2023.03.27 小野 鎭
一期一会 地球旅 254 英国の伝統・文化と田園を巡る旅㉖
 一期一会・地球旅 254 
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ㉖ 
ロンドン その11 市内観光(9) 
1851年のロンドン万博は大成功を収めた、と紹介されている。その利益をもとにつくられたのが160~170年経った今もなおサウスケンジントン一帯に残る文化施設であり、ビクトリア・アルバート博物館、科学博物館、自然史博物館やロイヤル・アルバート・ホールなどがある。ケンジントン・ガーデンズにあるアルバート公記念碑はネオ・ゴシック様式の美しい塔状のつくりで、様々な彫刻で装飾されており、アルバート公が座している。公が右手に持っている書物はロンドン万博のパンフレット。ビクトリア女王時代を代表する国際イベントであった。アルバート公はこの万博の推進者として重要な役割を果たしておられる。英国の歴代2位の長さで王位にあったビクトリア女王の治世は「ビクトリア朝」とも呼ばれ、政治経済のみならず文化・芸術面でも優れた成果を上げた。 
また、ロイヤル・アルバート・ホール(RAH)は1871年の開場以来コンサート始めとしたさまざまなイベントが行われる多目的ホールとして使用されている。毎年、夏に開催されるBBCプロームナードコンサート(プロムス)の会場としても知られるが昨今のコロナ禍で一年以上の閉鎖を余儀なくされてきたという。クラシックやロックなど音楽イベントが中心となっているRAHであるが、元はアルバート公が「公益のため」そして「誰もが使える」という理念を掲げていたため、チャリティに関する催しも多く行われて来た。また、政治家も壇上に立ち、チャーチルは28回のスピーチを行ったという。1991年には大相撲のロンドン公演として「ロイヤル場所」が開かれ、40名の幕内力士が出場し、アリーナにつくられた土俵で勝負した。 
この時代のイギリスは世界各地を植民地化して、一大帝国を築き上げていた。世界中に覇権を及ぼし、「ビクトリア」と付く地名などが世界各地にあり、世界中に力を及ぼしていたことがうかがえる。例として、カナダには、この国第二の大きな島ビクトリア島があり、この島の北西部にはプリンス・アルバート半島が伸びており、カナディアン・ロッキーなどのあるアルバータ州、西海岸のブリティッシュ・コロンビア州の州都がビクトリア、そしてこの町でも老舗高級ホテルとして有名なのがエンプレスホテル。オーストラリアにはビクトリア州がある。アフリカには、太湖ビクトリア湖、世界三大瀑布の一つビクトリアの滝(現地名モシ・オ・トゥニャ)がある。香港には夜景の名所ビクトリア・ピークなどがあり、さらにビクトリアを冠した公園名などイギリスは勿論、オーストラリアやカナダ各地、ニュージーランド、シンガポール、スリランカ、インドなどに多数ある。 
19世紀から20世紀にかけてイギリス帝国(British Empire)が支配していた多くの植民地は独立していったが、今日でも50ヵ国以上の旧植民地がイギリス連邦(Commonwealth of Nations)通称コモンウェルスを構成している。英語名にはBritishという表記が撤廃されているので英国名は不要であるが、日本では旧名そのままにイギリス連邦(英連邦)と称されているのでここでもそのまま書かせていただく。コモンウェルスの歴史は20世紀前半に遡り、イギリス帝国の脱植民地化に伴い、領土の自治が強化されたことに始まった。もともとは1926年にイギリス連邦として設立され、1931年にウェストミンスター憲章でイギリスによって正式に制定された。現在のコモンウェルスは1949年のロンドン宣言により、正式に構成され、共同体を近代化して加盟国を「自由で平等」なものへと確立された。加盟国は相互に法的な義務は負っていないが、英語の使用や歴史的なつながりを通してつながっている。2022年現在の加盟国は56ヵ国、構成国の総面積3100万㎢、世界の国土面積の21%、人口は26億人、世界総人口の1/3に相当するという。19世紀から世紀にかけてアメリカが世界経済に及ぼすさまざまな影響等とも相まって英語が世界共通語的な位置づけになっていった背景もわかるような気がする。 
 
コモンウェルスについて、慶應義塾大学の名誉教授宇都木愛子氏の著「大英帝国2.0」に興味深いことが書かれている。「英国から独立していった国のうち、50ヵ国以上の旧植民地が今日でも英連邦(Commonwealth of Nations)を構成している。そして、そのうちカナダ、オーストラリア、ニュージーランド始め21世紀の今日でも英国のエリザベス女王を自分たちの元首としている。女王陛下は、まさに『君臨すれども統治せず』の言葉通り、直接には政治にかかわることはないが国王の座は温存するという方針をとった。植民地が次々に独立する中でイギリスのとった政策は、独立を阻止する戦いでなく、非常に平和な、日本人が好む表現を使うならば、『ご縁を大切にしましょう』といったところかもしれない。勿論、外交の複雑さ、困難さは多々あると思うが基本にあるのはこういった将来を見据えて独立していった国々との喧嘩別れを回避したわけである。これがまさに、10年、100年後の世界を見据えたバックキャスティングという叡智である。」 なお、エリザベス女王は、2022年9月に崩御され、現在の英国王はチャールズ三世となっている。 
 
ロンドン市内では旧植民地の名前などを冠した建造物や記念碑、組織名や企業名などを見かけることがある。これらを見るつけ、この国の持つ世界観とこれに至った背景を今回も少しだけ深く知ることが出来たような気がする。(以下次号) 
 
(写真と資料、上から順に) 
資料(出典など) 
ロイヤル・アルバート・ホール : Royal Albert Hall (RAH)資料より 
Great Exhibition : Wikipedia & The Royal Parks資料より 
1851年第1回ロンドン万博 : 国会図書館 博覧会 技術の展示場 資料より 
Queen Victoria & ビクトリア(イギリスの女王): Wikipedia資料より 
Commonwealth of Nations & イギリス連邦 : Wikipedia資料より 
コモンウェルスについて :慶應義塾大学名誉教授宇都木愛子著「大英帝国2.0」 

写真 
Prince Albert : Walk London資料より 
ロイヤル・アルバート・ホール : 2013年10月10日 筆者撮影 
1898年のイギリス帝国(British Empire):Wikipediaより 
Member States of Commonwealth : Wikipedia より