2023.02.20
小野 鎭
一期一会 地球旅 249 英国の伝統・文化と田園を巡る旅㉑
一期一会・地球旅 249
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ㉑
ロンドン その6 市内観光(4)
ところで、全くの付けたりなどと言っては医師・作家コナンドイルに叱られるかもしれませんが、シャーロック・ホームズの友人ジョン・H・ワトソンはロンドン大学卒業後、セント・トーマス病院に入り、ここで医学博士を取得したのだそうですね。(Wikipediaより)
ナイチンゲールの名前を冠した看護博物館が同病院内にあるほか、テームズ川に面した庭園には彼女の名前が付けられている。また、セント・トーマス病院の救急外来センター前を通って少し走るとアルバート・エンバンクメント(Albert Embankment)があり、以前はちょっとした小公園になっていたが今は区画整理(?)されてこの場所は無くなり、テームズ川に沿って散歩道になっている。昔は、市内見学をするときは、この小公園でテームズ川をはさんでウェストミンスター宮殿をバックに記念写真を撮ることが多かった。このことをガイドに話すと、昔はそんなこともあったらしいですね、との返事。自分にとっては、ここもまた、今は昔の物語である。
ロンドンの中心部、リージェント/ピカデリー通りからペル・メル(Pall Mall)の通りへ向かうとウォータールー・プレイスという細長い広場がある。ここにクリミア戦争の記念碑があり、その前にランプを持つ女性の銅像があり、ナイチンゲールの名前が付されている。医療や福祉関係などのグループを案内するときは、この銅像を紹介することが多かった。ナイチンゲールにゆかりのある場所や建物をプリントしたNightingale’s Londonという手描きの地図があることも知った。ナイチンゲールが高く評価されていることの証しでもあろう。この像と並んでシドニー・ハーバート(Sydney Herbert)が立っている。彼は、クリミア戦争時の陸軍大臣であり友人のフローレンス・ナイチンゲールに看護師のチームを戦地に送るよう依頼した。戦後、彼とナイチンゲールは陸軍の保健衛生と陸軍省の改革の運動を主導したことの功績をあげた人物であることを知った。今、ウクライナでの戦争でクリミア半島が語られるたびに、170年前のクリミア戦争のことも改めて知りたくなった。ウクライナでの戦争解決のためにトルコが両国に働きかけていることがなんとなくわかるような気がする。
ナイチンゲールの両親は裕福であり、新婚時代はイタリアで過ごしていたとか。フローレンスは、1820年にトスカーナ大公国の首都フィレンツェで生まれたことから、その名(フィレンツェの英語名)が付けられたそうである。イタリアでは、彼女は、フィレンツェ・ナイチンゲールと呼ばれているのだろうか? 人名であり、固有名詞だからそんなこともあるまいが、念のため、イタリアの看護関係者などに尋ねてみたいものである。日本では、中国の人名や地名を中国語の読み方ではなく、日本語読みすることが多いので、ついついそんなことを考えてしまった。(以下、次号)
(写真と資料、上から順に)
セント・トーマス病院 : St. Thomas’s Hospital 資料 & Wikipedia
Florence Nightingale Faculty of Nursing, Midwifery & Palliative Careフローレンス・ナイチンゲール看護・助産・緩和ケア学部 : Kings College London 資料&Wikipedia
World University Rankins by Subject 2022・Nursing(大学のランキング 看護部門) : QS Quacquarelli Symonds Ltd.1994-2023資料
海外看護視察団報告書(表紙にジョンズ・ホプキンス大学病院のイラスト)平成14年度 :全国社会保険協会連合会
シドニー・ハーバートについて : Britannicaより
フローレンス・ナイチンゲール&クリミア戦争記念碑(ロンドン・ウォータールー・プレイス) : 2013年10月12日 筆者撮影)
Albert Embankmentからの風景 テームズ川を挟んでウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂) : 2013年10月12日 筆者撮影)
Nightingale’s London 絵地図 : Florence Nightingale Museum 資料より