2024.06.17 小野 鎭
一期一会・地球旅 316 オーストラリアの思い出(1)メルボルン 1
一期一会・地球旅 316 
オーストラリアの思い出 (1) メルボルン ① 

 1974年2月8日、ビルマ(現ミャンマー)での視察を終えてオーストラリアへ向かった。途中、シンガポールに1泊、ここからシドニーを経てメルボルンへ向かう。初めてのオーストラリアであった。72年に南米周りで世界一周をしているので南半球は2度目であった。自分は北半球で育っているので、南へ行くほど暑くなると考えるのが一般的であるが、赤道を越えるとそれが逆になり、寒くなるという理屈はわかっていても感覚的にはなかなか理解しにくいものがあった。 

 ところで、2月9日、20時30分発の便でシンガポールを発とうとしたとき、カンタス航空のジャンボ機は離陸すべく走り出して速度を上げた途端、急停止した。乗客はだれもが前の席の背中に手をついて大きなショックを受けた気分であった。直後、機長からエンジンが不調で離陸できなくなったのでもう一度搭乗ゲートへ戻るとのアナウンスがあった。周りの誰もが顔を見合わせながら、事故でなかったことにほっとしながらもなお、恐怖におののいた気分であったし、自分もそうであった。機は搭乗ゲートに戻り、案内に従って待合室で待機することになった。シンガポールは、羽田と違って、24時間稼働しており、機材の修理と整備が終わり次第、出発することになっていた。約3時間余り後、整備が無事終了したとのアナウンスがあり、文字通り再出発、今度は順調に飛び立つことができた。 

 シンガポールはほとんど赤道直下にあり、上空に達するとすでに赤道を越え、インドネシアの上空を飛んで南へ向かった。数時間経って窓の外が少しずつ明るくなっていった。しばらくして、窓から下界を眺めるとどこまでも赤茶けたような大地がどこまでも広がっていた。地図を見ると広大なオーストラリア大陸の上空を左上から右下つまり北西から南東方向へ飛んでいたことになる。機内食をいただいてからしばらくすると、シドニーに着陸するとのアナウンスが流れた。やはり3時間余りの遅れはそのままであった。 
 
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やがて、シドニーのキングスフォード・スミス空港に到着したが、機がゲートに着いてもそのまま立ち上がらずに席に着いているようにとの機内アナウンスがあった。到着ゲートに着くと半ズボンスタイルの検疫官がフマキラーの缶のようなスプレー缶を両手に持って「これから消毒薬を噴霧するが、これは人間には害はないので安心してください!」と説明があり、通路の前から後部へ機内の両側、乗客の頭の上部に噴射していった。オーストラリアやニュージーランドでは、動植物などを含めて荷物の持ち込みは厳しく検疫が行われると聞いていたが、これが初めての経験であった。これがオーストラリア流の機内消毒でまずは人間や衣類についているかもしれない病害虫の侵入を防止するための対応であった。このスプレー噴射消毒は、その後もこの国に入るたびに毎回経験していたのでお客様には、オーストラリアへの便に乗るとき前もって説明することにしていた。しかしながら、90年代に入るとこのスプレー噴射儀式(?)は、行われなくなり、今となっては懐かしいセレモニーであったことが思い出される。 
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 メルボルンは、南緯38度付近、日本でいえば仙台がほぼ、北緯の同緯度くらいにあたるが訪れた2月のこの時期はまさに真夏。この旅行では厳冬の日本を発って熱帯のタイからミャンマー&シンガポールと真夏を思わせる気候帯で過ごし、南半球のメルボルン一帯はこちらもじりじりと夏の日が照り映えていた。3時間遅れで到着したのでゆっくり市内観光というわけにはいかなかったが、市内を少し回ることができた。幸い、比較的乾燥しており、緑濃いヤラ川のほとりなどの都心一帯、カールトン庭園など、緑陰の散歩などは心地よかった。ヤラ川といえば、NHKのBS放送で、日に幾度かWorld Newsを報じているが、ニュースの合間に、メルボルンの町の風景が毎回出てくる。ヤラ川の遊覧船や中心街のクラッシックなトラムが走る風景も懐かしい。いつのころからか、日本でも市内電車と言わずにトラムという呼び方に変わってきているらしい。 
 
 オーストラリアはこの時が初めてであったが、とりわけ、メルボルンはシドニーやゴールドコーストなどより多く訪れることになり、10回くらいは行っている。その都度、様々な思い出があり、そのうちのいくつかを追々書くつもりであるが、予想もしなかった体験がある。バスを降りるとハエの襲来である。メルボルンは、前述したようにシドニーに次いで、当時、すでに100万を超えるメトロポリスで中心街には高層ビルが林立し、郊外には美しい住宅街などが広がっていたがどこへ行ってもハエが飛んできて遠慮なしに顔の周りに飛んでくるので、これを追い払いながらの市内見学であった。バスのドライバーに聞くとにやにや笑いながら説明してくれた。 
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ビクトリア州は、オーストラリア全体の地図で見ると小さく見えるが、実際は、日本の本州とほぼ同じ面積であり、その多くの場所が牧場や農場になっており、牛や羊は州の人口より多いらしい。メルボルンの都市圏の周りはどこまでも牧場などが広がっており、そこからハエが町中にも飛んでくるとのこと。旅行者は最初の内は辟易するが現地の人たちは慣れっこなのかそれほど気にせず、ハエを上手に追い払いながら立ち話をしたり、川沿いのベンチにゆったり座っておしゃべりを楽しんでいる風景をよく見た。これも郷に入っては郷に従え? それとも、習うよりも慣れろということか? もっともハエが多いのは、メルボルンに限らず、シドニーやそれ以外の地であってもそれは言えることを後で知った。 

 旅行中、どこかで味わった苦い経験はいつまでも頭に残っており、自分は、そのことでその土地への先入観を持ち続ける悪い癖がある。最後にこの国に行ってからすでに20年以上過ぎており、今回、メルボルン乃至オーストラリアの思い出を書くにあたり、この国の近況について旅行者の印象などを読み直してみた。ハエのことについては旅の思い出として書いている人もあるのでやはりそれを感じている人は多いということかもしれない。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・到着後、先ず受けるのが機内でのスプレー噴射による消毒 : ニュージーランド航空の機内の例 
・メルボルンのタラマリン空港(Melbourne Tullamarine Airport : 1974年2 月 筆者撮影 
・メルボルン市内 カールトン庭園 : 同上 
・メルボルン大聖堂 : 同上