2024.04.16 小野 鎭
一期一会 地球旅 308 中南米での思い出 15
一期一会・地球旅 308 
中南米での思い出 (15) 
ブラジル ⑥ リオは遠かった(2) 
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 やっと着いたリオでは、世界的にも有名なコパカバーナ海岸にあるホテルに泊まることになっていた。ただし、残念ながら海岸の大通りからは一歩裏側にある通りに面したホテルであった。それでも数分でビーチに行ける距離だと聞いていた。わずか一泊ではあったが、せめて大西洋の波に足を浸してみたいというひそかな願いがあった。添乗であり、しかも一泊という短時日の滞在であるがせめて寸暇を惜しんで、たとえ深夜であってもぜひその願いをかなえたいと思っていた。ところがなんとも口惜しい航空機の大幅な延着、半日遅れで朝到着予定のはずが夜になっており、ホテルに入ったのは多分、午後8時過ぎあったと思う。今回は、経費と人数の都合もあり、自分はお客様と同室であり、自分自身も疲労困憊状態。コパカバーナの海岸を見に行く余裕は無残に消え去っていた。 
 
 翌日は、対岸のニテロイ市の建設中のコンビナートを見学に行くことになっていたが、これは時間的にむつかしいと判断されて取りやめになった。代わりに、到着当日に予定されていた日系企業などとの懇談会が2日目の午前に行われた。そして、午後は市内を巡ってコルコバードの丘から市街を展望し、湾の向こうにニテロイ市が広がっていることなどの説明があった。その日の夕方、市内にあるサントス・ドゥモン空港からサンパウロのコンゴニャス空港へシャトル便で飛ぶことになっていた。 
 
 最近では、シャトル便ということばは日本でもよく聞くがアメリカのニューヨークからワシントンDCなどへいわば通勤飛行(Air-Shuttle)が発祥らしいと思っていたが、1959年に経済成長著しいブラジルのリオ/サンパウロ間でRGであるとか、Cruzeiro などの航空会社が始めていたとある。予約は不要、そして一定時間ごとに飛んでおり定時になれば出発、満席になると次の便をご利用ください、ということらしい。まさに通勤/通学バスのような仕組みである。機が出発して巡航高度に達すると乗務員がジュースなどを配るカートを押してくる風景はよく見るが、ここではジュースならぬ航空券の確認などが行われる。航空輸送の新しい方法であり、時代の先取りをする新しいビジネスの一端を示すやり方であろう。1964年に旅行会社に入って、航空券の発行などを担当する業務に就いてこのシャトル便のことも聞いていた。その後、1970年代に入ってアメリカの東海岸などに行くようになり、ニューヨークなどでその案内を見て現場の様子を理解するようになっていった。しかし、アメリカで実際に乗ったのは70年代後半であり、それより早く、ブラジルのこの時が最初であった。自分も一つ先の流れに加わっていくのだと大人の感覚のような誇らしい気分を意識したことを思い出す。 
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 結局、リオは、コパカバーナの丘に上がって巨大なキリスト像と眼下の砂糖パンの山、グアナバラ湾とニテロイ市などを眺めることで終わり、サンパウロへ向かった。 
 
 後日譚めいた話になるが、この時泊まったコパカバーナのホテルはSavoy Othon。ビーチから少し入った通りに面しているが今も同名のホテルがある。ホームページを見ると、今では、現代風にビジネスとビーチリゾートなどを楽しめるようにと配慮されているらしい。あの時、ホテルに到着してくたくたの状態でチェックインし、蒸し暑いロビーでお客様にお部屋番号をお伝えした。この日の夕食はホテルで、と予定されていたのでお客様には、夕食を召し上がっていただくようレストランに案内して、自分はロビーに戻った。そして、ポーターにポルトガル語での数字は不確かなのでスペイン語で各部屋番号を伝えて旅行鞄にそれを書かせたところ、彼は嬉しそうに作業が一気にスピードアップした。お客様が食事を召し上がっておられる間に荷物を各部屋に運んでほしいと指示した。 

 
 それまでの添乗経験で部屋番号はポーター任せにせず、できるだけ添乗員である自分自身が確認してポーターに書かせることで間違いや荷物の誤配が起きないように努めていた。幾度か苦い思いをしており、それも経験から学んだ一つのテクニックであった。特にこの時のように大幅な遅延でお客様は疲労も加わって不機嫌になりがちであり、しかもわずか一泊であった。こんな状態で荷物の届け間違いが起きるとさらに雰囲気が悪化することは容易に想像された。お陰で今でも数字や朝昼晩の「あいさつ」や「有難う、すみません」、等は数か国語で言える。ところで、この日、自分が食事を摂れたかどうかは記憶にない。多分、摂れずに腹ペコ状態で一連の仕事をしたのだろうと思う。 
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 懐かしいコパカバーナのSavoy Othonであるが、同系のOthon Palace Hotelが堂々たる造りで大通りに面して建っている。できることなら、こちらのホテルの屋上テラスのプールサイドで大西洋の青い海を眺めながらブラジル・コーヒーをゆっくり味わいたいもの。(以下、次号) 
 
《写真》 
・リオ市内、コパカバーナの大通りとポン・ヂ・アスカル遠望 (Pan de Asúcar:砂糖パンの山 : 1974年4月5日 筆者撮影) 
・コルコバードの丘のキリスト像 (1974年4月5日 筆者撮影) 
・Othon Palace Hotel屋上のプール Othon Palace Hotel資料より