2023.02.20 小野 鎭
一期一会 地球旅 249 英国の伝統・文化と田園を巡る旅㉑
 
一期一会・地球旅 249 
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ㉑ 
ロンドン その6 市内観光(4) 
 
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GLC(旧ロンドン市庁舎)などのある一帯からウェストミンスター橋通りの向こう側にはセント・トーマス病院がある。ロンドン都心地域にある大型の医療施設である。現在は、Guy’s and St Thomas’s NHS Foundation Trust (ガイズ&セント・トーマス英国国民保健事業財団)を構成する医療施設群の一つとなっているが、両病院とも訪問したことがある。組織と位置づけがむつかしかったが、ロンドン地域で高度な医療サービスを提供する傍ら教育病院として大きな成果を上げていると聞いている。セント・トーマス病院の起源は13世紀に遡るが、現在の地に移されたのは19世紀後半であり、時代の流れと共に増改築されて現在の巨大施設になっている。テームズ川を挟んでウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)と対照的な位置にある。 
ところで、全くの付けたりなどと言っては医師・作家コナンドイルに叱られるかもしれませんが、シャーロック・ホームズの友人ジョン・H・ワトソンはロンドン大学卒業後、セント・トーマス病院に入り、ここで医学博士を取得したのだそうですね。(Wikipediaより) 
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この病院と連携した看護学校があり、近代看護の創始者であるフローレンス・ナイチンゲールが提唱して世界初の看護師訓練学校と看護師の家が1860年に開設されている。現在は、フローレンス・ナイチンゲール看護・助産・緩和ケア学部(Florence Nightingale Faculty of Nursing, Midwifery & Palliative Care)となっており、King’s College Londonの学部の一つとなっている。ナイチンゲールは、イギリスとフランスも加わってオスマン・トルコがロシアと争ったクリミア戦争(1853~1856年)に看護師として従軍した。戦場での衛生状態を改善することで死亡率を大幅に減少したことで看護の評判を高め、看護の象徴となったそうである。特に、負傷した兵士を巡回する「ランプを持つ女性」のペルソナは知られている。近代看護の創始者としてのナイチンゲールのことは、この看護学校を訪ねたときにも聞いていた。しかし、今回、この稿を書くために調べてみると、彼女は、わかりやすい統計を用いて看護教育の必要性を説き、これを世に訴える多彩な作家であり、社会改革を進めて行った人であることを知った。ナイチンゲールが看護師として負傷兵に奉仕したのは、クリミア戦争従軍の2年間であるがその献身的イメージ、そしてむしろ統計に基づく衛生改革で名声を挙げたといえる。衛生改革を訴えただけでなく、看護師として専門的に養成していくことの必要性から看護養成専門学校の設立に至った背景であったと言えよう。当時、看護婦は病人の世話をする単なる召使い的にみられ、専門的教育などは必要ないと言われていた時代であった。このことは、看護関係でアメリカやカナダの大学の看護学部や教育病院を視察した時にもよく聞いたことであった。現在、ナイチンゲール看護学校はキングス・カレッジ・ロンドンの看護学部として、世界でも第2位にランクされている。そして、第3位のジョンズ・ホプキンス大学の看護学部を訪ねたとき、病院機能のなかでの最重要な部門として、看護部門の運営と教育が重点的に考えられたのは病院開設当時(1889年)からであり、他の病院には例を見なかった、と聞いた。 
  
ナイチンゲールの名前を冠した看護博物館が同病院内にあるほか、テームズ川に面した庭園には彼女の名前が付けられている。また、セント・トーマス病院の救急外来センター前を通って少し走るとアルバート・エンバンクメント(Albert Embankment)があり、以前はちょっとした小公園になっていたが今は区画整理(?)されてこの場所は無くなり、テームズ川に沿って散歩道になっている。昔は、市内見学をするときは、この小公園でテームズ川をはさんでウェストミンスター宮殿をバックに記念写真を撮ることが多かった。このことをガイドに話すと、昔はそんなこともあったらしいですね、との返事。自分にとっては、ここもまた、今は昔の物語である。 
 
ロンドンの中心部、リージェント/ピカデリー通りからペル・メル(Pall Mall)の通りへ向かうとウォータールー・プレイスという細長い広場がある。ここにクリミア戦争の記念碑があり、その前にランプを持つ女性の銅像があり、ナイチンゲールの名前が付されている。医療や福祉関係などのグループを案内するときは、この銅像を紹介することが多かった。ナイチンゲールにゆかりのある場所や建物をプリントしたNightingale’s Londonという手描きの地図があることも知った。ナイチンゲールが高く評価されていることの証しでもあろう。この像と並んでシドニー・ハーバート(Sydney Herbert)が立っている。彼は、クリミア戦争時の陸軍大臣であり友人のフローレンス・ナイチンゲールに看護師のチームを戦地に送るよう依頼した。戦後、彼とナイチンゲールは陸軍の保健衛生と陸軍省の改革の運動を主導したことの功績をあげた人物であることを知った。今、ウクライナでの戦争でクリミア半島が語られるたびに、170年前のクリミア戦争のことも改めて知りたくなった。ウクライナでの戦争解決のためにトルコが両国に働きかけていることがなんとなくわかるような気がする。 

ナイチンゲールの両親は裕福であり、新婚時代はイタリアで過ごしていたとか。フローレンスは、1820年にトスカーナ大公国の首都フィレンツェで生まれたことから、その名(フィレンツェの英語名)が付けられたそうである。イタリアでは、彼女は、フィレンツェ・ナイチンゲールと呼ばれているのだろうか? 人名であり、固有名詞だからそんなこともあるまいが、念のため、イタリアの看護関係者などに尋ねてみたいものである。日本では、中国の人名や地名を中国語の読み方ではなく、日本語読みすることが多いので、ついついそんなことを考えてしまった。(以下、次号) 
 
(写真と資料、上から順に) 
セント・トーマス病院 : St. Thomas’s  Hospital 資料 & Wikipedia 
Florence Nightingale Faculty of Nursing, Midwifery & Palliative Careフローレンス・ナイチンゲール看護・助産・緩和ケア学部 : Kings College London 資料&Wikipedia 
World University Rankins by Subject 2022・Nursing(大学のランキング 看護部門) : QS Quacquarelli Symonds Ltd.1994-2023資料 
海外看護視察団報告書(表紙にジョンズ・ホプキンス大学病院のイラスト)平成14年度 :全国社会保険協会連合会 
シドニー・ハーバートについて : Britannicaより 
フローレンス・ナイチンゲール&クリミア戦争記念碑(ロンドン・ウォータールー・プレイス) : 2013年10月12日 筆者撮影) 
Albert Embankmentからの風景 テームズ川を挟んでウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂) : 2013年10月12日 筆者撮影) 
Nightingale’s London 絵地図 : Florence Nightingale Museum 資料より