2024.12.09
小野 鎭
一期一会 地球旅 340 ニュージーランドの思い出(8)オークランド1
一期一会・地球旅 340
ニュージーランドの思い出(8)オークランド1
オークランドは、北島北部に位置するニュージーランド最大の都市、オセアニア有数の世界都市であり、ポリネシア地域最大の都市でもある。大都会でありながら、周辺地域には変化に富む自然環境が拡がっている。海に面した地形から海上交通が栄え、「City of Sails」(シティ・オヴ・セイルズ=帆の街)という愛称で呼ばれている。ヨットやボートなど小型船舶の登録数は人口比では世界最大。地域に居住する人口の3軒に1軒の割合で小型船舶を保有しているとのこと。オークランドは、英語表記では、Aucklandであり、アメリカ・カリフォルニア州のOaklandと綴りが違うのでわかりやすいが、日本語表記では、混乱しやすいので、NZオークランド、USオークランドと表示されることもある。
首都ウェリントンからロトルアを経てここオークランドに着いた。教育事情視察などの公的プログラムはすでに終えていたので、ここでも市内見学が主で歴史や文化、民情に触れることなどが主たる目的であった。団員のお一人が書かれた日誌から少し拾ってみたい。
「2月21日、ワイテマタ・ハーバーを前に、ダウンタウン・ショッピング・モールを右隣に、ビクトリア様式のフェリー・ビルを右前にしたトラベロッジに着く。港やその前の通りは風が強い。日本の商船が2隻眼前に見えた。オークランドに来ても、日本の印象は強烈であった。次の日、木材も魚も日本の商社が買い付けていくという話をガイドのMさんから聞いた。街を歩いても、どの国でも見たようにカメラを始め、高価な日本製品の陳列を見た。パウア貝の安い土産物の中に、日本製のものもあった。いまさらながら、日本の拡がりが深い心象を形作ったようである。市内見学では、ウォー・メモリアル(戦争記念館)とマウント・エデンから見たオークランドの街が印象的であった。2つの大戦の戦死者を頌して建てられたという博物館は先史考古学・軍事部門などはさておき、マオリと南太平洋の土着文化が豊かに丹念に集められて壮観である。巧まざるイギリス植民の歴史を見る思いであった。」(以下、略)
ここまで見てきて、いくつか感じることがある。もちろん、私自身も皆様を引率しているとは言いながら正直なところ、この時の記憶は断片的でしかなく、むしろ、ほとんど忘却の彼方と言ったところである。その中でいくつか思い出すことがある。この時、宿泊したオークランド・トラベロッジは今もTravelodge Hotel Aucklandとして現存しており、その名前もほぼそのままであることが分かった。
当然、内部は 改装され、建物そのものも改築されているが、その位置(所在地)は今も変わらず。もう一つ、ビクトリア様式の瀟洒なフェリー・ターミナルビルは、現在は、ニュージーランド歴史遺産トラストとして保存され、内部は修復されてショップやカフェがあり、フェリー業務は隣接する新しい建物に移されているという。英国人が古い建物などを愛する気風というのがここでも発揮されているように思える。日本製品がここでもあふれていたことはメンバーが日誌にお書きになっている通りである。半世紀前、日本は高度成長経済の真っただ中にあり、世界中に日本製品が輸出されていた。観光地では、絵葉書売りや土産物店でSEIKOであるとか、Canonなどを持っていることが羨ましがられたものである。日本の電化製品などを宣伝するネオンサインや看板が大通りや中心街できらめいていた。今は、たとえ日本企業のものであっても、世界の工場として中国で製造されているものが世界中にあふれているのと同様であったかもしれない。
当然、内部は 改装され、建物そのものも改築されているが、その位置(所在地)は今も変わらず。もう一つ、ビクトリア様式の瀟洒なフェリー・ターミナルビルは、現在は、ニュージーランド歴史遺産トラストとして保存され、内部は修復されてショップやカフェがあり、フェリー業務は隣接する新しい建物に移されているという。英国人が古い建物などを愛する気風というのがここでも発揮されているように思える。日本製品がここでもあふれていたことはメンバーが日誌にお書きになっている通りである。半世紀前、日本は高度成長経済の真っただ中にあり、世界中に日本製品が輸出されていた。観光地では、絵葉書売りや土産物店でSEIKOであるとか、Canonなどを持っていることが羨ましがられたものである。日本の電化製品などを宣伝するネオンサインや看板が大通りや中心街できらめいていた。今は、たとえ日本企業のものであっても、世界の工場として中国で製造されているものが世界中にあふれているのと同様であったかもしれない。
戦争博物館には日本の戦闘機の残骸や、武器、鉄かぶと、日の丸のハチマキなども展示されていたと思う。1974年と言えば第二次大戦が終わって30年足らず。メンバーの中には出征していた方もあったかもしれないし、お身内など戦時中の辛い思いを経験された方もあっただろう。あるいは、戦後の厳しい時期を生き抜いてこられた方が多かったに違いない。戦争博物館に日本にゆかりのあるものが陳列されているのを見るたびに私自身、父が海軍軍人としてアジアや太平洋の島々で戦火をくぐってきたことを聞いていたので、複雑な心境であったことを思い出す。(以下、次号)
《資料》
オークランド(Auckland) : Wikipedia
《写真》
・ワイテマタ・ハーバー(1970年代 Airial View of Auckland Harbor): Flicker より
・オークランド港で見かけた日本の商船 : 海外教育事情視察団 報告書より
・Travelodge Hotel Auckland (1970年代): Flickerより
・Auckland Ferry Terminal Building : New Zealand all overより
・Auckland War Memorial Museum : Viatourより