、予定通り九州勢全員が集まった。欧州へ行ったメンバーとは2年ぶりであったが、多くの団員とは18年前の全校同窓会で会ったまま、中には、卒業以来初めてという顔もあった。この中には同期生の友人夫妻もあった。しかしながら、出発までに旅券の写しを確認することが疎かになっていた。空港で初めて会ってさっそく旅券の確認をした。背中に冷水を浴びせられた思いとはこういうことをいうのであろうか、漢字の読みが違っていた。苗字はさておき、名前の綴りが違っていたのである。早速、タイ航空に掛け合い、搭乗者名の訂正を申し入れたが、出発当日のチェックインカウンターでは処置なし、として応じてもらえず、予約の取り直しが必要であった。予約は全区間を確保することができたが、航空券の再発行が必要である。出発当日の購入となって早割も効かず、取り消された当初の航空券に適用されていた運賃との調整結果、14万円余りの追加が必要であった。如何ともし難く、クレジットカードでこれを払ったが元はといえば当初の確認不足が原因であり、痛い授業料であった。何ともお粗末な一幕であった。 幸い、3つのグループは予定通り、バンコクに到着、入国審査の長い列で先に着いたメンバーとも顔が合い、お互いに言葉をかけあうなど、早速旧懐を楽しむ明るい笑顔があった。税関検査を受けて外に出ると村尾君が満面に笑みをたたえて一行を迎えてくれた。個人的には、彼とは全校同窓会以来であったので、18年ぶりの再会であった。彼は現地で業を起こし、実業家として成功していた。この国ではたびたび政変もあり、経済面でも大きな影響があったと思うがそんな中にあってしたたかに生きている彼には逞しさと並々ならぬ強さがあるのだろう、というのが素直な感想であった。(以下 次号)   (資料 上から順に) 仏様に近づくタイ旅行 当初計画(2003年6月 予定) 募集案内 もう一度仏様に近づくタイ旅行 (2004年11月) 募集案内  

(2016/3/28)

小 野  鎭