2024.01.09 小野 鎭
一期一会 地球旅 294 中南米での思い出 1
 一期一会・地球旅 294 
中南米での思い出 ① 
メキシコ 

 235回の海外添乗のうち、メキシコはさておき、南米に行ったのは3回。100回以上行っている欧州諸国にはもちろん各地で多くの思い出があるが、南米は回数が少ないこともあって今も鮮明に記憶が残っていることがいくつかある。そこでいくつかを書いてみたい。 
 
 南米に思いを馳せた訳は、先にカナダの番外編で書いた食肉関係視察団を派遣された法人団体。今はその名称はインターネットでも調べてみたところ、当時の活動について一部が紹介されているが現在はそれらしい団体名が見当たらず、改称されたのかそれ以上は調べがつかない。この法人様には、1975年から10数年間ご利用いただき、そのうち4回は私自身が添乗しており、携行旅程は4回とも残っている。中南米食肉事情視察団は昭和50年(1975年)であり、行程表はもちろん、参加者名簿も含まれており、お名前、所属先と役職名、住所、電話番号などが記載されている。今日では、個人情報保護の観点から携行日程表にそこまで記載することはご法度であろうが当時は珍しいことではなかった。そして、この時のご参加のお一人、T様に先日電話してみた。すでに引退されているとは思ったが、それでも会社名(屋号)をたよりにホームページを調べてみたところそれらしい名前が見つかったという次第。先様からは、「当社の元の会長だと思うのでご家族にお伝えしておきますが、返電されるかどうかはわからないのでお含みおきください」と至極もっともな話。幸い、その日の夕方、当方あてT様ご自身から直接電話があり、当時と変わらぬ元気なお声が響き、半世紀近い昔の懐かしい話に花が咲いた。 
 
 実は、カナダへの視察旅行の前年、中南米に同様の目的で1975年1月下旬から2月下旬まで25日間の長途であった。錚々たるメンバーであり、旅行代金はかなりの金額であったがそれだけ余裕のある方々であったのだろうと思う。 
 
 1月27日、今は懐かしいPA(パンナム)で羽田を発ち、ロサンゼルスを経てインペリアルというローカルな空港に降り立ち、そこから国境を越えてメヒカリに入っている。この時のPAは通称ジャンボ(ボーイング747)で最初に日本に飛んできたのが1970年3月11日、日本ではかなり話題になっていた。それから5年後であり、この時のメンバーでは、ジャンボに初めて乗られた方も多く、この巨大な航空機に驚いておられたことを思い出す。メヒカリは、メキシコ最北のバハ・カリフォルニア州の州都であり、西海岸のティファナに次ぐこの州で第二の大きな都市らしい。メキシコとカリフォルニアの頭部分を半分ずつつないでMexicaliという名前が付けられている。一方、アメリカ側では、それぞれの州の頭部分を反対に綴ってCalexicoという町があり、国境を挟んで都市圏が広がっている。それぞれの町の名前が付けられた経緯を見ると友好的に聞こえるが現実は厳しく、Google Earthの3D画面では国境ゲートの両側一帯に厳重な壁が設置されていることがうかがえる。 
 
 視察団は、在日メキシコ大使館商務部の協力でフィードロットや牧場など食肉牛の生産現場を見学したと記憶している。見学の後、国内線で首都メキシコ・シティへ飛んだ。日程表を見ると約6時間かかっており、途中2か所くらい寄港していると思うが明確な記憶はない。この国は、アメリカ大陸の南部を東西にまたがって細長く伸びており、面積は196万㎢、日本の5倍ほどもある大きな国であることを感じた。メキシコ・シティでは、これも在日メキシコ大使館の協力でスパー・メルカド(スーパーマーケット)の食肉売り場などを見学した。また、この時、食肉のことをスペイン語ではCarne(カルネ)と呼ぶことを知ったが、牛肉はCarne de Res. 豚肉は、Cerdoというそうだがこの時の視察は、各国を通じて主として牛肉であった。特に、アルゼンチンは世界有数の牛肉輸出大国であり、肉といえばCarneを指していたような気がする。 
 
 この時、ここで泊まったのはホリディイン・ピンクゾーン(Holiday Inn Zona Rosa)という名前であった。ホリディインはアメリカ系の世界的なホテルチェーンであり、70~90年代、アメリカでは大きな町であれば同名のホテルが数か所あり、ホテルの後ろに何かの特徴を示す名前が付されていた。メキシコ・シティにも数か所あったと思うが、我々が宿泊したのは前述の名称。何やら怪しげなネーミングであるが当時、この一帯は市内中心部にある繁華街。今もガイドブックを見ると、ソナ・ロッサ(ピンクゾーン)はボヘミアン的な魅力を持つ一画でバーやナイトクラブなども多く、週末はさらに賑わうとある。この地域は、レフォルマ大通りの独立記念塔にも近く、市内名所のひとつであり、昔もそうであったのだろうと思う。 
 

 翌日は、市内と郊外の見学。当時のメキシコ・シティは、メキシコの国よりも人口が多いといわれるほど妙な紹介がされており、首都圏の発展は著しく人口が急増している世界最大級の大都市であった。市内の主だったところを車窓から見た後、ソチミルコへ。派手な色彩の観光船が運河のような水路に揺れていた印象がある。そしてメキシコで今も一番強く記憶に残っているのがテオティワカンの古代都市である。乾燥した荒れ地が広がる中を市内から一時間ほど走ったと思うが、想像以上に巨大な遺跡であった。テオティワカンには太陽のピラミッドや月のピラミッドなどたくさんのピラミッドと宮殿などが整然と建設されており、高度な文明都市であったとか。ピラミッドといえば、正三角形の建造物であると想像していたが、メキシコのそれは、大きな台座があってその上に平べったい巨大な台形の建造物が何段か積み重ねられている感じであった。中央部の階段を昇り降りしたが、当時の写真を見ると傾斜度合いはかなり急であったことが今も思い出される。 
 
 メキシコでの視察を終えて、団は、この視察旅行のメインの目的地であるアルゼンチンはブエノスアイレスへ向かった。この時も、航空便はパンナム、まさに汎アメリカであり、当時、パン・アメリカン航空は、アメリカの翼として世界中を飛んでいた。70~80年代、ニューヨークに行くたびにマンハッタンのど真ん中、グランド・セントラル・ステーションの上にはパンナム・ビルがそびえており、個人的には、まさに「アメリカの翼」のように思えたものであった。(以下、次号) 
 

《写真、上から順に》 
・社団法人 日本食肉三水会主催 中南米食肉事情視察団の携行旅程(1975年) 
・メヒカリとカリキシコ一帯の地図(Aerial archives 資料をもとに作成) 
・Holiday Inn Zona Rosa (Holiday Inn 資料より) 
・テオティワカン古代都市 死者の大通り (1975年 筆者撮影) 
・太陽のピラミッドの頂上から降りてこられる視察団各位(1975年 筆者撮影) 
・PANAM Buildingと手前はGrand Central Stationの正面玄関(Wikipediaより)