2023.01.23 小野 鎭
一期一会 地球旅 245 英国の伝統・文化と田園を巡る旅⑰
 一期一会・地球旅 245 
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ⑰ 
ロンドン その2 霧の都 
 
 グロスターロードからピカデリーサーカス迄は地下鉄で10分足らずであった。中心街のそれもど真ん中、ピカデリーサーカスで下車。長いエスカレーターで地上へ出てみると歩道と言い、近辺の小路といい、人出の多いことは驚くばかり、溢れんばかりの人々々であった。特別なイベントがあったわけではないと思う。今回に限らず、とにかく行くたびに夕方から夜遅くまで人出が多かったと思うが改めてその混雑ぶりに驚くほどであった。前夜、コッツウォルズでの静けさを味わっているだけにこの喧騒にはついていけないほどである。メンバー各位には迷子にならないようにと言葉をかけたが女性陣は2人ずつ手をつないでお互いに注意しており、少し安心した。 
10分ほど歩いてLeicester Square(レスタースクエア)まで出た。周りには劇場街もあり、レストランなども多く、ロンドン有数の盛り場である。中華やインド料理などの看板のほか、Angus Steakhouseが数軒ある。久しぶりにステーキを食べてみたい、という声があり、どこか入ってみようということになった。幾度か入った店もあるが昔のことであり、予約はしていないので席が取れるかどうか自信はなかったが7~8人であればテーブル2つを寄せるということで入ることが出来た。店内はにぎやかでどのテーブルでもビールやワインを傾けながら食事を楽しんでいる様子が見て取れた。 
 
 英国料理と名前はよく聞いてはいるがフランスやイタリアのように英国で料理を愛でた思いはそれほど多くはないが、アンガス・ステーキは世界的にもよく聞いている。期待に応えてくれるようにと内心で祈りながらテーブルに着いた。やがて料理が運ばれてきた。この日のステーキも予想通り(?)肉が固く、味が薄かった。付け合わせのニンジンやグリーンピースもあっさり茹でた塩味。メンバーはいずれも食事が美味しかったとはだれも言わず、いささか申し訳ない気がした。やはり中華の方が良かったかもしれない。如何にも美味しそうなステーキ店の看板を見直しながら、胃の腑は今一つ満たされないロンドンの第一夜であった。昔は、レストランで食事をとった後は、テームズ河畔散歩などへ案内し、夜景見物を楽しんでいただいたりして喜んでいただいたものであるが、今回はバスツアーの後であり、さすがにこの夜はその元気もなくホテルへ直帰した。 

ところで、最初にロンドンに来たのは、1967年11月。今ここに書いているこの旅行(2013年)より46年前のことであったし、現在(2023年1月)より56年前のことになる。そして、これは初めてのヨーロッパへの添乗でもあった。当時はよく言われていた「霧の都ロンドン」がぴったりするかのように重い空気にけむり、ウェストミンスター寺院や大英博物館に限らず、国会議事堂やロンドン塔などほとんどの教会や官公庁のビル街などはいずれ黒ずみ、重苦しい風景であった。長年、石炭を燃料として用いてきたことから大気汚染と冬の湿った空気が原因であると聞いていた。つまり、石炭の煤煙が建物の屋根や壁にこびりついたということであろう。もう一つ、冬季には健康を害する人も多かったと報告されている。1952年にはロンドンのスモッグが特にひどく、通常よりも4,000人多く、この冬は12,000人もの人が亡くなったそうである。(環境省資料,Wikipedia など) この衝撃的な結果により、スモッグが深刻な問題であることを世に知らしめ、1954年にロンドン市議会で煤煙排出規制条例(City of London Act)そして1956年に英国で大気浄化法(Clean Air Act)が施行された。
こうして大気汚染が防止されることなり、人々の健康が守られ、建物の汚染も防止への踏み出したのであろう。産業革命からでさえ2~300年、石炭はそれ以前から燃料として使われており当時から大気汚染を防止するための決まりも行われてきたとはいえ、長い歴史を経て汚れてきた建物の蘇りは容易ではなかったであろう。これは、ロンドンに限らず、パリもそうであったし、ドイツのケルンなどでも似たような例を見てきた。初めてヨーロッパを訪れた1967年に至っても多くの大都市の建物が黒ずんでおり、特に秋から冬にかけての中・北ヨーロッパは晴天が少なく、鬱陶しく感じたことが思い出される。建物を浄化し、美化することには様々な検討や方法が講じられ、実行されて来たが多くは洗剤を吹き付けて、水で洗い流すことが多かったと聞いているし、教会などが大きく洗われている様子をよく見てきたことも覚えている。いまは、ウェストミンスター寺院も同名の宮殿(英国国会議事堂)なども美しい景観を見せている。
1952年の大規模なスモッグでは、第二次大戦中に爆撃で死亡したロンドン市民の約半分に相当する数の死者があった。建物の汚れもさることながら、大気汚染の恐ろしさを物語るロンドンの経験から、昨今北京やインドのニューデリーで発生している大気汚染の防止が強く呼びかけられている。(Peter Thorsheim :Asst. Professor, Univ. of North Carolina) 
 
ロンドンを最後に訪問したのは2002年1月であった。自閉症関係の専門家グループをご案内しての訪英であったが、こちらも添乗と通訳兼務であった。従来の視察型の研修旅行よりは療育関係でより深く突っ込んだ難解な内容であったのでかなり苦労したことが思い出される。もう一つの思い出は、この時の訪問先の一つがロンドンから北へ約1時間余りのノッティンガム市であった。ところが、この数日前に英国南部が豪雨に見舞われており、道路のあちこちが冠水していたため、幾度か迂回しながらの移動を余儀なくされた。英国で経験した数少ない水害経験であった。それから11年を経て今回の訪問であった。特にその前年、2012年にロンドン・オリンピック&パラリンピックが行われており、歴史的にも古いロンドンの町であるが10年余りの間に様変わりしたところもあり、物理的にも社会的にも興味深いものがあった。 
(以下、次号) 
 
(写真と資料、上から順に) 
レスター広場(Leicester Square) : トリップアドバイザー資料より 
ロンドンの大スモッグ (BBC資料より) 
1952年12月5日ロンドン・ピカデリーサーカスにみる濃霧(Market Placeより) 
ウェストミンスター寺院から国会議事堂、ロンドン・アイなど近景 : Visit Britainより