2024.09.16 小野 鎭
一期一会 地球旅 328 オーストラリアの思い出(13)タスマニア2
 
一期一会・地球旅 328 
オーストラリアの思い出(13)タスマニア② 
 
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 ホバートから島の北部の中心地ダベンポートまでは300㎞近いが途中、疎林の広がる地域や牧場、荒れ地など荒涼たる風景が多く、ポツポツ集落もあるだけで人口がまばらであることを感じた。日本の北海道の8割くらいの広さであるが、1980年代、州の総人口は40万少々、2020年代でも55万強とあるので依然として都市部を除けば人口密度は極めて低いことがよくわかる。島の中央部には湖水地帯があり、自然保存地域が広がり、クレイドル・マウンテン&セント・クレア・レイク始め大小5つの国立公園が島全体のかなりの部分を占めており、タスマニア原生地帯(Tasmanian Wilderness)として世界遺産となっている。登録は、1982年であるが、その後2010、2012、2013年とさらに登録範囲が拡大されている。 
 
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 1985年にはすでに世界遺産として登録されていたが、自分たちは自然探勝ではなく、児童福祉研修団としてタスマニアを訪れているのであり、個人的には興味があっても、この地域の国立公園などを訪れる機会はもちろん無かった。島の中央部を南から北へ横断し、荒涼たる風景を車窓に何時間も見ていたので、ガイドブックを見ながら、この西の方一帯はWorld Heritage(世界遺産)となっていることを説明した記憶はあるが、自分自身、それがどれほど価値のあるものであるかは、まだ、自分の知識としては勉強もしておらず、わからないままに案内していたと思う。この地域では、19世紀まで先住民が暮らし、石器時代と同様の狩猟生活を営んでおり、一万年以上前のアボリジニによって描かれた岩絵が残っており、ステンシルと呼ばれる技法で制作されたもので世界的にも貴重な文化遺産として評価されているという。自然遺産には、4つの登録条件があり、そのいずれもタスマニア原生地帯は該当し、さらに文化遺産としても6つの条件中、3つを満たしている。結果的には、世界遺産登録条件10区分の内、7つを満たすという世界的にも特に価値のある遺産の一つ(世界複合遺産)と言っても良いのではないだろうか。 
 
 もう一つ、タスマニア原生地帯の中には、興味深い国立公園がある。ただし、自分自身はこれも訪れたことはないので資料からの聞きかじりであることを予めお許しいただきたい。その国立公園の名前は、Walls of Jerusalem National Park 「イェルサレム城壁国立公園」。この公園の中には、険しい岩山や岩壁、湖水、草地、沼沢地など荒々しい景観が広がっているとある。国立公園の景色の素晴らしさもさることながら、タスマニア島の真ん中にある国立公園の名前の語源そのものに興味があり、調べたところ、次のようなことが書いてあった。このあたり一帯を訪れたのがスコットランド生まれの測量士ジェームズ・スコットであり、1849年にモール・クリークの南に広がる荒野の地域を調査した際に、この地域の山々と岩山がイェルサレムの町の実際の城壁を思い出させたことから、Walls of Jerusalem,と名付けた。ただし、かれはそれ以外には、湖にLake Ballと名前を付けたがそれ以外は何もつけなかった。 

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 その後、1928年にこの地を訪れたのがブッシュ・ウォーキングを趣味としていたタスマニアの弁護士L.Gホールなる人物。スコットに次いでこのあたりをそれから20年間にわたってこの地域を幾度も訪れ、聖書にちなんでこれらの地形に、今日知られているThe Temple=神殿、King Davids Peak=ダビデ王の峰、Herod’s Gate=ヘロデの門、Solomons Slone=ソロモンの玉座、Mount Jerusalem=エルサレムの山、Golden Gate=黄金の門、Zion Vale=ザイオンの谷、Lake Salome=サロメ湖、The Pool of Bethesda=ベセスダの池など空想的な名前を付けていった。堂々とした玄武岩の門 Gate of Damascus、キラキラ輝く湖=Solomons Jewelsもある。ホールが提案した地名のうち20の固有名詞が1954年にNomenclature Board=命名委員会によって承認されて今日に伝わっている。 
 
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 筆者自身は、かつてイスラエルのイェルサレムは訪れており、この町の城壁(市壁)は実際に見ているのでそれなりの印象は残っている。しかしながら、タスマニアのこの国立公園は見ていないので実際にどうなのかはわからないが、一人の人物が未知の荒地を歩きながら付けていった名前がその後、地名として地図上に残されていったとは何ともロマンあふれる話である。日本では、「地図に残る仕事」として社のスローガンを掲げておられる大手の会社もあるが、個人が未知の地形を歩きながら付けていった名前がその後、地図上に地名として残されていくとは何とも興味深い話である、と個人的に感じている。もう一つ、この項を調べているうちに、Etymology=語源または語源学や、Nomenclature=命名法、専門語という単語を知ったことも新たな学びであったと自分では喜んでいる。(以下、次号) 
 
《資料》 
・世界複合遺産 タスマニア原生地帯 すべてがわかる世界遺産 1500下巻 世界遺産アカデミー 2024年発行 
・Walls of Jerusalem National Park  Wikipediaより 
 
《写真/資料、上から順に》 
・タスマニア 略図と行程路、中央部にWalls of Jerusalem National Park、 地図は、Travel Tasmania 資料に上書きしたもの。 
・ホバート郊外を北上中の車窓風景 1985年3月 筆者撮影 
・Walls of Jerusalem National Park Wikipediaより 
・イェルサレム市街 嘆きの壁一帯はユダヤ教の聖地 1979年7月 筆者撮影