2023.11.06 小野 鎭
一期一会 地球旅 286 カナダの大自然と遊ぼう 番外編1
一期一会・地球旅 286 
カナダの大自然と遊ぼう 
番外編 ① カナナスキスからジャスパーへ ① 

 こうして243回の添乗を終えた。このうち、国内が8回、海外は235回になる。延べ3358日、最初の添乗が1966年であったので今年まで57年間のうち、約9年余りは海外にいたことになる。総飛行距離は327万マイル余=424万㎞となり、赤道周回で地球を106回まわったのと同じ距離になる。幾度かヒヤッとした思いもあるが、航空機事故などには遭遇せず、こうして居られることを感謝したい。数千人のお客様をご案内しているが、昔はどなたよりも年齢が下であったが回を重ねるうちに次第に同年齢か自分よりも若い方が増えてきて、ここ数年は自分が一番の年長になってきた。2020年に入って新型コロナウィルスのパンデミックが発生。国内はもとより、海外への旅行もほとんど全滅状態となり自分もこのカナダが結果的に最後の添乗ということになった。今はもっぱらこれまでの旅行や添乗でご案内した方とのふれあいや忘れえぬ思い出などを一期一会・地球旅として綴っている。セピア色の写真を見たり、視察旅行を実施された法人などで出された視察報告書などを開くと、各地での様々な出来事や思い出が走馬灯のように脳裏を廻り、何十年か昔に戻っていくような気がする。
 さて、前回で「カナダの大自然と遊ぼう」についての思い出は書き終えたが、カナディアン・ロッキーやバンクーバーにはそれ以外にも忘れられない出来事があり、この機会に番外編として、少し書き続けたい。 
 
 一つは、1990年にカナディアン・ロッキーを廻った旅行。この時は33名のお客様で重度の障がいのあるお客様や家族、そしてこの方々が利用されている地域福祉団体の代表やスタッフなどであった。この中には、8名の車いす利用者もおられた。カナダの大自然の中でゆっくり遊ばせたい、とおっしゃる代表者のご希望で暫定的な旅行計画を立案した。それまで欧米の視察などの添乗が主でコースづくりなどをしていたが、カナダの大自然といってもバンフとジャスパーくらいしか思いつかなかった。そこで、カナダ大使館内にあるアルバータ州の東京事務所で観光案内についての資料をいただき、具体的な説明を受けたいと訪れた。幸い州の訪問親善担当部長(Director of Visiting & Hospitality)を紹介してもらい、詳しく希望を述べて航空便で問い合わせた。当時は、まだパソコンは普及しておらず、増してインターネットやE-メールといった手段はなく、主力はAir MailかFAXが一般的であった。結果的には、紙情報が圧倒的に多く、各国の政府観光局や航空会社の寄港地情報に頼ることが多く、添乗で訪れた旅行先のことを知っていることは大変重宝であった。そして、問い合わせや依頼をするための英文作成と英文タイプ打ちに明け暮れる日々であった。 
 
 幸い、多分、3週間くらいで返事をいただき、バンフを楽しむにしても宿泊は近くのカナナスキスがいいだろうと勧められ、観光だけでなく、障がい者に利用しやすい施設や宿泊施設なども紹介していただけた。カナナスキスは1988年のカルガリー冬季オリンピックのスキー競技が行われた場所でもあり、ホテルなどの宿泊施設が比較的新しくバリアフリー(当時、まだ日本ではこの言葉自体はそれほど普及していなかった)面でも具合がよいと思うとのことであった。そして、この部長がたまたま近いうちに訪日されるとのメモが付されていた。それならばぜひ直接お会いして、より具体的にご指導いただきたい、との希望をお伝えした。数週間後、この時の旅行主催者である法人の代表U様と九段のホテルに宿泊中の担当部長をお訪ねした。実際にお会いした彼女自身は歩行不自由で腕の力も弱く、コーヒーを飲まれる姿もカップに手を添えながら、ということであった。つまり、彼女から得たヒントや資料は担当業務についての説明だけでなく、自らも利用者として体験されたうえでのことであったと思う。それだけに、いっそう強く臨場感が伝わり、生きた助言を数多くいただけたし、情報はとても有用だった。 
 
 カナナスキスは、バンフほど知名度は高くなかったが、この時、実際に泊まったホテルはロッジ風の外観で多分3階建てくらいであったと思うが、今でいうAccessible Roomも数室準備していただけた。ふつうの部屋でもわりにゆったりしていたし、トイレや浴室も使いやすかったと記憶している。そしてロビーも廊下も広々としていた。エレベーターにCloseのボタンがなかったのは、珍しいことではなかった。欧米人は、エレベーターではあまりせかせかしないらしい。彼女からさらにいただいた情報の中で有用であったことがいくつかあった。現地では1週間の行程であったが、ほとんど貸し切りバスで移動であり、リフト付きバスを紹介してもらえたことである。当時は、日本からのグループでの「障害者旅行」はまだそれほど盛んではなく、現地手配会社でもリフト付きは準備できたかもしれないが、もし、準備できたとしてもかなり高額であったかもしれない。さらには、カナナスキスにある障がい者用のロッジの見学、そのあとジャスパーからエドモントンへ出る行程では、障がい者用リゾート兼宿泊施設で実際に宿泊させてもらえることになったこと、エドモントンではアルバータ州議会で障がいのある議員の表敬訪問、アルバータ州立大学訪問なども紹介していただけた。今日であってもこれほど綿密なバリアフリー旅行は簡単には準備できないのではないだろうか。今日では、見ず知らずであっても、ホームページやEメールで相談・依頼するといった方法が一般的であろうと思う。しかし、先方の担当者や専門家と直接に合うことから得られる情報は極めて有用であり、さらに心がこもっているといえるのではないだろうか。オンラインとリアルの差がそんなところにもあるような気がする。昔も今も、実際に会って名刺を交換し、握手できればさらに価値がある所以ではないだろうか。(以下、次号) 
 
《写真:上から順に》 
・初めての海外添乗(1966年):香港 水上レストランへのサンパン船上にて(お客様は、羽織袴で夕食会に臨まれた。 右から2番目が筆者 1966年12月) 
・携行旅程 昭和46年度(1971年) 欧米医療事情視察団(社団法人 全国社会保険協会連合会) 
・Nakiska 1988 Winter Olympics Alpine Skiing Venue-Kananaskis  :  Waymaking より 
・リフト付き貸し切りバス :アルバータ州議会議事堂前にて(アルバータ州都エドモントン) : 1990年9月 筆者撮影