2024.08.05 小野 鎭
一期一会 地球旅 323 オーストラリアの思い出(8) メルボルン8 ゆきわりそうの旅(続き)
一期一会・地球旅 323 
オーストラリアの思い出(8) メルボルン⑧ ゆきわりそうの旅(続き) 
  
 メルボルンへの旅行へ向けて旅行手配を進めていく一方、参加予定の方々もそれぞれ準備を進めておられた。参加希望者の中に、脳性麻痺のY君がいた。彼は、歩行も不自由であり車いす使用の日々、在宅で介助しておられるのは両親であった。母親は腎臓疾患があり人工透析が必要、現地では滞在中、多分3回になると思われるが、透析を受けられれば、親子3人で参加されたいとのこと。筆者は、欧米の医療施設は数多く見学していたし、透析センターも見ていた。大型の医療施設に設けられている場合もあれば、透析だけ独立した施設として機能しているところもあった。透析のやり方そのものはどこもおおむね似たようなシステムになっていることは知っていたが、透析の必要なお客様をご案内したことはなかった。そこで、メルボルンで旅行者が受診できる人工透析センター(Dialysis Centre)があるかどうか、についてエリス師に相談した。 
 
 しばらくして、返事があり、旅行者でも受診できること、医療費については、日本の健康保険関係機関と相談することが望ましい、との添え書きもあった。病歴など受診にあたっての詳細な質問状(Questionary Form for Dialysis)に答えて返送するようにとの連絡があった。併せて、エリス師は、いざという時に備えて、学生寮の近くにある地域の中核医療機関にも協力を求めておいてくださった。これは、幸い、利用することはなかったがとてもありがたい配慮であったといまでも覚えている。Y君の母親の主治医によって書き込まれた質問状をエリス師に送った。しばらくしてこれがOKとなり、Y君は一家でこの旅行に参加されることになった。今日では、ハワイなどで日本からの旅行者も積極的に人工透析を行っている医療機関が利用され、旅行者の便宜が図られていると聞いている。しかし、30数年前、普通の旅行者が海外で人工透析を受けながら旅行を楽しむことはまだ、かなり珍しかったのではないだろうか。 
 
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 エリス師側の協力で宿泊施設、貸切バス、そのほか、現地での過ごし方などについても準備が整い、期待に胸を膨らませて54名の団員に私と若手のK社員が添乗することでいよいよメルボルンへ向けて出発した。QF機への搭乗もスムーズ、多くのメンバーにとっては初めての海外旅行であり、それも家族と一緒の人も多く、うれしさと楽しさ、現地への期待など、感動にあふれた様子であった。夜行便で10時間余りの飛行であるが興奮して眠れそうにない人も多かった。目をつぶるだけでも良いので身体を休めましょう、とことばをかけて回った。 
 
メルボルンのタラマリン空港に着くと、エリス師とビア氏が満面の笑みを浮かべて迎えてくださった。外へ出るとまぶしい日差しが照り付けており、リフト付きバスともう一台普通サイズのバスが待っていた。空港から30分くらいでメルボルン大学ニューマンカレッジの学生寮へ。ふつうであれば、ホテルでのチェックインはロビーで皆さんに待っていただくが、ここでは、広い食堂のテーブルについていただいた。エリス師が歓迎のあいさつ、受け入れのための諸準備と協力へ向けて姥山代表がお礼のあいさつ。そして、ビア氏から5日間のプログラムについて説明があった。こうして、メルボルンでの滞在は順調に始まった。いくつかの興味深いプログラムや出来事について書いてみよう。 
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 ニューマンカレッジの学生寮は古い石造りのどっしりした二階建ての建物であり、天井も高く、各部屋には腰高のがっしりしたベッドが置かれていた。各室に家族ごとまたはスタッフも加えて2~3人ずつで宿泊。部屋には、トイレとシャワーが付いていた。ところが、このシャワーは壁に固定されており、肢体不自由な人にとっては不便であった。シャワーイスはエリス師がかなりの個数を取り寄せてくださっていたが、介助する人があってもやはり使いにくい。12月というとオーストラリアは真夏、シャワーでも十分であるが身体に障害のある人にとっては固定式ではやはり有難くなかった。そんなとき、この建物内を細かく見学していたN君のお父さんが、2階に浴室があることを発見。ところが浴槽が水漏れしていて使われていなかったらしい。試してみると、お湯は出ることが分かったので、浴槽の底にタオルを強いてお湯を出しっぱなしにしておくと何とか使えることが分かった。そこで、スタッフが支援して、車いすユーザーの男女を交替で素早く入浴させることができた。こうして、不具合なところは自分たちで克服して少しでも快適に過ごせるようにと前向きに過ごすことに努めていただいた。 
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 二つ目は、広い中庭。食後は、芝生に座ったり、横になったりして楽しい集い。夕方になると、昼間の暑さも収まり、高いユーカリの木の間を抜けてくる風が心地良かった。やがて、芝生に座って、チーズとウィスキーや缶ビールを持ち寄って宴が張られた。一日の出来事や日本での日ごろの生活などについて語り合うなど、楽しい団らんの場であった。ある夕べ、日が落ちて薄暗くなったころ、ユーカリの木から黒っぽく、小さな動物がスルスルと降りてきてチーズを掴んだと思うと素早く逃げて暗闇に消えていった。あっという間の出来事であった。メンバーは大騒ぎ、「なんだ、何だ!」「猿?」「イタチ!?」暗い木の上に目をやりながらシーっと声を潜める。人工透析を受けられることが可能になった一家3人で参加のY君のお父さんは、上野動物園の飼育担当の専門家。そこで、メンバーが中庭で出現した動物についてこのお父さんに話したところ、「多分、それはオポッサムではないでしょうか」とのこと。翌日、市内の書店で動物図鑑を買ってきて、件の動物について説明してくださった。小型の樹上有袋動物らしい。「噛まれないように、注意しなければならない。絶対に手を触れないように!」と注意された。翌日もオポッサムの出現を待ったが、警戒して出てこなくなったのか、一晩だけで、以後の出現はなかったが、これも、楽しい思い出の一つとなった。 
 
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 この旅行には横浜国立大学の小林芳文教授も加わっておられた。ムーブメント教育・療法を日本に導入された方で、ゆきわりそうでもプログラムの一環として徐々に取り入れられていた。今回はニューマンカレッジの中庭で大きなバルーンを使うなどのプログラムが行われた。ムーブメント教育・療法(Movement Education and Therapy)は、子ども(対象者)の自主性、自発性を尊重し、子ども自身が遊具、場、音楽などの環境を活用しながら、動くことを学び、動きを通して「からだ(動くこと)」と「あたま(考えること)」と「こころ(感じること)」の行動全体に関わる調和のとれた発達を援助するプログラム(日本ムーブメント教育療法協会 資料より)である。小林教授は、1977年頃、この方法を日本に取り入れた方であり、参加者にとっても楽しいひと時であったと思う。今年、2024年のゆきわりそうグループ祭には、その小林先生を30数年ぶりにお招きして、ムーブメント教育・療法の楽しい実践の場が展開されたことがゆきわりそうの会報で紹介されていた。オーストラリア旅行に参加したメンバーはすでにかなりの年を経て少なくなっているが、中には懐かしい思い出が蘇った方もあるかもしれない。 
 
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 ほかにも、ビーチでの海鮮昼食、動物園でのカンガルーやコアラとの対面、近くの牧場でのBBQ,フィリップス島のペンギン・パレード、大きな市場での買い物など、楽しいイベントが繰り広げられた。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・リフト付き貸し切りバスが空港に迎えに来てくれた! 1988年12月 筆者撮影 
・メルボルン大学 ニューマンカレッジ 学生寮 University of Melbourne. Newman College 資料より 
・ニューマンカレッジ学生寮の中庭でくつろぎのひと時。右 姥山代表、左 山本事務局長 ノーマライゼーションを目指して 姥山寛代編著 中央法規より 
・ポッサム City of Melbourne 資料より 
・ムーブメント教育・実践 2024年 4月 ゆきわりそう・グループ祭にて ゆきわりそう 会報 2024年7月1日 No.143より