2024.04.01 小野 鎭
一期一会 地球旅 306 中南米での思い出 13
一期一会・地球旅 306 
中南米での思い出 (13) 
ブラジル ④ リオ・デ・ジャネイロ(3) 
 
 ラテンアメリカと呼ばれる中南米の多くの国や地域では、スペイン語が主要な言語となっている。一方、ブラジルはポルトガル語である。これについては、スペインよりポルトガルがこの地域を先に発見したことに由来すると言われているのでもう少し探ってみた。 
 
 15~16世紀、大航海時代と言われていた時代はスペインとポルトガルが圧倒的な力をもって地球上を西に東に覇権していた。ローマ教皇から領土拡大の正当性を得ることでイベリア半島の両王国は国益を得、ローマ教皇庁はキリスト教圏の拡大を果たした。二つの両王国は武力を伴った海外への進出を正当化するための精神的支援と教皇の権威が必要で、教皇庁としてもカトリックの教圏を拡大するために両国の力が必要であった。これにより、両者の利害が一致していた。そしてイベリアの両国が世界分割を正当化し、海外進出と植民地支配の根拠となったのが教皇勅書と布教保護権(Patronato Real)であった。 
 
 1492年、コロンブスによる西インド諸島発見を端緒としてスペインは海外植民地の獲得に本格的に乗り出し、それがきっかけとなって境界に関する問題が発生、やがて1494年にポルトガルとの間でトルデシリャス条約が結ばれた。トルデシリャス分界線(図の紫色)の西側がスペイン、東側がポルトガル領有とすることが決められた。さらに1529年にはサラゴサ条約(緑色)が結ばれ太平洋での西と東での境界線により両国の勢力範囲が定められた。これら両国以外から見ればはなはだ手前勝手というか、大国の権威振り回しの典型的な例と言えよう。ちなみに日本は、当時は室町時代であり、海外のことは中国の明、李氏朝鮮や越南以外はあまり知らなかったのではないだろうか。それから約半世紀後の1543年にポルトガルの鉄砲伝来、さらに1549年にフランシスコ・サビエルがキリスト教を伝えている。ともにポルトガルの影響下であった。南蛮人とのふれあいが次第に高まり、ヨーロッパというはるか遠い国々があることを現実に知ることになっていったのであろう。 
 
 1500年にインド洋に向かっていたポルトガルのペドロ・アルヴァレス・カラブル (Pedro Álvares de Gouveia)の船団が未知の地に漂着、これをヴェラ・クルス島と名付けた。カラブル一行が上陸したのが今のリオの東北方向のバイア州南部のポルト・セグーロだとされる。この地はトルデシリャス条約に基づきポルトガルに帰属することになった。その後、ポルトガルが積極的にこの地に入ることになっていったとある。従って、ここではポルトガル語が使われ、次第にブラジルではポルトガル語が定着していったのだろうと私は解釈している。 
 
 最後にもう一つ、75年にリオに4泊したが、手配段階でランド・オペレーター(現地手配会社)からカーニバル期間中は、4泊でも6泊分くらいのFair Rate(特別料金)となっていることを告げられ、驚いたことを思い出す。世界的にも有名なイベントであり、市内の主だったホテルが満杯状態となることは容易に想像でき、ホテルは完全に売り手市場であった。ドイツのミュンヘンでは、9月の下旬から10月の上旬にかけてOktober Festが行われ、この期間はホテルの宿泊料は通常よりかなり割高になっており、Messe Preis (Fair Rate)が適用される。グループの場合、特に予約がむつかしくなり、別の町に泊まるとか、最初から旅程作成に当たっては、その期間を避けるなどの工夫することが多かった。ホテル側としてはFair Rateであるが、客の立場から見れば、Unfair な料金ですね、とせめて皮肉を言わざるを得なかった。この時は、旅行を企画された法人事務局にその旨を説明して、旅行代金を算出させていただいた。 
 
 さて、この時泊まったGloria Hotelは、セントロ地区にあり、マリーナやリオの市内にあるサントス・ドゥモン空港に近く繁華な地域である。コパカバーナやイパネマ海岸に比べるとここは市の中心部であり、ビジネス街やリオ大聖堂などにも近い位置である。カーニバルの地区別対抗最終コンテストが行われる会場にも近い地域であった。かなり古い建物でアールデコ風のしゃれた造りであったと思う。あれから半世紀近くが過ぎるが今もあるのだろうか? ホームページを開いてみたところ、数年前にそれまでのホテルから大改造され、業態を改めて今では長期滞在用のレジデンシャル・コンドミニアムを主とする新たな高級宿泊施設として生まれ変わっていることが紹介されていた。写真を見ると、半世紀前に泊まった時の洒落た外観は今もあまり変わっていないように思われ、懐かしかった。(以下、次号) 
 
【資料と写真、上から順に】 
《資料》 
・大航海時代 興亡の世界史15,東インド会社とアジアの海 講談社 
・ここが知りたいキリスト教 関川泰寛 教文館 
・デマルカシオン(Demarcación=境界・分界線) : Wikipedia 
《図と写真》 
・トルデシャリス条約とサラゴサ条約分界線 
・ペドロ・アルヴァレス・カラブル(Pedro Álvares de Gouveia):Wikipedia 
・カーニバルは最高潮、後方の桟敷席もすごい熱気!(1975年2月 筆者撮影) 
・Gloria Hotel :Condomínio Residencial no Hotel Glória 資料より