2022.12.12 小野 鎭
一期一会 地球旅 240 英国の伝統・文化と田園を巡る旅12
 
一期一会・地球旅 240 
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ⑫ 
(Ironbridge Gorge :アイアンブリッジ峡谷) 
 
 旅の5日目、10月8日チェスターからアイアンブリッジ峡谷、ストラトフォード・アポン・エイボンを経てコッツウォルズ地方のブロードウェイに向かった。グレート・ブリテン島の中部から北部には山地もあるが中部から南にかけては、丘陵地はあってもおおむね平地が多い。従って、モーターウェイ(=自動車専用道路)を走っていてもトンネルがほとんどない。鉄道や道路との交差路や都市部での地下を通るためのトンネル、河底や海底トンネルなどはあるが、山岳や丘陵地帯等での隧道(=トンネル)はほとんど通過した記憶がないような気がする。事実、Road Atlasなどの地図を見てもトンネルらしい表示はほとんど見つからない。 
午前中はチェスターから先ずはアイアンブリッジ峡谷を目指した。中部イングランドには、マンチェスター、バーミンガムやリーズ/ブラッドフォードなどの都市圏があり、大ロンドン地域に次ぐ産業経済都市群である。これらの地域では、複雑に自動車道路が複雑に入り組んでおり、バイパスを通り、市街地を経由していくことは少ない。従って、建物群を見ることもあまりない。鉄道であれば、主たる中央駅は中心街にあり、市街地を抜けていくのでこの場合、Motorwayより鉄道の方が面白く、自動車道路ではそこは我慢せざるを得ない。 
このあたりは今から300~200年以上前に産業革命が起きた地域であり、少し広範囲にみると、これから行く「アイアンブリッジ峡谷」を始めとして、コンウォールと西デボンの鉱山景観、ダーウェント峡谷の工場群、プレナヴォン産業景観、ポンテカサステ水道橋と運河などの世界遺産があることに気づく。前日訪れたリヴァプール海商都市も2021年まではそうであった。鉄道にしろ、バスにしろ、英国を南北に縦断するとき、産業革命について少し探ってみるのと、そうではないのでは、旅行内容を掘り下げてみる上からも興味の度合いが違ってくるような気がする。 
18世紀前半に始まった新しい交通、資源、社会を生み出した産業革命は生産技術の革新と急速な経済性成長をもたらし、人々の生活を一変させた。この時代は、エネルギーの消費量も格段に増大し、現代に続く物質文明への道を開いた人類史上、最大ともいえる転換点であった。この一大革命とはどんな革命であったのかということで見ていくと、蒸気機関の発明、石炭と鉄の利用、そして工場での大量生産が挙げられている。 
この日、最初に訪れたのはアイアンフリッジ峡谷であった。地図を見てもほんの小さな地名であり、これを見つけるのも一苦労したが、世界遺産について特集した資料であればすぐに見つかる場所である。そして、それに続く地名として、コールブルックデイルがある。これらの地名はいつ命名されたのかわからないが、細かく分解してみるとわかるような気がする。Ironbridge Gorgeは文字通り、鉄の橋&峡谷であり、Coalbrookdaleは石炭+小川+谷間ということになる。これらの地名は英国第二の大都市であるバーミンガムから北西方向に直線で40kmくらいのところにあり、鉄鉱石精錬の歴史において、重要な集落が含まれている。この地で、アブラハム・ダービーⅠ世が鉄鉱石を製錬した場所であり、石炭を前もってコークス化してから溶鉱炉に入れて製鉄する方法を1709年に世界で初めて開発したそうである。
17世紀末にはすでに開発されていた蒸気機関を初めて自分の工場に取り入れて安くて質の良い鉄の大量生産にも成功していた。時はまさに産業革命の幕開けを迎えようとしており、機械と蒸気機関車に、レールにと、良質の鉄が必要不可欠とされていた。こうして、時代の要請に応えたダービーの工場があるコールブルックデイル峡谷一帯は世界最先端の製鉄技術を持つ工場地帯として栄えた。日本では、江戸時代中期、5代将軍徳川綱吉から6代家宣、元禄から宝永時代に変わるころであった。 
この峡谷を流れているのがセヴァーン川(River Severn)であり、ブリストル海峡へと続いており、製品を海まで運ぶことが容易であった。一帯は、良質の石炭と鉄鉱石が産出され、その後、磁器の原料としても良質の粘土も採掘されるようになった。この辺りは、谷間が深く、流れは緩やかで運搬船にとっては好都合であったが橋がひとつもなく、水上交通か遠回りの陸上交通に頼っていた。そこでスムーズな物流の必要性と製鉄の象徴の意味も含めて、1779年に鉄の橋が建設された。建設を指揮したのは、ダービーⅢ世である。
彼は、この時代にはイギリス最大の製鉄所であった自分の工場で橋の部材を作り、現場で組み立てさせた。総重量400tの鉄の橋は、構造材としての鉄の新しい用途を開いたのである。18世紀末にセヴァーン川が氾濫して従来の木製や石の橋はほとんど流されたが、アイアンブリッジは全く変わるところが無かったという。橋はその後何度か補修されながら、今も歩行者用として現役である。また、ダービーの製鉄所を含むいくつかの工場跡は、現在は博物館として一般公開されている。一帯は、セヴァーン峡谷と呼ばれていたが、当地の産業遺産となったアイアンブリッジに基づいた名前の方が、今は通りが良くなっている。アイアンブリッジ峡谷には、18~19世紀の英国の産業革命の象徴ともいえる鉄鋼業地帯が広がっており、1986年、英国初の世界遺産となった。 
アイアンブリッジから見下ろすとセヴァーン川はゆったりと流れており、かつての製鉄の町の面影はおよそ見られない。歴史を知らずに訪れたら、静かな地方の小都市であり、少し古い鉄の橋があり、さほどの感慨もなく通り過ぎるかも知れない。比較するには、少し無理があるかもしれないが、筆者の故郷も同様である。石炭が主たるエネルギー源であった大正から昭和にかけて、日本でも代表的な産炭地であった筑豊炭田(福岡県飯塚市など筑豊盆地)は今回案内しているほとんどのメンバーが小中校の12年間を含めて多感な時代を過ごしている。
1950年代後半から石炭が石油に代わっていったエネルギー革命で往時の炭鉱町は次第に寂れていった。半世紀以上を過ぎた今、かつて石炭産業で繁栄をしていたという面影はわずかに残る三角錐型の小さなボタ山の跡や炭鉱設備の名残などがあるのみ。昔のことを知るには土地の人に話を聞くとか、写真、博物館や資料館、もっと古い時代であれば山本作兵衛の筑豊炭鉱絵巻(世界記憶遺産)などで学ぶことが出来るかもしれない。アイアンブリッジの下を静かに流れるセヴァーン川を見下ろしながら炭鉱町で育った子供のころを思い出していた。(以下、次号) 
 
出典(参考&資料) 
「産業革命について」& アイアンブリッジ峡谷 
①  NHK世界遺産100 : イギリスの産業革命 
②  世界遺産大事典(下) : アイアンブリッジ峡谷 
 写真&資料(上から順に) 
Spaghetti Junction – Crop : Wikipedia 
Industrial Revolution : Studious Guy 
Coalbrookdale : Wikipedia 
Location of Ironbridge Gorge : Scientific Diagram 
Coalbrookdale Museum of Iron : Shropshire Tourism & Leisure 
History of Ironbridge : English Heritage 
 アイアンブリッジ : 2013年10月8日筆者撮影 
 アイアンブリッジから見たセヴァーン川 : 2013年10月8日筆者撮影 
 アイアンブリッジのたもとにて : 2013年10月8日筆者撮影