2023.07.10 小野 鎭
一期一会 地球旅 269 カナダの大自然と遊ぼう13
 一期一会・地球旅 269 
カナダの大自然と遊ぼう ⑬ カナディアン・ロッキー ③ 
 

 バンフ2日目、朝食はこれまでと同じようにブッフェであるが、コックが待機していて目玉焼きなどを目の前で作ってもらえるので気分がいい。前夜、ラウンジでの夕食は比較的軽かったとみえ、皆さんは、結構な食欲。今日も元気で参りましょう! 朝食後、出で立ちを整えて出発、幸い今朝は快晴らしく、バンフの街を取り囲む山々も遠くまで仰ぐことが出来る。山岳道路というと日本では、曲がりくねった坂道が多いが、ボウ渓谷を南北に走っているトランス・カナダ・ハイウェイは道路幅も広く、片側二車線、大型バスは快適で車窓からは雄大な風景が続いていた。ボウ川は少しずつ川幅が狭く、流れも速くなっていくようであるがまだまだ渓谷全体は悠々たる広さであり、両側には針葉樹林が裾野部分から山肌高くまで覆っているが、間もなく森林限界となり、それから上は灰色や茶色の岩山、そして白雪を抱く尾根が続いている。その中でも、とりわけ見事な自然の造形美を見せているのがキャッスル・マウンテンであろう。2862mの主峰といくつかの峰から成っており、1858年に初めてこの山群を見た探検調査隊は中世の古城のようなたたずまいからキャッスル・マウンテン(城の山)と呼び、それがこの山の名前となったとある。

 この日のメインの目的は、レイク・ルィーズでの遊覧であるが、その前に、トランス・カナダ・ハイウェイからアイスフィールド・パークウェイを北上してボウ川の源流、これも同名のボウ湖まで足を伸ばすことになっている。本来は、もう一つの見どころであるペイトウ湖見物を考えていたので旅行手配段階でオペレーター(現地手配会社)にそれを申し出たところ、ペイトウ湖見物の展望台への山道が傷んでいて大型バスで行くには難があるとの説明であった。少し手前でバスを降りて展望台まで歩くという方法もあるが少々距離があり、しかもかなりの坂道であるので今回は難しいであろうと判断せざるを得なかった。そこで代替案として、少し手前にあるボウ湖へご案内することとなった。ペイトウ湖はエメラルド・グリーンの湖面が美しく、バンフ国立公園に点在している湖沼群の中でも眺めが良いことで評判。カレンダーなどでも見かける風景であるが湖岸へ行くには難があり、はるか離れた高台の展望台からこれをながめるというのが一般的であった。反対にボウ湖は広い谷間にあり、湖岸まで行くことが出来る。山々と氷河地形が湖の向こうに広がっており、逆さ富士ならぬ“逆さロッキー”が湖面に映って神秘的な美しさを見せており、訪れる人を魅了していることで知られていた。自分もこれまで幾度か訪れているが、前回、2009年に行ったとき撮った写真を自分のパソコンのデスクトップ画面に張り付けて親しんできた。


 トランス・カナダ・ハイウェイは、レイク・ルィーズで西へ折れ、もう一つのヨーホー国立公園を抜けてBC州に入り、どこまでも続く山なみを縫ってバンクーバーまではさらに800kmほど続くとある。レイク・ルィーズから先は、アイスフィールド・パークパークウェイが北へ延びて、ジャスパー国立公園へと結んでおり、次第に標高も高くなっていく。車窓には3000m前後の山なみが続き、白雪を抱く尾根伝い、そして、谷間には氷河地形が散見されるようになってきた。このあたりで規模の大きなところでは、Crowfoot Glacier (カラスの足氷河)があり、20世紀当初は3本の足のように氷河の舌端が並んでいたが、今ではカラスの足は1本になっており、それも次第に規模が小さくなっているとガイドブックでは紹介されている。

 ボウ湖の湖岸は広い灌木林になっており、遊歩道が護岸まで続いている。湖面はわずかに揺れていたが秋の日がやわらかく照り映えており、その向こうのクロウフット山やボウ峰などの雄大な風景が湖面に揺れていた。ボウ湖では、観光施設らしいものはほとんど見当たらないが湖畔にたたずむ赤い屋根のロッジが最大の魅力と言ってもよいだろう。ロッジの沿革は1898年までさかのぼることになる。ジミー・ワトソンという21歳のイギリス人開拓者がボウ湖の湖畔でキャンプをした。彼は、周囲の山々に挑戦するための拠点として、いつかここに小屋を建てると誓ったそうである。25年後、彼はその地に小屋を建て、Num Ti Jah=このあたりに住んでいた先住民族であるストーニー族の言葉で松テン(Pine Marten)と名付けた。ガイドとしてのジミーの名声が高まるにつれ、彼は科学者、登山家、狩猟者、芸術家たちを案内し、この壮大な風景のうわさも広まっていった。1937年にバンフ・ジャスパーハイウェイがボウ湖まで完成し、さらに多くの観光客がこの地を訪れるようになっていった。ジミーと彼の家族は1940年に現在みられるロッジをつくり始め10年後に16室から成る丸太と石造りのホテルが湖畔に出来上がった。1972年にジミーが亡くなった後、彼の息子が1996年までロッジを経営してきたが、それ以後も客室と建設当時のたたずまいにはパイオニアの伝統が今もこのホテルに息づいている。 

 湖岸はわりに平坦で整備されており、車いすの方も動きやすかったとおっしゃっていた。湖畔を散歩されるとか、湖岸で手を水に浸しては「冷たい!」と歓声を上げ、湖面に映っている雄大な山々と氷河の風景に目を細める人もいた。空気は凛として冷たかったが雲一つない青い空が眩しかった。事務局でカヌー好きのN氏は、湖水に入り、我が意を得たりとばかりの笑顔が見事であった。ひと時を湖畔で過ごしたグループはアイスフィールド・パークウェイを戻り、いよいよこの旅行のハイライトであるレイク・ルィーズに向かわれた。(以下、次号) 
 
(写真と資料:上から順に) 
車窓から見たキャッスル・マウンテン山群(2019年9月21日 筆者撮影) 
ボウ湖、背後に見えるのはボウ氷河(2009年8月30日、筆者撮影) 
クロウフット氷河 上の写真は、20世紀当初、下は20世紀後期 (Parkways of the Canadian Rockies by Brian Patton資料より) 
最近のクロウフット氷河(2009年8月30日 筆者撮影) 
*ナム・ティ・ジャーロッジについては、Wikipedia と Parkways of the Canadian Rockiesを参考にした。 
ボウ湖畔、Num Ti Jahロッジ 前にて (2019年9月21日、筆者撮影) 
ボウ湖で湖水に手を浸す人(旅行実施団体制作の動画より)