大英博物館(The British Museum)についての思い出と言えば他にもある。ロンドンを初めて訪れたとき宿泊したのはラッセルスクエアにあるその名も同じラッセルホテル。この広場は大英博物館近くにある。東京から北回り、アンカレッジ経由で早朝ヒースロー空港に着き、そのまま市内観光。145名の大きなグループは現地ガイドに誘導されて3台の貸切バスに分乗して市内に向かった。車窓から見る早朝の風景は印象的であった。レンガ造りのアパートらしき建物が続き、屋根には申し合わせたように植木鉢を逆さにしたような煙突が立っていた。市内に入り、ハイドパークやバッキンガム宮殿、トラファルガー広場やテームズ河畔から眺める国会議事堂などは印象的であった。ロンドン塔と言ってもこれは高い塔ではなく、昔のお城であった。ガイドの案内を聴きながらも時差で眠気に襲われながら下車して観光するたびに人数確認の繰り返し。自分はバス1台を受け持っていたが、多分40数名のお客様であったと思う。迷い子(?)を出してはいけないのでバスに戻るごとに人数を確認、緊張のしっ放しであった。人差し指で人数を数えていたことを後で先輩社員から注意されたことも懐かしい。この日の最終観光が大英博物館であった。エジプトのミイラであるとか、ギリシャの彫刻などを見たと思うが、正直なところ、何を見たのか覚えていない。見学を終えてバスに乗ってこの日最後の人数確認を終えてホテルに向かったが、ほんの数分で到着した。
ラッセルホテルは、古いレンガ造りの古色蒼然とした造りの建物であった。ホテルのロビーでグループごとに集まりチェックインの間待機してもらった。忘れもしないのは、この時のフロントの女性スタッフのミニスカートスタイル。1960年代の半ば、ミニスカートが英国で流行り初めていたといわれている。私たちのグループがロンドンを訪れたこの時よりも約1っカ月早く1967年10月18日に英国から来日したミニスカートが良く似合うモデルは「小枝のように華奢な」という意味合いのその名もツイッギー(Twiggy)であった。日本で大人気となってミニスカートブームをもたらし、70年代にかけて日本のファッション業界に大きな影響を与えたといわれていた。自分はこの頃26歳、初めてのヨーロッパであった。ホテルのフロントで対応してくれたミニスカートの女性スタッフに眠気も吹っ飛び、お客様の部屋割り表とにらめっこしながら、お客様のスーツケースの名札に部屋番号を書くのに四苦八苦したことを思い出す。ツイッギーが来日し、ミニスカート旋風を起こしたのは1960年代後半のことであった。このことは、一過性の「ブーム」のように語られがちであるが、ツイッギー(本名レスリー・ホーンビー 現Dame Lesley Lawson DBE)はその後、50年にわたってファッション業界に多大な影響をもたらし、舞台芸術面でも大活躍してきた。長年の功績が評価されて2019年に大英勲章(Damehood of the British Empire)を叙勲されているという。(Daily Mail Onlineより)